■月星暦一五四二年七月⑦〈正体〉
月星の王女の来訪を饗す晩餐会が、極内輪の人間だけを集められて開かれた。
呼ばれたのはモ―スとハイネ、ファタルから王女に同行してきたライ・ド・ネルト・ファルタン。
そして、アトラス。
いつの時代も女性の支度は時間がかかると決まっている。必然的に、男性陣は先に会場となる部屋にて待つ形になる。
アトラスの装いにハイネは目を瞠った。
黒一色だが喪服ではない。
色はともかく、非のうちどころの無い月星風の正装だった。
一方ハイネは、日ごろの気安さもあって略装も略装である。
「なんだよ、その装いは?」
「仮にも国王陛下の晩餐に呼ばれたんだ。その上非公式とはいえ、月星の姫君が同席するという。多少なりとも繕うのは道理だろう」
アトラスは答えるものの、いささか仰々しいのは自覚していた。
ハイネが幼なじみという気安さで王に接する事ができるこの国こそ、世の中の常識では希有なのは間違い無い。
「それにしても、何で黒なんだ?」
「似合わんか?」
「そういう訳ではないけど、何かそぐわないな」
アトラスは微笑するにとどめた。
普段の彼は青系統の色を好む。
青灰色の瞳、青味がかった砂色の髪にも合い、おさまりがいい。
だが、黒という色には意味がある。
好きな色では無い。
だが、これがアトラスの正装の一つだった。
必要になるのは判っていたから、モースに頼んで作っておいて貰っていた。
「王女に会った事があるのかい?」
「……あるよ」
「そんなに手強い相手なのかい?」
「よい娘だよ」
そう言って、アトラスは含み笑う。
「今度は王女を娘呼ばわりかい」
ハイネは到着時の出迎えの中にはいたが、王女とはまだ会話どころか正式に挨拶もしていない。
やがて、王の到着が報され、女王は件の王女を伴って入ってきた。
「アリアンナ・エリシア・ボレアデス・アンブルと申します」
転がるような声で王女は挨拶をしてみせる。
砂色の髪を優雅に結い、薄物の生地を何枚も重ねた青い衣装を纏う王女は、レイナとは異なった類の華やかさがあった。
ハイネの目が釘付けになる。
立ち上がって迎える男性陣を目にした王女は一点を見て固まった。
形の良い唇が何かをつぶやくが、誰の耳にも届かない。
次の瞬間、王女はアトラスの腕の中に収まっていた。
「やっぱり、居たわね」
「……お前は、人違いという可能性は考えないのか」
「私が《《その顔》》を見間違える訳がないでしょう?」
アトラスの口から諦めにも似た溜息が漏れた。
「久しぶりだな、アリアンナ」
ハイネとレイナはただ唖然と二人の姿を見つめていた。
この親しげな様子は、王女とタビスとはいえ一介の兵士の間柄ではないのは瞭然である。
「お知り合い、でしたか……」
レイナは疑問を形にしたが、ごく平凡な分かり切ったものしか出てこない。
その口調に動揺は隠せない。
「知り合いですって?」
アリアンナは小馬鹿にした高笑いをもって返した。
「当たり前じゃないの。だって、私たちは……」
言いかけて、アリアンナはアトラスを見た。
「まさか言ってないの?」
アトラスは気まずそうにうなずき、レイナの視線を受ける。
レイナの投げかける不安気な眼差しは、必至に『アトラス』を探していた。
「あなたは、誰?」
意を決したように訊ねる声は硬い。
アトラスは刹那空を仰ぎ、再び溜息をついた。
そして、心の奥底に埋もれさせておいた名を呼び起こす。
「お前に会う数日前まで俺は、アトラス・ウル・ボレアデス・アンブルと呼ばれていた」
ただ声もなくレイナはアトラスを見つめ、そしてアリアンナに視線を移す。
「兄妹……」
「恋人とでも思ったか?六年前はまだ十四歳の小娘だぞ」
軽口で返すが、無理があった。
何かを言いかけるレイナ。
しかし、思考が錯乱してか、問いかけようにもうまく言葉がまとまらない。
そんなレイナの代弁をしたのはハイネだった。
無理矢理絞り出した声で驚愕を形にしていた。
「あんたが、大国月星の、『あの』、王子だって?」
先の内戦で敵方の王を討ったのが、当時たった十五歳の第二王子だったという話は、さすがにハイネでも知っていたらしい。
「そうよ。月星のタビス。月星最強の剣士であり、英雄であり、そして私の兄。月星王アウルムの弟……」
自慢気に答えるのはアリアンナ。
アトラスは眉をしかめ、口を堅く閉じている。
モ―スとライもまた、何も言わずに場を見守っていた。
アトラスはモ―スを恨みがましく見た。この状況には助力はしてくれないらしい。
レイナが王位に就いてからの半年、アトラスが行った事は、これで『月星』の助力に置き換わる。
小噺
月星、兄弟妹の名前が出揃いました。
アウル厶(Aurum):金
アリアンナ(Arianna):アリアドネの別名「とりわけて潔らかに聖い娘
アンブル:琥珀




