04.悪魔のランチを邪魔するな
あの魔法学校の入学試験から、ひと月。
私は王都方面に向かう乗合馬車に乗っていた。
仕方なく王立アーチェスト魔法学園に入学するためだ。
祖父母は私が家を離れることを悲しむと思ったのだが……。
どうやら庶民がアーチェストに入るのはものすごく名誉なことらしく、もろ手をあげて大喜びで送り出してくれたのだった。
乗合馬車には一般市民がわんさか乗っているかと思いきや、定員二十人の半分もいない。
小さな女の子のいる三人家族と、商人らしき男二人組、無口な年配の男と、最後に私。
特に私の周りは空席が多い。
私は相変わらず真っ黒な髪をボサっと下ろしっぱなしで爪も黒いし、服も靴も革製のバッグも、全部真っ黒ゆえにちょっとヤバいやつに見える。
髪くらい結ってもいいのだが……長い悪魔生の中で髪など結ったことがなくてなぁ。
というか、私はさまざまな知識を持ち上級悪魔の中でも力のある素晴らしい存在なわけだが、唯一、手先が不器用だったりする。
「今日はなんだか空いてるわね、最近物騒だからかしら」
「ああ。ついこの間もダリスタ港に向かった商隊が襲われたからなぁ」
子連れの夫婦がそんな会話をしている。
確かにここ数ヶ月、馬車や商隊が襲われる事件が多発していた。
さらには貴族の屋敷に賊が入ったという話も聞く。
治安の悪化かと思いきや、そのほとんどが生存者ゼロでみな殺しなもんだから、どこかの秘密結社の仕業だとか、大規模な残虐盗賊団が結成されたとか、色々と暗い噂が流れていた。
「まあこの馬車は大丈夫だろう。なにせ護衛付きのプロスト侯爵さまの馬車も一緒だからな」
プロスト侯爵とはここら一帯を収めるえらい貴族だ。
そのプロスト侯爵家も王都方面に用があるらしく、この公共のボロ馬車とは比べ物にならないくらい立派な馬車が、ピタリと後ろについてきていた。
さらにはその馬車の周りに魔法騎士と思われる護衛が五人も取り囲んでいて、ものものしい。
要人でも連れてるのか?
きっと少しでも賊の襲撃を避けるために、この馬車に同行してるんだな。
つまり私たちの馬車は、何かあった時の弾避けってわけだ。
ま、私は賊など怖くないからどうでもいい。
そんなことより、そろそろランチの時間だ。
先ほどの家族も弁当を出して食べ始めたし、私も祖母の弁当を食べるとするか。
私は悪魔ゆえに食事も睡眠もほとんどいらないんだが、人間界の食事はとても美味ゆえ、基本的に食事は欠かさない。
ああ、人間界は可愛いモンスターもいるし食事も美味いし、マジサイコー。
悪魔も食事をとるにはとるが、魔力を回復させたり高めるのが目的だから、味も見た目もイマイチだ。
頭がくらっとするハーブや、刺激的すぎる香辛料を使うのはまだいいんだが……。
肉や魚はすべて魔物だから見目麗しくない上に、生き血をソースに使ったり、目玉や指なんかのパーツをデコレーションに使ったり、苦悶の表情を浮かべた生首を皿の端に添えたりと、やりたい放題で泣ける。
それを美味い美味いと食べるのが一人前の悪魔の証だなんてふざけるな!
少しは人間を見習えー!
「わぁ! イチゴだ!」
気がつけば私のランチボックスのすぐ向こうに、大きな瞳をキラキラさせた小さな少女がいた。
「こらリリー、こっちに来なさい!」
母親が「見た目がヤバい人に話しかけちゃダメ!」という顔で娘を呼ぶが、少女の目は私のデザートのイチゴに釘づけだ。
「イチゴが好きなのか?」
「えっと……食べたこと、ないの」
恥ずかしそうに答える。
なんと、イチゴを口にしたことがないなんて!
まあ、この地域では少々高級品だからなぁ。
酸味と甘味の絶妙なハーモニー、さらにはみずみずしくも爽やかな香り。
私は密かに果物界のプリンセスと呼んでるぞ。
ああ、なんとか悪魔界でイチゴを育てられないものか……。
「ならばひと粒、恵んでやろう」
「わぁっ、お姉ちゃん、ありがとう!」
少女が嬉しそうに両手を広げ、イチゴを大事そうに受け取ると、駆けつけた母親が大恐縮してお礼を言う。
私は適当にうなづいて、ようやくランチにありつこうとした、その時――。
ヒヒヒーンッ!
突然の馬のいななきとともに、馬車が急停車した。
私はとっさにランチボックスを抱え事なきを得たが、先ほどの少女と母親はすっ転んでしまい、せっかくあげたイチゴは床をコロコロ転がってバランスを崩したおっさんの足でグチャ。
もったいなっ!!
いや、それより、この肌を指すような不快な魔力は……。
異変を感じた私は、すぐさま窓を開け外を見る。
馬車の前の方には、出来たてほやほやの血の海と、その中に倒れている馬たちが見えた。
そして今度は斜め後方、急停車したプロスト家の馬車の前に、一人の男が立ちふさがっていた。
「あれは……魔人族か? なぜこんなところに?」
人間ではあり得ないブルーグレーの皮膚に、オレンジ色の頭髪、さらに頭には先が枝分かれした角が二本。
魔人族とは、悪魔が人間界に自由に出入りできた大昔、悪魔と人間が交わってできた種族だ。
そのため強い魔力と頑健な身体を持つが、悪魔譲りの残虐で残念な性格をしている。
今ではだいぶ数を減らし、国の結界により北西の僻地に追いやられているはずだが……。
「そんな、魔人族だと!? なぜっ……ぐあっ!」
魔法騎士たちが、魔人族の巨大な戦斧であっという間に切り伏せられていく。
魔法騎士達の剣からは火魔法や風魔法なんかが次々と飛び出すが、すべて打ち消されてしまった。
おいおい弱すぎだろ!
まったく歯が立たんな……。
これは魔法騎士が弱いと言うより、あの魔人族が強いんだろう。
私は床に座って泣いていた女の子にもう一つイチゴを渡して頭をなでると、そのまま馬車の外に出た。
後ろから「あれは魔人族だ、殺されるぞ!」という声が追いかけてきたが、心配するな黙って見てろ。
外に出ると、すでに五人の魔法騎士は絶命し、魔人族は馬車から引っ張り出したのか? 一人の少女の首をわしづかみにして持ち上げていた。
首だけで宙に浮かされた少女は、足をバタつかせ真っ直ぐなピンクブロンドをふり乱し、金の瞳に涙を浮かべている。
しかしその表情に悲壮感はなく、怒りに歪められていた。
護衛がみなご臨終なのに、なかなか見どころのある娘だな。
着ているドレス的に、プロスト家か近縁の貴族の娘っぽいが。
歳は今の私と同じくらいか?
「お前が聖魔法を使える小娘だな?」
「はなっ……放しなさっ……!」
首を絞められてろくに話せない娘に、魔人族はニヤリと笑むと、戦斧をゆっくりとかかげる。
あーあ。
まったく、せっかくのランチが台無しだぞ。
私は気配を消して十分に近づいてから、馬車から持ってきていたスープポッドを魔人族に向かってポーイと投げた。
スープポッドとは、人間界の天才的な発明品だ。
魔法を使わずとも温かいスープを温かいまま持ち歩ける、素晴らしきスープ版水筒!
もちろん蓋は外してある。
ゴッ、バシャッ!
祖母特製のミネストローネがなみなみと入ったスープポッドは、魔人族の頭にジャストヒット。
そのオレンジの髪と顔から肩まで、見事にミネストローネまみれになった。
ふっふっふ、私は手先は不器用だが物を投げるのは得意なのだ。
後ろの馬車のギャラリーから悲鳴が上がったから、「声援ありがとう」と片手を上げて応えておく。
そして魔人族に目を戻すと、そいつは頬をピクピクさせながら、ゆっくりとこちらを振り返るところだった。