■月星暦一五四二年十月大祭後三日目③ 〈元従者〉
アリアンナはハイネを連れて、当初の目的だった勉強会の手伝いに行った。
神官長は話し足りなさそうだったが、テネルを呼び、そのまま神官長室を提供してくれた。
サンクは以前ここに居たことがあるとかで、顔なじみに挨拶してくると出ていった。
気を利かせたのだろう。
呼ばれて来たテネルは、眩しそうな顔でアトラスを見た。
「お久しぶりです、アトラスさ……」
言い終わる前にアトラスは立ち上がりテネルを抱擁していた。
「テネル、良かった」
テネルはアウルムとは別に、また兄の様な存在だった。
「アトラス様、重いですよぉ」
笑いながら背中を叩かれ、離すと、いつも見上げていた顔がアトラスより下にあった。
「ご立派になられましたねぇ。聞きましたよ。ご婚約おめでとうございます」
のんびりとした柔らかな口調でテネルは微笑する。
「俺の所為で、申し訳無かった」
「アトラス様が謝られることなど、一片もありませんよぉ」
「でもっ!」
テネルのことはずっと気になっていた。
荷の中にテネルが用意してくれた数々を見つけて目頭が熱くなったのを覚えている。
「アトラス様、わたしはここに飛ばされたのではありませんよぉ。アウルム様が匿ってくださったのです」
テネルはアトラスを長椅子に誘った。
「わたしはアトラス様が出て行かれることを知っていました。わたしだけじゃありません。アウルム様がアトラス様はそうなさるだろうと、読んでいて、その場合は行かせよと予め仰ったのです」
アウルムにはばれていたのかと思うと、今更ながら恥ずかしくなる。
「勿論、大神官さまは渋りましたよ。でも、タビスの意思は女神の意思でしょうと言われたら、神官は従うしかないですよねぇ」
当時の大神官の顔でも思い出したのか、テネルはくすくす笑う。
「わたしは、旅の間もアトラス様を陰ながら護衛するはずでしたが、白の砂漠にはどうしても入れなくて、そこで見失ってしまいました。短い尾行でしたねぇ。五大公の皆様も怒る訳です」
「いや、あの砂漠は危険だから、入らなくて良かったんだ。テネルは悪くない」
砂漠に入って何とも無かったのはさすがですねぇとテネルは言うが、あんな場所は入れる方がおかしい。
「わたしはそこ迄でしたが、お役目は引き継がれましたし、大丈夫でしたよぉ」
「ん? 引き継がれた?」
砂漠の果てでレイナを拾った後は、そのまま竜で移動した。
飛ぶ生き物を追いかけるのは、物理的に難しいはずだ。
「アトラス様、歴代のタビスが必ずしも月星人とは限らないこと、ご存知でしたか?」
「違うのか?」
月星の女神の代弁者だというから、月星人だと思い込んでいた。
「居たのですよぉ。他国出身の者が一人。百五十年前位でしたかねぇ。それまでも他にもいたのかも知れない、みすみすタビスをお迎え出来なかったのかも知れないと、時の大神官さまはお考えになりましてねぇ。信徒を月星以外のあちらこちらに派遣したのですよ。お刻印のある子どもが産まれたらすぐにわかるように」
テネルは神官長が用意していった茶に気づき、冷めちゃいましたねぇと笑いながら注ぐ。
秋だというのに暖かい上、大層な衣装を着こまされているアトラスとしては温いくらいが有り難い。
テネルはのんびりしているようで、そこまで読んで行動しているような細やかさがある男だった。
「……アウルム様は、神殿の情報網のことをご存知でしてねぇ。神殿はタビスの為なら動きますから、要請したのですよぉ。アトラス様を見かけたら教えよと。でも決して邪魔をするな。可能なら便宜を図れ、危険なら護れと。でも連れ戻せとは一言も仰らなかったのですよぉ」
「見つけ次第連れ戻せという触れは?」
それは城からのものだとテネルは説明する。
「お城の捜索隊の方々は躍起になってましたからねぇ。アウルム様もお立場上、否とは言えなかったようです。でも、神殿の情報はお城の方には黙ってくださったのですねぇ」
アトラスとしては苦笑するしかない。
あの旅も結局はアウルムの庇護の元、安全を確約されていたということだ。
「良いお兄様でございますねぇ」
「まったくだ。俺には勿体ない兄だよ」
アウルムは現在進行形で無くても動行と無事は把握していたということだ。
竜護星に滞在していたことも知っていて干渉せずにいてくれた。
その上で、事態が動いた時にはヴァルムに対処するよう書簡を持たせ、予め手を回していたのだろう。
ありがたいとしか言いようがない。
テルムの入れてくれた茶を飲みながら、結局アウルムの話しかしていないことに気づく。
「ここでの暮らしはどうだ?」
この街区神殿は北西の端、一番死者の都に近い所にある。
五大老が街に出ても中央神殿か、街道に続く城門側の街区神殿位にしか寄らないだろうから会うことはあるまい。
「街区神殿は子供と接する機会が多いので、楽しいですよぉ」
テネルは温和な顔を更に和ませる。
「そういえば子供好きだったな」
当初アトラスの担当になった経緯も、そこに重点が置かれたはずだ。
こんな可愛げのない子供相手はさぞ大変だっただろうと、今更ながら申し訳なく思う。
「アトラス様付きになったサンク、良い子でしょう?」
テネルはサンクのことをなんだか嬉しそうに語る。
「あの子は、二年前までここにいたのですよぉ。ちょっとやんちゃですが、もの覚えの良い子でねぇ、私が自ら色々仕込みました」
「だから、あの手腕か」
妙に納得した。
のんびりとした口調に似合わず、テネルは無茶苦茶強い。特に得物を使わない技術に長けており、勝てた例はない。機転が効く上に素早い。
だからアトラスの護衛を任されていたのだろうが、そのテネルが稽古をつけたとあらば、という感じである。
「サンクはきっとお役に立ちますよぉ。ぜひ連れて行ってあげて下さいねぇ」
どこに、とは言わなくても意味は判る。
正直言って、来てくれれば助かる。竜護星は護衛を任せられる程の人材の層が薄い。
良いのだろうか、と、アトラスはどうしても考えてしまう。
サンクにも月星で生き、培って来た土台がある筈だ。
アトラスが言ったら、従わないわけが無い。
女神信徒の思考はそういう風に出来ている。そこにサンクの意思はあるのだろうか。
「サンクから、アトラス様付きになったことを喜ぶ手紙を貰いました。あなたから言ってもらえたら、サンクはきっと嬉しいです」
アトラスの考えることなどお見通し、という顔でテネルは頷く。
「アトラス様、このテネルはアトラス様がタビスである前にヒトだとちゃんと解っていますよぉ。ヒトとしても素敵な方だと言うことも。サンクはまだ日が浅いですが、それも踏まえて喜んでいましたから、大丈夫です」
聞いていて、こそばゆくなってきた。
アウルムにしろ、テネルにしろ、タウロにしろ、アトラスが思っていた以上にアトラスの事をよく解ってくれていた。
アトラスは理解者に恵まれていたのだと今なら解る。
どうせ誰にも理解されないと、決めつけていたのは自分自身だった。
自分だけで背負わなければと思い込んでいた。
勝手に自分を追い詰めて、勝手に苦しんで、どうしようもなくなって逃げ出した。
内ばかり見て、見えなくなって、気が付かなかった。
話せることは話せば良かった。
独りで抱え込む必要なんてなかった。
無理なら無理と言えば良かった。
辛いなら辛いと言いさえすれば、状況を改善するように、動いてくれただろう人達がいた。
そんな単純なことに気づかない程、当時は子どもだったのだと、今なら解る。
「感謝する、テネル。逢えて良かった」
無意識に笑みが漏れていたのだろう。入って来たときの様に眩しそうにテネルは目を細める。
「笑えるようになったあなたに会えて、わたしも嬉しかったですよぉ。またお寄りくださいましねぇ」
そしてテネルはにこやかにとどめを刺した
「あと六箇所? 視察、頑張って下さいねぇ」
「うっ……」
こんなに派手な訪問になったことを忘れていた。
こうなってしまったからには、他の街区神殿にも行かざるを得ない。
アリアンナを巻きこめないかと、アトラスは本気で考えた。彼女は月一で街区神殿を周っていると話していた。
タビスという肩書は、やはり面倒くさい。




