■月星暦一五四二年十月⑥〈階段〉
「ここは、この街で最古の建造物なんだ。月星人がこの地を拓く前から、この地に生きづいてきた人達が、岩をくり抜き、空間を作り、机や椅子、寝台、棚に至るまで削り出して生活空間としていた。その時代、遠くから木材を運んでくるよりも楽だったのかもな」
細く長い、削り出したままの階段を登りながら、アトラスは語る。
「後に、修行を兼ねて、神職者が更に部屋を削り出して住居とするようになった。涼しくて意外に快適なんだ。さすがに削り滓が落ちてくるので、今は漆喰で塗り固めるそうだが」
それが何年も何十年も続いてきた現在、中は非常に入り組んで、正確な地図は描けないという。
「もしかして、私達が到着する迄の間、ここに紛れていたの?」
レイナの指摘にアトラスは頷く。
「よく判ったな」
「快適だと断定で語ったじゃない」
気付いてなかったと笑うアトラス。
時々交わされるこういうやり取りに、ハイネは入れない何かを思い知らされる。
「こちらで過ごされていたのですか?」
口を挟んだのはプロト少年。
驚きと口惜しさとが混ざった色が口調に滲み出ている。
「知っていましたら、神官総出でおもてなし致しましたのに」
自分が絶対お世話を願い出たのに! という思いがだだ漏れている。
「事情があってな、俺が戻っていることは最小限に留める必要があったんでね。知っていたのは中央神殿の神官長をはじめ数人だけだ」
巡礼者が神官の生活体験をするのに使われる区画がある。
そこに紛れさせてもらって拠点としていたとアトラスは説明する。
「神官長には上との連絡や根回しやらと、色々準備を手伝ってもらっていたんだ」
アトラスが二ノ郭に出入り出来たのも、神官の通行証を融通してもらっていたからだ。
実際には一の郭の王立セレス神殿まで行ける通行証だが、さすがに顔を知るものが増えるので、行ってはいない。
何段登り、何回曲がったか分からなくなった頃、階段の先に木戸が現れた。
解錠した扉の先には、ここ迄の荒削りで質素な空間とはうって変わって豪奢な廊下が続いていた。
鮮やかな青い絨毯が敷かれた廊下に、細やかな彫刻が施された石柱。ずっしりとした、絨毯と同色のカーテンには銀糸で刺繍がなされ、等間隔に置かれた白磁の花瓶には、立派な薔薇が生けてある。
この場所がどこなのかを悟ったアリアンナとヴァルムが、苦虫を噛み潰したような顔で扉を振り返る。
廊下側から見ると、周りと同様の色に塗られた扉で、とてもそんな階段に通じているようには見えない。
廊下の、向かって左側は窓のみが規則的に続き、右側にだけ扉がある。
二つ目の扉の前で、見習いの少年は足を止めた。
アトラスを見上げて尋ねてくる。
「こちらでお待ちになりますか?」
「……そうだな。そうさせてもらおうか」
「では、わたしは大神官様を呼んで参ります」
少年は扉を解錠し、一行が入るのを待って、立ち去った。
それまで黙って後をついてきたアリアンナの従者が少年に同行する。
念の為、見張るつもりらしい。
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