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叶稲荷

 青山通り沿いに目的の場所はあった。

 山門の手前には豊川稲荷(とよかわいなり)と彫られた立派な石柱が立っている。


 豊川稲荷社、正しくは『妙厳寺(みょうごんじ) 豊川稲荷東京別院(べついん)』と呼ぶらしい。

 本院は愛知県豊川にある。

 その昔、あの名奉行で名高い大岡(おおおか)越前守(えちぜんのかみ)勧請(かんじょう)して屋敷稲荷として祀ったのが始まりで、大岡屋敷の移転、東京府による私有地で祀られる社堂への無許可参拝禁止などの様々な変遷を経て、明治二十年に大岡邸から現在の場所へと移転したということだ。

 現在は多く芸道を生業とする人々の信仰を集めているようで、芸能人の参拝なども多いらしい。


 隆生は山門を抜けた。

 右手に事務所のようなものが見える。その左隣に本殿があるようだ。

 本殿へと続く参道を進む。授与所を過ぎ、境内中央右手に御水屋(おみずや)、左手に大黒天(だいこくてん)(やしろ)がある。大黒様の更に奥の方には小さな社が幾つも祀られているのが見えた。どうやら七福神巡りがここだけでできるようになっているようで、その辺りの雰囲気は以前参拝したことのある伏見稲荷の様子にも似ていると思った。

 まずはお清めが筋だ。左手を洗い、右手を洗い、左手に水を溜めて口をすすぎ、最後に柄杓(ひしゃく)を立てて水を流して洗うという手順である。作法は掲示もされている。

 隆生は御水屋に向かい柄杓を取ろうとした。


「ほう、律儀だな。参拝の作法を知っているのか?」


 感心したようにあまねはそう言ったが、当の本人はやらないらしい。


「知ってるよ。もし知らなくてもそこに手順は書いてあるしな。あまねはやらないのか?」

「だって天狗だもの」そう言ってきょとんとしていた。


 ――なにやつだ


 突然辺りに声が響いた。隆生は驚いて見回したが誰の姿も見えない。

 不思議と参拝客はおろか寺の関係者らしき人の姿さえもどこにも無い。

 見える範囲の境内はそれほど広くはないが、小さな社なども多く物陰(ものかげ)は多いから、その辺に隠れているのかもしれない。

 そう思った直後である。

 一陣の風が吹き、本道へと続く石畳の上で白い渦のように何かがクルリと回った。

 気付くと一匹の小さな白い狐が座ってじっとこちらを見ていた。


「白い……狐がいる!」


 普通はただの狐だって動物園にでも行かなけりゃ見られるものじゃない。まして野生の白い狐など見た事もない。にも(かかわ)らず、こんな都会のど真ん中で当たり前のようにそこにじっとしてこちらを見ている。首には朱の前掛けが捲かれていた。


「再度問う、なにやつだ? 人間ではないな」

「しゃべった!」


 異常事態に戸惑う隆生にあまねは首をかしげた。


「当たり前だろう?」


 いやいや、狐が話すのは当たり前じゃないと心中で突っ込む。

 自分は夢を見ているのか。

 あまねが得体の知れない変わった娘なのは理解していたが、流石に本物の天狗などという荒唐無稽はないと思っていた。精々神社に関わる家の子くらいに思っていた。誰だって普通は天狗なんてものがいるとは思わないだろうし、たとえ自分でそう言ったからとて鵜呑(うの)みにする輩もいないだろう。だから管狐を借りると言ったのも、きっと寺の住職とかにそういったものにまつわる竹筒とかを借りて、儀式的にお祀りするのだろうくらいに思っていたのだ。あまねの実家がどうなのかは知らないが、寺や神社とかならそういうこともあるだろうと思っていた。


 だが目の前にいる狐はどう説明する?

 この狐はさっきまで間違いなく居なかったが、今はそこに居る。

 しかも言葉を話した。

 狐はあまねを人間ではないと言った。この目の前の状況が夢でも幻でもないとするならば、それはあまねを本物の天狗と認めるようなものである。


「わたしは十郎坊あまね、天狗だ。高尾山からやってきた」


 一瞬驚いたような顔をしたが、狐は(いぶか)しげに二人を見た。狐は立ち上がり遠巻きに窺いながらウロウロし臭いを嗅いだり睨んだり、しばらくそうしていたが小さく頷いた。


「天狗はともかく、そっちのはなんだ?」


 狐は射るように隆生を見た。明らかに敵意がある。

 隆生はここにいてはいけない気がした。

 そもそもここまでの道案内は終わったのだからもう自分は必要ない。巻き込まれただけの凡人でしかないのにこれ以上居座り怒りを買う意味もない。もし本当にお狐様だとして下手に祟られたなら貧乏クジもいいところだ。


「俺はただの付き添いで、道案内も終わったし、お邪魔のようだし、これで失礼します」


 じゃあと手を挙げてその場を離れようとした。狐はまだ睨んでいる。

 ちょっと待てとあまねは言った。


「彼は隆生。わたしの連れだ。なにか問題でもあるのか?」

「ちょっとあまねさん、俺は関係ないからもう行くよ」

「だめだよ。いいから黙ってそこにいろ」


 妙に強い口調で言われたのでどうにも動けなくなってしまった。狐は相変わらず睨んでいる。この状況も何もかもが理解不能だから、一刻も早く全て忘れて現実に戻りたいと隆生は内心呟いた。

 そんな気持ちも意に介さず、あまねは狐に言った。


「さて狐殿、わたしは用向きがあってきたのだ。こちらの主にお会いしたいのだが?」


 それを聞いた狐は明らかに嫌そうな顔をした、ように見えた。


「お前様が天狗なのは分かった。しかしながら(おきな)に会わせる訳にはいかんな。どこぞ馬の骨とも知れぬ天狗風情にかまっているほど翁もお暇ではないのだ。この時期は特に忙しくなる時期でもある。とっとと高尾に帰るがいい、田舎天狗よ」


 嫌な奴とはこういう奴のことを言うよなぁ、と隆生はありがちな展開を眺めていた。

 ほう、とあまねは羽扇をぷらぷらさせながら微笑んだ。瞳がうっすら赤く光って見える。


「田舎天狗は認めよう。確かに都会と比ぶれば高尾の山なぞさぞ田舎に見えような。だがそれは返せば霊験灼(れいげんあらたか)かな御山(おやま)の力の現われであろう。こちらの翁殿はその偉大なお力でこの場に強力な力場を保っておられるようだが、報われないのう。こんな器も力も礼儀も足りぬ子狐なぞが次世の担い手なのかと思えば、うかうか休む間もなく安心も出来たものではないだろうに」


 あまねの言葉に狐は全身の毛と尻尾を逆立てる。


「なんだと、我ら豊川稲荷を愚弄するか…。 別院なれど東方守護の(ほま)れを拝し、これまで何万、何億と人々の願いを叶え敬われてきた翁率いる我等豊川稲荷衆はどこぞの田舎山中の輩とは比ぶるまでもない。翁を敬い支え合う結束において、己らのような自由気まま自分勝手な天狗如きに見下される言われはないわ! まして八大天狗にも程遠い小娘天狗程度が我らを見下そうなどと無礼千万、取り消さねば(かのう)の名において断ち切るぞ!」

「断ち切るとはまた物騒な。君は地相・家相・方位・厄などの悪縁を切るという縁切り専門の稲荷だろう。力をひけらかすは弱者の所業だぞ」

「ひけらかしたつもりはないな。お前様が天狗なら然程のことでもあるまいよ。それに物騒などとは下らない。我が力は悪縁絶ちて開運招福をもたらすありがたいものだ。お前様のような天狗の席に胡坐をかいて、狐を一緒くたに愚弄し見下す輩にはそんなことも分からぬのであろうがな」

「これはこれは、君は会話が苦手と見える。わたしはこちらの翁も稲荷も尊敬すべき偉大な方々と理解はしているし、愚弄だなどとはとんでもない。わたしが言っているのは君があまりにも(わっぱ)だとそう言っているのだ。それを受け止めることも出来ずに己の未熟への指摘をさも豊川への冒涜だとすり替えるあたりは正に傲慢。呆れる以前に聞いているこちらが恥ずかしい」

「な、な、なんだとぉ」

「いいかい、いま君は豊川を楯にとって己を守ろうとしたのだ。それは何よりも誰よりも豊川の格を貶める、冒涜なぞ生ぬるい恥ずべき言動だ。君自身が豊川に泥を塗ったくっていると気付くべきだ。今の君は正に虎の威を借る猫さながら豊川稲荷に寄生する蛆虫(うじむし)の如き狐だと己を恥じてみてはどうだろうか! 以上!」


 びしっと羽扇を狐に向ける得意げなポーズはとても絵になってはいるのだが、その真を突いて付属オプション満載の返しはあまりといえばあまりに思えなくはない。

 狐の白い姿も真っ赤に見えるほどにわなついている。隆生には叶とかいう狐がやけに可哀相に見えた。出会い頭に何故これほどいがみ合う必要があるのか分からない。これが人間だったら怒髪天(どはつてん)突き大暴れしそうなものだ。窮鼠(きゅうそ)猫を噛む、狐が天狗に噛みつくことだってあるだろう。


次の瞬間、狐の口から青白い光の煙が立ち上る。煙は少しづつ集まり青白い炎の塊になった。

ひとつ、ふたつ、みっつ、合計5つの火の玉が狐の周りに浮かび上がった。


「狐火か、同時に5つとはなかなかやるではないか」


 あまねは楽しそうに扇を揺らしている。

 叶と名乗った狐が尻尾をゆらりと振るうと、その動きに合わせるように炎の球が動く。

 そして、大きく振るった尻尾があまねの方へ向けられた。

 炎の球があまねに向かってもの凄い速さで飛んだ。

 隆生の目には青い光の残像だけが映ったが、その光の線はあまねの場所から真っ直ぐ上に伸び、L字の残像となっていた。

 残像が消えると、あまねは扇を空に向けていた。狐はただその様子を見ている。


「悪くない、が、やや軽いのぅ。だが全力でもあるまい?」


 叶は小さく鼻で笑う。


「今のは挨拶代わりだ。だが次で御終いだよ、これはどうするかな天狗様よ」


 叶は口からさらに大量の炎を吐き出した。

 吐き出された炎は収束し、巨大な鎌の刃のような形になった。西洋の死神が魂を刈り取る鎌のように巨大で、触れるだけで真っ二つにされそうな強い光の鎌である。


「あまねっ!」

 

 隆生の呼びかけをあまねは手で制した。


「これは面白い、やればできるではないか」

「減らず口を。負けを認めるなら今だぞ」

「面白くなってきたところであろうよ、それともそれは見てくれだけの張りぼてか?」

「笑止」


 4つ足で立った叶が前屈みになると空気がピンと張り詰めた。

 それからは一瞬だったような、数時間だったような、息苦しい時間がつづく。

 そして、ついに炎の鎌があまねに向かって薙ぎ降ろされた。

 同時に、あまねもまた振りかぶった羽扇をしたから振り上げた。

 強烈な突風が巻き起こり、隆生はあっという間に吹き飛ばされて参道に転がる。

 何かが破裂するような音が空気を震わせ、その後、静かになった。

 散った木の葉がパラパラと石畳に落ちた。


「あまね?」


 隆生が周囲を気にしながらゆっくり起き上がると、視線の先にあまねの背中が見えた。

 無事だった。あまねの奥に狐の姿は見えない。どこに行ったのだろう。

 駆け寄ろうとすると、本堂の方から叫び声が上がった。


「ちくしょぉぉぉぉ!」


 叶だった。

 どうやら炎の鎌もろともあまねの天狗風に吹き飛ばされたらしい。

 だが叶も無事な様子でゆっくりとあまねの方へと近づいてくる。

 何かをぶつぶつと口にしているが聞き取ることは出来ない。

 だが、その歩は次第に速くなっているように見える。

 思ったとおりだった。

 次の瞬間、叶狐は全力であまねに飛びかかった。


「あぶない、あまねっ!」


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