□月星暦一五四二年七月⑪〈本音〉
□ペルラ→レイナ→ペルラ
「やっぱり、アトラスは月星に戻られてしまうのかしら?」
ペルラ額にかかる髪を掻き上げながら、半年ほど前に夫となった人物の顔を見上げた。現在は一の郭にあるファルタンの屋敷を住居と構え、暮らしている。
「どうも、そのお姫様は、手強そうだし……」
アリアンナは魅力的な女性だった。
今日のお茶会では、如歳無く集まったお嬢様方の好奇心を満たしていた。優雅に、過不足無く。そして、情報もさり気なく引き出していく。
王女の頭には、竜護星の勢力図やその場に居た女性陣の顔と名前は完璧に頭に入ったはずだ。
レイナに好意的でない者やアトラスに懸想している者、ペルラへの見え隠れする嫌悪。そんなものまでも把握したように見えた。
その上で、アリアンナは兄を連れて帰る意志を示した。完璧な微笑を浮かべながら、およびでないとお嬢様達を牽制した。力の差を魅せつけた。
ペルラもまた、会話の中でアトラスの経歴と立場、月星人が彼に求めるもの。タビスという存在の意義は概ね把握していた。
「我々としては、月星との関係を築き、損なわないための最善の方法を考えなければなりません」
ライの沈着な口調に同意するように、ペルラは小さくため息をもらした。
アトラスがいなかったこの半年間のレイナの落ち込みようを思った。
外交よりも、彼女の精神状態の方が気にかかる。
この半年はそれでも必ず帰ってくると信じていたからあの程度ですんでいたような気がする。
ライがふと口をつぐんだ。誰かが来た気配。
ノックを聞く前に扉を開く。侍女が控えめに女王の訪問を告げた。
レイナは供も付けずにお忍び姿だった。一見少年のように見える。
ライが頭を抱えた。
「レイナ様、せめて誰か共を付けてください」
「門までエブルに送ってもらったわ」
「エブルなんか、盾ほども役に立ちませんよ」
姉はなかなか手厳しい。
ライも腕の立つ人材を早急に専属で護衛につけねばとため息をつく。
「お邪魔してごめんなさい」
食後、夫婦で寛いでいる時間帯である。
「談笑していただけですので、お気になさらず」
にこやかな笑みを持ってライはレイナを招き入れた。
レイナは促されるままにソファに腰を下ろすと、単刀直入に切り出した。
「やっぱり、あなた達もアトラスは戻ると思っているわね?」
「でも、アトラス様は月星に戻るとは言ってませんよ?」
だが、裏を返せば戻らないとも言っていないのだ。
うつむくレイナ。
いつになく元気がない。
ペルラはライを見た。
彼はうなずき部屋を出ていく。
※※※
臣下ではなく友人としてのペルラと話をしにきたレイナは、ライがいなくなったとたん態度を崩す。
「なんか、居場所がないのよ」
「何を言ってるの? あなたの城でしょうが」
ペルラはレイナの隣に腰を下ろした。
「……アトラスは今まで全然自分の事を話してくれなかった。必要になったら話してくれるって信じてたから聞かなかったのに。あんな暴露の仕方。突然王子だとか英雄だとか言われたって頭がついていかないよ。それに妹って……」
一気に吐き出すレイナ。握りしめた拳は震えている。
「モースもモースよ。気づいていたなら教えてくれたっていいじゃない!」
「レイナ」
公の場でなければ敬称も何も要らない。
そう願うレイナの気持ちを汲んで、ペルラは昔のままに彼女を扱う。
「アトラスが自分のこと言ってくれなかったのは、あなたが記憶を喪っていたから。自分が分からない人に話すのは酷だから、という配慮だったとは考えられないの?」
レイナはびくりと身体をふるわせた。
「そういう人でしょ。いつもあなたのこと一番に考えてくれてるじゃない?」
「でも……」
「それに、モースは慎重な人だから、憶測は口にしないわ」
違う?そういってペルラはレイナの顔をのぞき込んだ。
□□□
違わないと、レイナは答えることができなかった。
「あの五年間、旅の間だったら迷うことなんて無くそう言えたのに……」
自分を気遣う氷青の瞳からレイナは目をそらした。頭をかきむしり、顔を覆う。
「私だって、そう信じたいよ!でも不安なの。怖いのよ……」
半年前、急に出かけた時もモース経由で聞いた。
直接聞く機会がなかったことも悔しい。
あの青灰色の瞳が見つめるものを知りたかった。
それが自分であってほしかった。
レイナがそう思うようになったのは、いつの日からだったろう。
「私、アトラスに家族がいるなんて事、考えたこと無かった……」
いつも振り向けば彼はいた。
多くを語らず、したいことを支えてくれた。何をすればいいのか悟らせてくれた。
それが当たり前だっだ。
アトラスがそこにいることが通常になっていた。
だから、半年の間はいないことが不安で仕方がなかった。
そして今は、いなくなるかもしれないことが不安だった。
レイナは顔を上げた。
その瞳は少し潤んでいた。
「アトラスを帰したくない」
その願望の出どころを、レイナはすでに自覚していた。
□□□
ペルラは黙ってうなずいた。
知っていた。
おそらく、当人とアトラス以外の誰もが気づいているであろう事も。
「でも、私はそれを口にしちゃいけない」
レイナはその立場になってしまった。
哀しいかな、竜護星は辺境の小国でしか無い。
こうして月星の王女が訪問していたとしても、ファルタンが貿易で伝手を持っていたとしても、国同士で正式に国交がある訳では無い。
かつてあったというだけだ。
ペルラはレイナが何を恐れているのか、気づいてしまった。
レイナも歳頃の娘である。
今はまだ時期ではないとモースが握りつぶしているが、縁談が無いわけではない。
王であり、唯一『アシェレスタ』の名を持つレイナ。いずれは伴侶を得て子孫を残さねばならない立場にある。
モースの亡き娘夫妻はハイネをレイナの夫にするつもりでいた。
ペルラの両親だってエブルを相手にと言い出したかも知れない。
ファルタンの当主は計算高い御人である。王の夫にと、当初はライをあてがうつもりだったかも知れない。
大国月星は友好でありたい国である。
この先、王であるレイナは月星に赴くこともあるだろう。
アトラスは月星の王子。
その時、見知らぬ女性の隣にいる彼を平静に見られるだろうか。
誰かの隣にいる姿を見られて平静でいられるだろうか。
要はその覚悟が無いのだと、行き場の無い想いを持て余している。
「レイナ、私はケイネス様のことは今でも愛しているわ」
たった半年でライと結婚したペルラを節操がないだとか、尻軽女だとか、未だ陰口を叩く者はいる。
レオニスの愛妾だったという事実は一生ついて回るだろう。
それでも、ケイネスを愛したことに後悔はないとペルラは今でも胸を張って言える。
一人後ろ指を指されながら生きていくことに恐怖が無かった訳はない。
ライの申し出に、都合が良いと思わなかったといえば嘘になる。
初めはお互い計算だったかも知れない。
ライは実家に言われただけだったのかも知れない。
だが、ライはライなりの形でペルラを気遣い、大切に扱い、優しさを持って見てくれていることを知ってる。
「私はライのことも、ちゃんと愛しているの」
ペルラの言葉にレイナは一瞬ぽかんとした顔を見せ、次に赤らめた。
レイナには早かったかなと苦笑する。
女は時に強かなのだと、欲しいものは強かに手に入れろと、この大切に大切に育てられてきた純朴な少女に教えて良いものだろうか。
ペルラは気づいていた。
一つだけあるのだ。
前提を覆せる切札と、それを使うことができる人物がいることに。
「レイナ」
きっと、その人物なら応えてくれる。そう信じてペルラは言葉を紡ぐ。
「お別れをしなければならないのなら、ちゃんと思い出を貰いなさい」
これから何が起ころうとも、それを胸に生きていけるでしょうと、ペルラはその手段を囁いた。
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