■月星暦一五四二年十月大祭後二日目③〈隣の住人〉
図書館に着くと、適当な書員に声をかけて館長を呼び出してもらった。
館長のリベル・クニーガーは温和な顔に笑顔を浮かべて転がるように出て来た。
籠って本ばかり読んでいる為、少し体型は丸い。
「お帰りなさい、殿下。お久しぶりでございま……す?」
何か引っかかったのだろう、リベルは不思議そうな顔をした。
「約十ヶ月ぶり、かな」
ニヤリと笑ってみせるアトラス。符合したのか、リベルは破顔する。
「そういうことでしたか。いやはや、いつぞやは気が付きませんでした」
ユリウスの剣を探す際、調べものをするのにこの図書館を利用した。
禁書庫を利用するには、館長の許可が要る為顔を晒したが、リベルは彼を王と誤解した次第だ。
「何を調べるにも、ここの蔵書が一番だからな。助かったよ」
「そうでしょうとも!この子達も殿下のお役に立てて喜んでいることでしょう」
本好きが高じて館長におさまっているだけあって、リベルは我が子の様に本を語る。
「今日も御覧になりますか」
「ああ、資料を集めたい」
「では、書員を付けましょう。申しつけください」
膨大すぎる蔵書の中から目当を探し出すには、書に通じた者がいると心強い。
「助かる」
※※※
資料を運んでくれた書員を労って帰すと、玄関とは反対側の下の神殿への階段に近い方の隣室に近づいた。
「今日はもう出ないから、休んでいいぞ」
声をかけるとがたん、と大きな音がした。
「大丈夫か?」
隣室との間の扉を開くとサンクが足をさすりながら、座り込んでいた。
「知って……」
「俺に護衛がいないわけないしな」
苦笑いで立たせてやる。
「それに、その部屋は昔から護衛の為の部屋だったし」
朝、プロト少年の来る頃合いが続け様に完璧すぎた。
誰かが部屋を伺うまでは行かなくても、気配を気にしていなければ難しかろう。
そちらから感じ取れる気配なら、こちらからも感じられる。
解った上ならば、一日中つかず離れず付いてくる存在にはすぐに気づいた。
それがサンクであることも、前日隊舎で顔をあわせていたから判っていた。
「見つからないようにと言われていたのかい?」
「申し訳ありません。殿下の邪魔にならぬようにと言いつけられていました」
「ご苦労さん。構わないから明日からは堂々と付いて来なさい」
護衛は要らないとは立場上言えない。ならば、普通に付いてきてもらった方が気が楽である。
「この部屋に移ってきたのは最近?」
「はい。殿下のご帰還にあわせて」
「そうか……」
部屋を見回して、アトラスは言い淀む。
「殿下?」
「……前にこの部屋を使っていた者は、どうなったか知らないか?」
「テネルのことですね」
「知ってるのか?」
物心ついた頃からずっと護衛兼従者だった青年。
一番近くにいたのだ。
立場上、テネルはアトラスを止めねばならなかった筈だ。だが、テネルは黙認した。
旅立つ際に持って行った荷物には、アトラスが用意した物以外にも色々と役に立つものが入れられていた。そんなことが出来るのはテネルしかいない。
サンクはふるふると首を振る。
「殿下、当時あなたがここを出ようとしていたこと、大神殿の一部の者は知っていました。『あなたが出ていくなら邪魔をせずに行かせろ』と仰ったのは陛下です」
「兄が?」
「はい。それが殿下の意思なら即ち女神の意思だと、大神官を説得なさいました」
女神の意思と言われたら神殿側は阻めない。
「テネルは旅に出た殿下を、つかず離れず護衛し、動行を報告する筈でした。しかし、彼は白い砂漠に入って行った殿下を追えませんでした。どうしても足が進まず、砂漠に踏み入ることが出来なかったと」
かつて、ユリウスの剣があった白い砂漠は魔物に覆われている。正常な人間ならば近寄れなくて当然である。
「暫く白い砂漠付近を捜索したそうですが、完全に見失って空馬だけを連れて帰還したのが一週間後。護衛失格と、任務不履行の咎でここを追放されました」
「俺の勝手な振る舞いで、悪いことをしたな……」
アトラスの行動一つで、人一人の立場や人生がを簡単に変わることがある。
解っていた筈だったが当時はそれ程迄に気が回らなかった。
アトラスは痛ましい顔をする。
「五大公の皆様が大層ご立腹されて、そういう形に陛下がなさったんです。大丈夫ですよ。実際は元気にやってますから」
見てきたように言うサンク。
「会いに行かれますか?」
「まさか、ここにいるのか?」
「この街にいます」
サンクは微笑んで断言した。
部屋イメージ図




