■月星暦一五四一年七月⑥〈連行〉
エブルと黒髪の兵士に挟まれたまま謁見の間を出てすぐ、王の後ろに控えていた小柄な男性が声をかけてきた。
「モースさま」
「エブル、代わります」
エブルは何か言いたげな視線を向けたが、あっさりと下がった。
エブルが視界から消えるまで見送ると、男性はアトラスに向き直った。
「モース・コル・ブライトと申します。ご案内いたします」
いくら黒髪の兵士がいるとはいえ、アトラスが黙って従うのを疑っていないのか、モースは背中を晒して歩き出す。
「エブルは我が一族の末席なのですが、まだまだ若く色々至らない子でしてね。ご迷惑をおかけしたのでなければよいのですが」
言いがかりで捕まえておいて、迷惑以外の何ものでもないのだが、モースの態度はとても囚人を連行するものではない。
そもそも一介の旅人に対するものでもない丁寧な口調。
面白くなってアトラスは会話に付き合うことにした。
「あれで軍官というのは無理があるんじゃないのか?」
「エブルは医官として育てていたのですが、何分人手不足でしてね」
優秀な副官でも欲しいところだとぼやくモース。
妙に人好きのする態度で接してくる。
「ペルラってのもエブルの関係者だよな?」
「エブルの姉にあたります。あの娘は幼少の頃から《《彼の方》》をお慕いしていましてな。それが拗れて今では愛妾まがいのことをして、お恥ずかし限りです」
一族の長的な立場なのだろう。気苦労が多そうなのが伺えた。
「あの娘が、お連れ様をどうこうすることはありえません」
妙な言い回しで断言し、ちらりとアトラスを見やる苔色の瞳には、含むものがあった。
華美ではないが上品な設えの廊下を抜けて、無骨な石造りの階段を降りる。
看守室に行き当たったので、行き先が牢なのは間違いないらしい。
アトラスの荷物と剣が置かれているのが確認できる。
中にいた看守は二人。
モースを見ると同時に頭を下げた。
その動きには乱れが無く、だが感心できると言うよりは、揃いすぎていて気持ちが悪い。
この二人の目も生気が無い。
看守室の前を通り、格子扉を開錠した先には、石壁と格子で囲っただけの空の牢が並んでいた。
路の左側は一面石壁で、随分と高い位置に細長い窓が伺える。
壁越しには流れが速い水の音がする。
この城は渓流沿いに建っていたと、竜の背から見たのを思い出す。
牢は随分と使われていないらしく、どこもキレイに掃き清められていた。
足音の響く通路を進みながら、モースはアトラスに問いかける。
「お客人には、この城はどう見えますかな?」
「人が少ないな。そして二種類の人間がいる様に見える」
「実際、いないのですよ。この五年で随分減りました」
敢えて情報を漏らしているのだと感じたアトラスは、踏み込んだ質問をしてみる。
「あのレオニスというのは本当に『王』なのかい?」
「どうでしょうか」
苔色の瞳がひたとアトラスを見詰めた。
「きっとあなた様なら見極められるはず」
「それはどういう……」
意味だと問い終える前に、モースは最奥の重厚な扉を示した。
「こちらでございます」
【小噺】①
名前の由来①
アトラス(Atlas):『天球を背負うアートラス』より。
伝令神ヘルメスのおじいちゃんって案外知られてないですよね。
レオニス(Leonis):獅子座の一等星『レグルス』の別名。
ペルラ(Perla):真珠 パールの別名
エブル(Ebur):象牙 アイボリーの別名
ふたりとも白っぽいイメージなので。
別名というより、別国語?