■月星暦一五四二年七月⑩〈距離〉
微かだが違和感はじんわりと、浸透していった。
接する人間が急によそよそしくなり、態度がぎこちなくなっていく。遠巻きな視線が痛い。
アトラスの立場が居候から客人に切り替わったことを意味していた。
仕方が無いので、食事等はアリアンナと取るようにし、むしろ積極的に兄と呼ばせて周囲に聞かせた。
さすがにアリアンナの前で質問攻めにしようという強者はいない。
レイナは連日、会議に駆り出されていた。
噂を聞きつけて、各地から領主や主要人物が押し寄せている。
国に関わる一大事ということで、本気で竜護星を憂いて駆けつけた者以外にも、こんなに国を考えているのですよと自己開示《自己アピール》をしに来ている者もいるが、結局はアトラスという人物を軸にどう月星と関わっていくかが焦点だ。
これを機に月星との関係を強化させよという意見があれば、月星に取り込まれる前に早々に送り返せと言う者、いっそうのこと婚姻を結べと言い出す気の早い者もいる。
本来なら、こういう事がアトラスの耳に入ってはいけないのだろうが、しれっと話して行く変わり者がいるのだ。
さすがに始めから気づいていたとあって、ライ・ド・ネルト・ファルタンは態度を変えずに接してくる。
自身もファタルの領主の息子で、その代表として宮仕えする立場なのだが、少し特異な考え方をする。
貿易で栄える港街ファタルの商才があってこその竜護星で、彼らには自分達が国を支えているという自負がある。
「今から論じても無意味だと思うのですけどね」
ライは言う。
「貴方を帰すにしろ、送り届けるにしろ、まずはアリアンナ王女にどう取り次いで貰うかでしょう。彼女は『遊学の途中、《《偶然》》貴方を見つけた』んです。《《正式な使者では無い》》」
二人は、中庭の一角にある東屋で飲んでいた。
計算の上で整えられた庭には、所々にこういった椅子と卓が設置されている。
そのうちいくつかは、姿は見えるが声は届かない作り、姿は隠れるが声は通る作りなど、一見判らない細工がされている。
今居るのは勿論、内緒話にうってつけの所だ。
「レイナの様子は?」
「レイナ様は、端的に言うと『苛立って』ますね。周りがうるさいので、じっくり消化する時間が無い様で。また、ハイネさまはあれから姿を見ていません。聞いた話では、部屋から出てこないとか」
「具合が悪いのか?」
「そういう話は聞こえてきません。完敗を悟っていじけているんじゃないですか」
「どうしてそうなる?」
「どうしてって、レイナ様の自称元許嫁で本人は貴方と張り合っていたつもりなのですから。ブライト家とはいえ、所詮辺境の小国の一貴族に過ぎません。大国月星の王子さまとは立場が違います」
くくっと笑うライ。
「それから、モ―スさまは先走る連中をなだめていますよ」
ライは酒を飲む手を休めて、ふいに真面目な顔でアトラスを見やった。
「モ―スさまを責めないでやってくだざい。あの方は最初から貴方のことを案じていたのです」
「ん?」
アトラスは視線だけで、どういうことか問う。
「あの方は、傷の治療の時にその右腕の刻印を見て貴方が誰なのか気づいた。月星の第二王子といえば、現王即位直後に失踪中。出奔理由はともかく、その期間が五年にも及んだのには間違いなくレイナ様が絡んでいる。ならば、その失踪に理由をつけようとあの方は考えた。だから、積極的に貴方を手伝わせたのです。いつまでも貴方の素性を隠し通せるものではない。いずれ明らかになった時、国の再建に貢献した英雄にまで祭り上げてしまえば、月星といえども無視はできないでしょう。通常なら、知識や技術等の漏洩で罪にも問える部分ですが、幸い貴方はタビスだ。いざとなれば『女神の意思』で切り抜けられる……」
「だが、それは……」
「ええ。勿論、打算がなかったとは言いません。この国は弱体化していましたし、立て直しが必要でした。堅固な後ろ盾があればなお結構。でも、貴方を救おうとした行動もまた、本当なのですよ」
ライは杯に残っていた酒を仰ぐ。
「貴方は、レイナ様の母君、前王セルヴァ様には、未来視の能力があったというのを聞いたことはありますか?」
「ああ、アシエラの再来とか言われていたんだろう。だが、予知ができたなら、レオニスの反乱は防げたんじゃないのか?」
「セルヴァ様の能力は、伝承にあるアシエラの能力とはだいぶ違っていたようです。視たいと思って視られるものではなく、知りたいことばかりが分かるわけでもなかったとか。誰かが視た未来を見せられているといった方が正しいと、常々仰っていたそうです」
視えた事柄は、然るべき者に報せることが、自分の義務だと自負していたという。
「レオニスが騒ぎを起こした時も、何かを視たらしい。詳細を伝える時間はなかった中でモ―スさまに遺した言葉は、『何としてでも生き延びて娘を待て、タビスを頼む』だったそうです」
それからレイナが現れるまで、モ―スはレオニスに従う振りをして、周囲を欺きながら待ち続けた。
自分の息子夫婦が処断されるのすら無表情に見つめ、淡々と任務をこなす一方、レオニスに隠れて一人でも多く救おうと画策していた。
孫のハイネを早々に牢に軟禁したのも護る為だった。
「……お前さん、いつからモ―スの共犯者だったんだ?」
「共犯者だなんて、人聞きの悪い」
ライは苦い顔を浮かべて、遠くを見やる。
彼らの位置からは、左半身を失った月が傾きかけているのが窺えた。
「レオニスは自分が操れない者は即座に切り捨てましたので、すぐに人が足りなくなりました。ある日、各街から何人ずつ……という形の徴集がありましてね。私はそれに紛れ込んで来たのです。親父は、王家がどうにもならないなら実権を握ってやろうとか、仄暗いことを考えていたのでしょうがね。モ―スさまには子供の時分に一度会ったきりだったのですが、一目で見破られました。それからですよ。下級兵士に身を置いて、レオニスの目を盗んでは、逃がす手引きやら何やらしていました」
「それは、ほぼ最初からと言うんじゃないか?」
「そうとも言いますね」
道理で、色々知っている訳だ。
常日頃、モ―スの意図を推し量るのがうまいと、実は感心して見ていた。
ライが自分の事をこうも話すのは珍しい。
彼なりに気を遣っているのかもしれない。
「『タビスを頼む』とは、どういう意味だったのでしょうね。モ―ス殿は貴方を救う為に王族にしか使わないはずの秘薬まで持ち出しました」
「秘薬とは?」
「竜の血です。竜血薬と呼ばれていますね。万能薬らしいですよ。進行性の病には効かないそうですがね、傷や毒には有効だとか。この国に長寿が多いのも、そのご利益なんですって」
首都アセラのあるこの島で、感染症の等で命を落とす人間が極端に少ないのは、大地に還った竜の成分を水や食物を介して取り込んでいる為と考えられていた。
良かったですね、長生きできるそうですよとライは笑う。
「なんでも、アシエラは竜の捕獲を禁じましたから、アシェレスタは竜に頼み込んで頂くのだそうです」
竜にお願いだなんて、そんな莫迦なとつぶやくライの傍らで、アトラスは唐突に悟った。
「……ユリウス」
アシエラの能力、竜、魔物、そしてアトラスとくれば、結びつくのは彼しかいないではないか。
急に黙り込んだアトラスを、ライはじっと見つめていたが、しばらくして尋ねた。
「貴方はどうしたいですか?」
こういう事をはっきり聞いてくるから、この男は面白い。
「やり残している事がある。それを片付ける為に、今は待っているだけだ」
そう言って、アトラスは月を仰いだ。
ユリウスが導いた先にあるものを考えると気が滅入る。
「あの娘に、会いたいな……」
ぽつりと、アトラスはつぶやいた。
レイナとは、素性が暴露したあの夜以来、会えていない。
立場が二人を阻む。
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