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南口の出会い

 小田切隆生(おだぎり りゅうせい)は気がつくと新宿駅の南口辺りにいた。

 職安に向かったときには傘を持っていた気がしたが、空を見上げると雲ひとつ無いすっきりとした空だったので、どうでもいいやとすぐに忘れた。


 今は家に篭って求職活動するか、時間つぶしの散歩や読書くらいしかすることがない。

 あまり無駄遣いも出来ないのだが、とは言え、せっかく街まで出てきたのだから少し見て歩くのも気晴らしになるかもしれない。これも時間の無駄だろうかと逡巡(しゅんじゅん)しながら人の行き交う道を進んだ。

 通り過ぎて行く人々は何故か無条件に幸せそうに見える。

 どうしたらそんな風に幸せそうに生きられるのだろうか、と隆生は思う。

 自分だけが世界の外側に弾き出されたような閉塞感を覚えていた。


 息が詰まりそうな気分で歩いていると、辺りが騒ついているのに気付く。

 不意に一人の女性と目が合った。

 目が覚めるような美女である。

 モデルや芸能人とはこんな雰囲気を出していて、それが所謂(いわゆる)オーラと呼ばれるものであるのなら彼女には間違いなくそれがあった。しかし、その雰囲気に混じる強い違和感はオーラを異質なものへと変容させるのに充分だった。


 黒髪のショートボブ、黒色に透き通った瞳が白よりもやや暖かみのある肌に浮き立って見える。髪から少しだけ耳が出ているのが可愛らしい。金刺繍(きんししゅう)の入った白い詰襟(つめえり)のシャツに七分丈(しちぶたけ)のパンツはスッキリとした印象で好感が持てたのだが、背中に青いリュックサック、足元はハイカットのスニーカー、大人と子供が入り混じったような印象と言えば分かりやすいだろうか。

 だがそこは問題ではない。


 異彩を放つのは、頭の上にちょこんと乗った明らかに帽子ではない黒い頭襟(ときん)。テレビで見るような山伏(やまぶし)の頭に乗っているあれだ。黒い六角(すい)のとても小さな帽子のようなものである。更に首から下がっている胡桃(くるみ)ほどの大きさの珠が連なったネックレス、否、どう贔屓目(ひいきめ)に見ても数珠(じゅず)である。そして極めつけなのが、かの中国三国時代の軍師・諸葛亮(しょかつりょう)孔明(こうめい)の再来かと思わせる程の大きな黒色の羽団扇(はうちわ)。それをゆらゆら(もてあそ)んでいるのである。


 これ以上彼女を見てはいけない、という直感が隆生の脳内に警告音を響かせた。

 どう言い表すべきか隆生は悩んだが、明快な答えは既に出ていた。

 きっと誰もがそう思うに違いない。

『なんか変な人がいる!』だ。

 世の中には変わった人間など幾らでもいる。

 それは個性だし人様に迷惑をかけないのであれば一向構わないのだが、隆生にとって今問題なのはそんな彼女と現在進行形でガッチリ目が合ってしまっているということだった。


 彼女が見せた一瞬見せた驚きの表情に、もしや知人だったかと過去に出会った顔を駆け巡らせる。しかし、どれだけ考えてもこんな人は知らない。

 もしかしたら自分の後ろの誰かを見たのかと振り返るがそれらしい人もいない。

 歩く位置をずらしてみたにも関わらず、彼女はめっちゃこちらを見ているではないか。

 隆生は急いで目を逸らした。

 どんなに美しかろうとなんだろうとあんな数珠をぶら下げているのは普通じゃないし、百歩譲ってそれがもし真珠のネックレスだったとしてもそのセンスはどうかと思う。

 縦横無尽(じゅうおうむじん)に溢れ出過ぎる強烈な個性なんてものに凡人が触れれば火傷(やけど)するのは想像に難くない。その上、万が一にも怪しい宗教勧誘であったならば面倒この上ない。

 あなたには悪霊が取り憑いているとか、神様が救ってくれるとか、そんなこと言われても強く否定できない精神状態と現状なのは認めるが、それこそ余計なお世話であろう。

 ほら、周りの人たちもひそひそしながら目を背けているじゃないか。美人なんて(おおよ)そろくなものじゃない、ちやほやされ続けて育ち、性格が捻じ曲がっているかそうでなくてもハニートラップが精々だ。その先に待つのはぶっ壊れた金銭感覚、そして高い壷とか病気の家族の話に決まっている。

 絡まれる前にさっさとこの場所から離れるべきだ。


 隆生はそそくさ彼女の横を通り過ぎようとした。目をあわせないようにしていたが気配は感じる。目を逸らした後も彼女は隆生を見ているようだった。

 うそなに? 何で? マジで怖いんですけど! 

 視線が自分を追っているのは分かった。それに気付かぬ風にポケットに手を突っ込んで肩をすぼめ、背を丸めながら彼女の横を通り抜けた。


 今にも声をかけられるのではないかと気が気ではなかったが、それと同時に疑念もあった。普通に考えれば道すがら美人に声をかけられることなどまずあり得ない。

 些か自意識過剰(じいしきかじょう)なのではないだろうか?

 そもそも自分自身外見は凡庸(ぼんよう)であり、現在においては負のオーラすら(まと)っている自覚もある。いや或いはだからこそ良いカモに見えなくもないのだろうか?

 そんな他愛(たあい)もない葛藤(かっとう)をしながら気がつくと、彼女からはかなり距離が開いた。

 背後に気配を感じてはいたがきっと勘違いだろう。何れにせよ上手くやり過ごせた。

 しばらく進んでちらりと振り返り横目で視界の端に彼女の姿を確認した。彼女はまだその場にいてリュックのショルダーベルトに手をかけてあさっての方を眺めている。何かが起こるなんて取り越し苦労だったと苦笑した。

 もしかしたら、どこか地方の田舎からやってきただけのお上りさんだったのかも知れない、少し可哀相なことをしたようにも思えた。実はとてもいい子で、単に道を()きたかっただけということもある。あれだけの美人ならお近付きになれたら儲けものだったかも知れない。それが縁で恋人とか結婚とか発展しちゃう可能性だって。

 そこまで考えて、それはないと思い直した。

 もし都会を彷徨う田舎娘だとしても昼間の新宿駅前である。これだけ人がいれば通りかかった良心的な誰かが親切にしてくれることだろう、素晴らしきかな善良なる日本人。

 隆生は気を取り直し、散策を続けようと東口方面に向かって歩き出そうとした。


「なぁ、君。ちょっといいか?」


 背後から不意に声をかけられ、なんだろうと振り返って隆生は目を疑った。


「ちょっと尋ねたいのだが」


 すぐ目の前に先刻の娘が立っていた。

 頭襟に数珠に羽団扇、間違いなく彼女である。

 そんなはずはない、と隆生は混乱した。

 物理的に考えて、彼女が立っていた南口の位置から今いる南東口の辺りまで、そんなに早く移動できるはずがない。

 視線を動かし彼女がいたはずの場所を確かめる。

 その距離はどう見ても五十メートル以上ある。その距離を一瞬のうちに移動するなど馬鹿げた妄想かファンタジーかホラー映画くらいだ。


 隆生が戸惑っていると彼女はどうした? と首を傾げた。


「なっ、なんでしょうか?」 

「わたしは十郎坊あまねだ。天狗なのだが――」

「天狗!?」


 ヤバイ! 想定の遥か斜め上である。

『現実は小説よりも奇なり』とはよく言ったものであるが、例えば宗教の勧誘だったり、僧形で托鉢(たくはつ)をしていたり、大きな駅では案外見られるものではある。

 しかし、言うに事欠いてこの娘は天狗だと言い放った。

 天狗など最早人間ですらなく妖怪変化の類である。そんなものが駅前にぶらり美少女の姿でいてたまるか、それをおくびにも出さず自らを天狗と名乗るとはもうどっかがおかしいとしか思えない。しかもタメ口である。天狗だと言うなら寧ろその態度のほうだろう。なまじ綺麗なだけにギャップがすごい。


 そこまで瞬時に考えて、隆生はこの状況を違和感無く許容できる場所が東京にはあることを思い出した。そこなら例え天狗だろうが何ら不思議ではないではないか、と。

「あ、あぁ君あれだね、コスプレか。秋葉原に行きたいのかい? 秋葉原ならここから電車に乗っていけばすぐだから」

 冷静になってみれば今の時代、コスプレイヤーなど珍しくもないじゃないか。よくよく見れば半端なコスプレイヤーよりずっと絵になる容姿、年齢は二十歳前後と見えた。頭襟の下の髪の分け目からは剥きたてのゆで卵のような額をのぞかせている。もしかしたら萌え妖怪カフェとかもできていることだってありえる。わざわざ海外からメイドカフェで働きたくて来日するような子がいるご時勢である。


「コスプレ? これはコスプレではないぞ、わたしは高尾山に代々住まう天狗の一族で十郎――」

「オーケーオーケー。高尾山は天狗信仰があるし設定も良いんだけどさ。こんなところだと変な目で見られちゃうから。それは秋葉原で目いっぱいやるといいよ。電車はそこの改札から入って緑か黄色の電車に乗るといい。もし分からなかったら駅員さんに聞いたら教えてくれるからさ」


 南東口を指差すと彼女はそっちをじっと見た。しばしの沈黙が訪れ、周囲に行き交う喧騒(けんそう)だけが聞こえた。

 彼女はくるりと首を返して再び隆生をじっと見た。


「ど、どうしたのかな? 秋葉原に行きたいんだろ?」

「君は会話というのを知っているか?」

「はい?」

「わたしは秋葉原に行きたいわけではないし、何より君はわたしの話を全然聞いていない、聞こうともしていないだろ?」


 そう言うなり彼女は手元の団扇(うちわ)を小さく隆生に向って(あお)いだ。

 その直後である。

 見えない衝撃に弾かれるように隆生は道に転がった。


 なんだ、何が起きた?

 彼女が団扇を動かした瞬間、もの凄い風が吹いたのだ。

 巻き起こった突風に辺りの人々は帽子やスカートを押さえ、何事かと周囲を見回している。

 唖然と地面に転がる隆生の横に彼女はちょこんと屈んだ。


「君は、一体なんなんだ…?」

「だから言っているじゃないか、わたしは天狗の十郎坊あまねという。高尾山に住まう天狗の一族だよ。因みに今のが天狗風(てんぐかぜ)だ!」


 彼女はにっこりと微笑んだ。

 いや天狗風とか知らないし、と思いはするが理解を超えた何かをされたのは間違いない。本当に天狗かどうかはさておいても彼女は普通じゃない。


「ところで君、名は?」

「お、小田切、りゅ、隆生……」


 つい本名を口にしつつ、偽名で逃れるという思考に及ばず正直に答えた己の美しいまでの純粋さを呪う。


「隆生か、それはそれは。知っているかい、天狗はそもそも『流星』であったという言い伝えがあるのだよ、奇遇だね。ところで隆生、わたしはこちらまで出てきたのは初めてでね、駅から出ることさえ難儀している。この先案内役が欲しいと思っていたところなんだ。どうやら見たところ君は暇そうだし、これも何かの縁だから案内をしてくれないか」


 垂れる髪を耳にかき上げ微笑む天狗は綺麗だったが、その時はむしろ脅迫の圧力を遺憾なく発揮した悪党のそれと大差なく、屈した隆生は「はい…」と小さく頷いてしまった。



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