■月星暦一五四二年十月④〈街歩き〉
翌日、ヴァルムが月星の衣装を手に離れにやってきた。
「まだ日数はあるし、せっかくだから少しアンバルの街を見てきたらどうだい?」
そう言ってレイナに手渡したのは、城下を歩く際によく用いられる、フード付きの丈の短い外套である。
「祭の本番は満月の夜だけど、上弦の半月を皮切りに街中が文字通りお祭り騒ぎさ。中々見ものだよ」
「でも……」
竜護星から連れてきた者たちは、交代で街に繰り出しているがレイナ本人は行っていない。
レイナが好奇心と困惑の混ざった複雑な表情でアトラスを見やる。
「いいんじゃないか。結局六年前はアンバルに足も踏み入れていないのだろう? これも社会勉強さ。俺は従者のフリでもしよう」
「それはどうなんだ?」
ハイネが呆れた様にぼやく。
「この時期は警備も強化されている。治安は保証するよ」
「そうでなくて! 話題の人物が堂々と城下を歩いていちゃいけないだろう?」
「大丈夫だろう。街中で、まさか目の前にいるのが本人とは普通思わない。連中がタビスと聞いて思い浮かべるのは黒衣の少年剣士だし」
「……まあ、警備の中にはアトラスの顔が判る者もいるだろうけど、一人二人『見かけた』と言わせた方が、噂の信憑性も増すんじゃないかな」
ヴァルムも追従して同意し、果たしてヴァルムを除く三人は祭で賑わう城下に繰り出した。
アンバルの街の一ノ郭、ニノ郭を除いた部分は大きく八つの街区に分かれている。
内、城の西側は切り立った崖状に落ち、陽も当たらない。この場所には人は住まず、通称死者の街と呼ばれている。つまりは墓地区画である。
月星では陽の沈む西は夜への入口という考え方がある。
夜は月の女神の領域である。人は死んだら女神の懐に還るというというわけである。
死者の街は城壁で囲われており、通常その門は葬儀以外では開かれないが、この時期だけは毎日一刻程開放される。
故人への花を手向けられる為、遠目からは一面の花畑のように見える。
アキマンの屋敷から坂を下る途中で嫌でも目に入る為、アトラスは二人に説明した。
これも竜護星には見られない、文化の違いというものだ。神の概念が無い彼らの国では、生き物は大地に還る。
残りの七つの街区には、門前広場に隣接する中央神殿とは別にそれぞれ街区神殿と呼ばれる神殿が配置されている。
各街区神殿は、祈りの場であると同時に集会所であり、学び舎であり、祭り中は各街区のまとめ役となる。
休憩所やバザーの会場としても参加している。
通りという通りには様々な出店が連なり、花や果物、麦などを使ったリースが飾られ、月に纏わる旗が所狭しとはためいている。
目抜き通りには趣向を凝らした何台もの山車が練り歩く。女神や鳥を模したものから、タビスらしき少年が勝利をおさめるからくりが仕込まれたものまである。
「こんなにに賑やかなのね!」
「お嬢さん、祭りは初めてかい?」
レイナの言葉を聞き止めて、串焼き屋台の店主が気さくに話しかけてくる。
「今年は格別さ。なんたって、あの、タビスがお戻りになる記念の年だ!」
「噂でしょ。でも、誰も見た人はいないって聞いたわよ」
隣の店を見ていた女性が口を挟む。
竜護星の国主がアトラスを送ってきたという話がある。しかし、月星王との面会時に彼女はアトラスを伴っていなかった。入国時の審査でも見かけなかったという証言がある。
海風星が匿っているという噂もあるが、五大公の一人カームが認知していない。
すでに入城しているという話も聞こえてくるが、王女アリアンナが不在を明言している。
アトラスの姿を見た者は居ない。
戻ってきているという噂だけが一人歩きをしている。
女神の大祭にタビスが還る――これを喜ばない月星国民はいない。
噂の域を出なくても、それだけで盛り上がりが増す。
「もう、戻られているって話ですよ。なんでも、俺の従兄弟はお姿を拝見したとか」
当の本人がしれっと口にする。
「ほらみろっ、タビスは戻られているんだ」
気を良くした店主は、串焼きをおまけしてくれた。
「うまいな」
「甘辛くて香ばしいね」
鶏の串焼きを頬張る二人にハイネは苦笑する。
まさかこの二人が件件の英雄と件の国の国主とは誰も思うまい。
五年も市井に紛れて旅をしていただけはあると、ハイネは妙なところに感心していた。
屋台の食事に手を付ける勇気はハイネには無い。
喧噪を抜け、街が見渡せる丘まで戻って来た頃には日は傾き、空の高い位置には膨らみかけた白い月が姿を現していた。
「美しい街だろう?」
夕陽を受けて、茜色に屋根が輝いている。
「そうだね。これが、君が護った街かぁ……」
「俺が護った街?」
不思議そうに、アトラスはハイネを見やる。
「最初の放火以外に街が戦場になったことはないぞ?」
「ハイネはそういうことを言ってるんじゃないわ」
レイナが笑う。
「あなた達が頑張って外で食い止めたから、戦禍が街に及ばなかったと言ってるのよ」
「そんな風に考えたことはなかった」
再び街を振り返る眼差しが柔らかい。
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