初仕事
残暑過ぎた九月も末になろうという頃である。
先日までは台風がやってきていて、それはもう大変だった。
風が老いた杉や檜をなぎ倒し、みしみしびしびしと山が悲鳴を上げていた。
それほどに天気が荒れたのも久方ぶりだ。
その前にはやけに日が照り大変に暑い日が続いていて、茹だった祖父はやれ供えが少ないだの、最近の若者は信心が足りんだの、ムササビが臭いだのとプンスカしながらごろごろ転がっていた。
祖父は今でこそこんな有様ではあるけれど、これでも一応大天狗である。
京都の愛宕山太郎坊の末弟子だった十郎坊の系譜であり、また稲綱大権現の流れをくんだ由緒正しき大天狗なのである。
十郎坊はしばしば烏天狗、または小天狗などとも呼ばれ鼻高天狗より劣ると言われたりするが本来は少々違う。
かつてはみんな烏天狗であったものを中世の頃、高慢な山伏や長躯長鼻であったサルタヒコ神とイメージが混同されてしまった。それからというもの鼻高天狗が格の高い大天狗とされ人々に定着してしまったのだ。
これはみな格の違いを眼で見て判断し易くするための人間の慢心身勝手であろうぞ、と祖父はやっぱりプンスカ怒って天狗の腰掛け杉に登っては、あたりに小さな天狗つぶてをぽいと放った。
その背中があまりに淋しそうだったのは昔の話である。
今やその杉に登ることもままならない。
祖父は昨年の夏に年甲斐もなくはしゃいで遠出した結果、無理が祟って自慢の翼を痛めてしまい、ほんのちょっとも飛べなくなった。
天狗といえば修験者の格好をして翼を持ち、真っ赤な顔に長い鼻、一つ歯の高下駄で飛び回り、翼を広げて空を飛び、一晩で千里を駆け、風雨火炎を自在に操り、遥か千里の先を見通し、怪力変身自由自在の何でもござれである、と伝えられていたりする。
まぁそれもあながち嘘ではないのだが、そんなことが何でもかんでも自在に出来るのは、天狗の中でも特に格の高い八大天狗の皆さまくらいのものである。
普通の天狗はその内の何かをちょっとずつ使える程度ではあるのだが、それでも何も出来ない人間からしてみたら破格の力である。それが家長の大天狗ともなれば偉大な神通力を持って弱きを助け悪を挫き、本来ならばヒーローさながらの大立ち回り、をして然りの筈なのだ。
ところがである。
老いたりとはいえ十郎坊家長のはずの祖父は、翼を痛めてからやる気もなく、日がな一日中ごろごろする始末。昨年の秋には両親と兄とわたしで参拝客の祈願の事務処理を行ったのだが、これがもう凄い量だった。とても家族だけでは手が回らない。今年はさすがに期間限定でどこかの天狗を雇おうと父は訴えたのだが「他の天狗を雇うなど十郎坊の恥!」そう言って一蹴であった。一蹴した己は微塵も手伝わないのにである。
高尾山は以前と比べるとずいぶん賑わっている。
二〇〇九年に、ミシュランの三ツ星おススメ旅行先とやらに認められたようで、参拝者から登山者、観光客やらそれはもう大変な賑わいになってしまった。海外からの参拝客も多くなった。これから迎える秋の紅葉を迎えようものなら秋季大祭も相まって忙しさは最高潮、しかも、それが終われば今度は年末年始がやってくるのである。
薬王院には次から次へと参拝のお祈りがあげられてくる。わたし達天狗やそれぞれの寺や神社の神使などはそれらのお願いを受付け、正当な願いかどうか度重なる審査を行い、審査で付けられた点数によって何割の成就を与えるか見積もりを作る。それを天界へと奏上して、祭神への申請が通れば晴れて祈願成就となる。
天狗は神通力を使いながら処理を行うので他の者がやるより遥かに多く、素早く、正確に業務を行えるには行えるけれど、そもそも数が途方もないのである。手伝いをお願いしたくとも同じ山中では稲荷様も不動様も愛染様も竜王様も、それぞれ自分の仕事で手一杯である。この忙殺具合には皆頭を痛めているのだった。
ある日のことである。
呼び出されて、薬王院本殿の屋根の上に降り立った。
父上はいつもと同じ柔和な笑顔でわたしに言った。
「あまねよ、もうお前も二十歳になった。修行も確り修めてきたし、そろそろ山を出て見聞を広めるにもよい頃だろう。そこで、初仕事として東京の豊川稲荷に行って管狐を少々都合してもらってきて欲しいのだが」
わたしは喜んだ。テレビでは見てきたが、実際に見たことの無い高尾山の外の世界に行くことが出来る。心が躍った。
修行を重ねた天狗は、二十歳になってようやく山から出ることが許されるようになるのだ。
用向きは豊川稲荷に行って管狐を借りること。
本来、天狗の力をもってすれば飛んでいくことも可能なのだが、長時間の飛行は少々苦手だったので電車で向うことにした。あまり目立つと面倒だからと母に強く言われたというのもある。
かくして高尾の商店街のみんなにも散々祝われ見送られ、高尾山口から新宿までやってきたという訳だ。
高々管を借り受けるだけのお使いに大袈裟だなぁと恥ずかしく思いつつ、それでもテレビや本でしか知らない外の世界に心が躍った。
そしてもうひとつ。
自分にはどうしてもやりたい事があった。
その機会がやって来たのだ。