天狗の娘、新宿に立つ
ひとひとひとひとひとの群れ!
人が溢れていた。
何かに急かされているのか、みな早足で歩き、あっちやこっちやと蜘蛛の巣を編むように入り乱れ、見ていると目が回りそうだった。
こんな状態でなぜぶつからないのか不思議なものだと十郎坊あまねは思った。
「今日は何かのお祭りか? どこかで秋季大祭でもやっているのかなぁ」
しかし、そんな雰囲気でもなく、なんだか誰もが忙しそうで然程楽しそうには見えない。
祭ならもっと活気がありそうなものだ。
都内は人が多いと聞いてはいたが、これが祭礼と関係なく平素であるなら本当にすごいものである。
それにしても、この場所は天井や壁に囲まれている上に溢れる人で窮屈極まりない。なんだか息が詰まりそうだった。それでも京王線にゆらり揺られて小一時間、ついに初の新宿へとやってきたのだ。念願の都内と思えば多少の窮屈などご愛嬌である。
「ここが新宿かぁ」
無事に改札は出たものの、どうしたら外に出られるのやら。目の前にあるのはお店と左右に階段、右側には通路が延びているようだった。どこを見回しても建物の中である。
「ええい、ままよ!」
思い切って左の階段を上がって進んだ。
電車は新宿に近付いてトンネルに入ったと記憶している、ということは上に向かえば外に出られるのではないかと思ったのである。しかし実際はそう単純でもなかった。
細い道を進むとエスカレーターがあって、更に進むと上下に伸びる階段、奥にはお店らしきものが見える。立ち止まっていても仕方がない、勘に頼ってあっちだこっちだと進んでみたが一向に外に出ることが出来ない。ぐるぐると同じ場所を巡っているようだった。
「これはどうなっているのだ。狸にでも化かされているのか?」
立ち止まり、四方八方と伸びる道を見比べてみるが、どこも同じように人が流れゆき又流れくる。都会というものは複雑なものだと聞かされてはいたが、まったくもってその通り、母の言葉に相違はなかったようだ。
あまねは偶然近くを通りかかったお婆さんを捕まえた。
「そこのご母堂、お急ぎのところすまない。少々お尋ねするけれど外へはどうすれば出られるのだろうか?」
小さなかわいらしいお婆さんは不思議そうにおやおやと顔を上げた。
大きな鞄をごろごろ引いている。把手と車輪の付いた鞄である。
「どちらに行かれるのでしょうねぇ、ただ外に出るのでよければここの階段を上って左に進むと南口に出るわよ。よろしければそちらに行くのでご一緒しましょうか。わたしもよく迷っちゃうのよね」
「おぉ、それはありがたい。お礼にご母堂はわたしがお連れしよう」
そう言うと、あまねは「よいしょ」と一声、小さなお婆さんと大きな荷物をひょいと肩まで担ぎ上げた。
「ちょっと、ちょっとお嬢さん、降ろしてちょうだいな。あたしは大丈夫だから、重いでしょうに、ほら、降ろしてくださいな」
お婆さんは驚いてじたばたするが、あまねにとってはなんでもない。
「遠慮しないでいい。わたしも困っていたところを助けて頂くのだから、このくらい朝飯前だ。外はこっちだな」
あまねはひょいひょい階段を駆け上がり、お祭り騒ぎのような人ごみを進んでいった。
「あれあれ、まぁまぁ」と、あまねの頭にしがみつきながらもお婆さんは愉しそうである。周りの人々は何事かと振り返り、驚いて道を開けてくれるので二人は案外すんなりと外に出た。
老婆と荷物を抱え上げて駆け回る女の子。
その異様な光景に人々は遠巻きにざわついている。
当のあまねはそんなことは意にも介さず、眼前に広がった景色に心を奪われていた。
「おぉぉぉ、外! やっと外! なんだあれ、凄い! でっかい!」
外に出ると目の前に大きな通りがあって車が沢山行き交っている。
それも驚きではあったのだが、その向こうに見える大きな建物たちがあまりに大きくてあまねは驚嘆した。
ここが南口改札よと教えてくれたお婆さんと荷物を降ろす。
「あなた見かけによらずものすごく力持ちなのね、ありがとう」
「これくらいへいちゃら。それでご母堂はどうするのかな?」
そこからタクシーに乗るからと正面に見える建物を指さした。
お婆さんは信号を待ちながらあまねを見上げた。
「ねぇあなた、どこからいらしたの? この辺りの人ではないのでしょ? どちらに行かれるの? 大丈夫?」
あまねは周囲を見回したが一体どっちから来たのかわからないので答えられない。
大丈夫だ、とだけ答えた。
「わたしは十郎坊あまね。高尾山からやってきた! 天狗だ!」
そう言うとお婆さんはにっこり微笑んだ。
「あらまぁ、かわいらしい天狗様がいたものね。どうもありがとう」
あ婆さんはそれじゃあねと手を振って信号を渡っていった。
あまねはお婆さんの姿が見えなくなるまで見送って空を仰ぎ見た。
「ここが都会かぁ、楽しみだなぁ」
快晴天の下、巨大なビルの立つ新宿のど真ん中。
自称・天狗の娘はワクワクしていた。