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疲れてなんていない

 あぁ

 死んでしまいたい。


 いいや、正しくは消えてしまいたいのだ。

 死ぬだなんていう痛みや苦しみ、そんな想像も出来ない苦痛の伴うものを実行する勇気もないのが自分という人間の有様だ。

 だから、消えてしまいたい。

 跡形もなく、砂のように、粉のように、(かすみ)のように、ふっと風の流れと共に存在そのものを消してしまえるならばどれだけ楽だろう。例え俺がそうやって消えてしまったとしても、誰も俺のことなど気にはしないのだから、そんな不遜とも思えることを言ったとしても何ら罪でもなければ悪いことでもないだろう。


 どうせ誰も、俺のことなど必要としてはいない。

 六年務めた会社を辞めた。

 企業イベントブースのディスプレイデザインをしていた。

 成績が悪かったわけでも素行不良でもない、むしろ結果は出していたし主任として抜擢されたのも入社年2の27という年齢を考えれば決して遅くはない。

 それから4年、深夜・早朝の設営、その他もろもろ定時など縁のない残業続き、そんな不規則な生活リズムの中でも必死にやってきて、それなりに楽しんでいた部分もあったし、それなりの評価だってされてきた。零細企業(れいさいきぎょう)ではあったから然程の増収にならなかったのも事実ではあるのだが、それでも仕事自体はまだ嫌いじゃなかった。


 でも、どこかで何かがぷつりと音を立てた。

 それこそ糸の切れたマリオネットのように、だらりと全身の力が抜けた。

 心が全てを放棄した。


 何をどうやっても何も感じない、感情が死んでしまったように何もかもがどうでもよくなった。病院にこそ行ってはいないが、もしかしたらこれが(うつ)というものなのかも知れないと思った。しかし、そう言われるのは流行り病のように思えて何だか嫌だった。


 会社を辞めると言った時、上司も同僚も部下もみんな止めた。

 どうして、勿体(もったい)ない、これからじゃないか、大丈夫なのか、いつでも戻って来い。

 そんな様々な声をありがたいと思ったのは事実だったが、それ以上に俺の中に巣食っていたのは疑念だった。

 俺が居なくなれば誰かが入ってくる。穴埋めはされる。

 その時、その人物が俺よりも劣っていたならば、きっと誰もが俺を懐かしみ惜しいと思うことだろう。だが、そうでなく寧ろ俺を上回る人物であれば彼らはきっと俺の事などすぐに忘れる。

 それは当然の事でもあるし、俺とてきっと同じだ。かつて辞めていった者たちにどれ程の必要性を感じていたか知れないし、気にしている余裕だってない。

 誰もがみな自分のことで手一杯なのだ。組織における人ひとりの価値なんてそんなものだろう。

 究極なくてはならないということは無いのだ。それは厳然(げんぜん)たる事実であり、綺麗ごとで覆い隠すものでもないと思う。


 結局のところ、彼らはみな俺を諦める。

 そんなものだ。それが悪いわけではないし自分だってそうしてきたのだからそれ以上を求める資格だって無いのもよく分かっている。

 そんな中でも何かしらに価値を見出し求めるからこそ人は努力できるのだと思う。

 それは何だっていい、偉くなりたい、美しいディスプレイを創りたい、クライアントの喜ぶ姿が見たい、家庭のため、子供のため、結婚資金を溜めるため、新しい車が欲しい、バッグが欲しい、旅行に行きたい、美味しいご飯を食べに行きたい、誰かの助けになりたい、それぞれに存在する理由のどれか一つにでも情熱を注ぐことができたり、価値を見出せるならば、例え替えの利く部品の一つだと分かっていても活力を生み出すことが出来るのだろう。


 単にそれを見出せなくなってしまったというだけの話だ。

 なにもいらない、どうもしたくない、楽しくもないし、悲しくもない、ただそこにある自分の価値も見出せずにただこの場所に居る。

 そんな無意味な自分がたまらなく虚しいだけの毎日にうんざりした。


 結局、会社を辞めた。


 無意味に存在しているだけの自分の環境が嫌だった。

 一人になった。

 辞めてしばらくは連絡をくれた連中も、ややもすればそれも無くなる。社交辞令を交わしただけの同僚などそれこそ幾らでもいるし、そういう連中とはきっともう関わることも無いだろう。

 貯金はそれなりにあったが、食い潰すだけの生活も問題だったし、叔父夫婦のいる秋田の実家には戻る気もなかったので就職活動は必要だった。


 両親は居ない、まだ幼かった頃に二人とも早くに病で亡くなった。

 叔父夫婦が親代わりだった。叔父夫婦は良くしてくれたが両親の話も理解していたから、思春期を迎えるとどこか息苦しく感じるようになっていった。

 家を出てからも時折連絡はあったが「大丈夫」としか言わなかった。

 何を言ったところで心配を無駄にかけるだけだと思ったのだ。とりわけ裕福な家庭だった訳でもない、そこにきて養子の自分勝手に巻き込んで迷惑をかけたくなかった。

 とにかく全てが億劫(おっくう)だった。

 別に自分が上等な人間だなんて思ってもいないし、むしろ何も無く、くだらない存在だとさえ思っている。結局のところ自分自身が嫌いで仕方がないのだ。

 だからこそ俺は消えてしまいたい。

 そうできたらどれだけ楽か知れない。

 しかし、()まわしきは、それでも死ぬということは恐ろしいと考える脆弱な心だった。


 一体なにをもって本来あるべき自分とするのかは酷く曖昧なものではあるのだが、それでも以前の自分はもっと意欲に満ちた内包する輝きを放っていたと断言できる。

 それを若さと断じるのは簡単だしそう言う友人もいる。だが、そういうこととは違うと思う。もし年齢を理由とするならば自分と同年代の者全てが同様の状態になっているだろう、だが違う。同年代であれ、自分より年配であれ、精力的に輝きを放つ人は幾らでもいるではないか。


 ならばこれは己の心の問題だ。


 自分の何かが上手く循環していないと自覚はあるのに、それを正しい流れに戻すことが出来ない。思考の泥沼に()まった自分は、泥に捕まった負担に耐えられず動けなくなっている。動かなければ沈むだけだ。しかし、動いたならばそれでも沈んでしまうような閉塞感があった。


 職業安定所にも足を運んだ。失業保険の手続きだなんだと面倒だった。

 依願(いがん)退職だから保険など当てにはならないし、してもいなかった。

 無いよりはマシだくらいの気持ちである。

 それでも最低限の生活費は必要ではあったから求職活動はしなくてはいけないけれど、職業検索用のPCで幾ら検索を行っても琴線(きんせん)に触れる仕事は見当たらない。

 選ぶも何も、そもそも何を見つければ過去の自分が取戻せるのか分かったものではない。漠然と応募したところで不採用の印が捺されるだけだろう。

 ほんの少しでも気になる求人があれば内容を開いてみた。

 やはり三十路を過ぎると職はその数を減らす。

 正しく言えば、職はいくらでもあるのだが仕事の幅が圧倒的に減る。若年層のキャリア促進を考えれば当然だし、事実そういった記載は多い。

 まぁそんなもんかと考えながらざっと検索を終えて席を立った。

 周囲には自分以外にも職を探している人は沢山いて、就職難民というのはこんなにもいるものなのかと初めて訪れたときに思った。

 イメージではつまはじきにされたような人々が重苦しい空気をまとっているものと思っていたのだが、実際そんなことはなく、いたって普通の人達に見える。


 これがみんな求職者なのだろうか?

 鬼気迫るものは感じない。むしろ余裕の中で、のんべんだらりとしているようにさえ思えた。今や自分もその一人である。むしろ望んでそうなった。


 あんた達は一体何を考えてここにいるんだ?

 そして俺は何を考えているんだ?

 

 受付に検索ファイルを返却すると職員の女性に「おつかれさまでした」と声をかけられた。

 

 疲れてなんかいない。

 そう思った。


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