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タビスー女神の刻印を持つ者ー  作者: オオオカ エピ
十六章 紡がれた想い
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□月星暦一六〇四年八月⑦〈セーラ〉

挿絵(By みてみん)

セーラ 18歳

□クルム


 クルムが待つように言われた待合場所(スペース)は、テラスに面しており、明るい内装で見晴らしが良かった。

 庭越しには、眼下に広がる街が見渡せる。


 クルムはこの場所に見覚えがあった。

 五年前、寝こけていたのを発見された場所である。


 大きな丸い月に照らされていた夜とは、まるで印象が違うが、見ているうちに当時のことが鮮明に思い出された。

 


 神殿で舞う神秘的なアトラスの姿。

 少女と二人で探検した夢のような夜。

 美術館で目の当たりにした、アトラスの経歴と背負うものの大きさ。

 

 泣き出したクルムを抱きしめたサクヤ――サクヤが美術館の館長を務めていることも、その時初めて知った。


 泣き止んだクルムにサクヤが言った。


「黙っていたことはごめんなさい。だけどね、クルム。あなたにはお父さんの気持ちを汲んでほしい」


 サクヤは、展示室のアトラスの項目を読んで、どう思ったか尋ねてきた。

 クルムは、その長い経歴を読んで息が詰まったと正直に話した。


「タビスとして産まれた為に、慶ばれ、敬われ、故に戦場に駆り出され、あなたの歳には隊を率いていたお父さんには、子供らしい子供時代なんて無かったの。その歳で大人として振る舞うことを強いられ、弱みを見せることすら許されなかった。⋯⋯子供でいられる時間って案外短いの。クルムには、その時間を大切にしてほしかったんだよ」


 そのクルムの大切な時間を、『親』として一緒に過ごしてあげられなかったこともまた、アトラスは心苦しかったんだとサクヤは言った。


 美術館をあとにして向かった図書館で、クルムはタビスと月星の宗教に関する文献を調べた。月星の人たちがタビスという存在に向ける思いの片鱗を見た。


 どれだけの重圧だったのだろうと考えると、また涙が出そうになったのを覚えている。


「タビスで無くなって、アトラスがただの人として過ごせるようになったのって、まだクルムが生きてきた時間と同じ位しかないんだよ」


 知った上で街を歩くと、『タビスが紹介したお菓子売っています』『この橋はタビスことアトラス殿下のもたらしてくださった技術で作られました』『タビスが好んで食べたハルス商会の岩塩、在庫あります』『タビス御用達の宝飾店』など、タビスに纏わるものがたくさんあった。

 次に向かったテルメには彫像まで立てられていた。


 偉大な父の息子ということで生まれる重圧からも、隠すことで自分が護られていたのだと、クルムは悟ったのである。 



 その後の五年間は、尋ねればアトラスは色々と話してくれるようになった。


 英雄と称えられている一般的な功績などは話したがらず、箝口令が解かれたバンリから聞くことになったが。


 ガハハと笑う部下のおじさんの話や、前の奥さん《レイナ》と回った異国の話は、何度聞いても面白く、尽きることは無かった。


 レイナの話を聞く時は、なるべくサクヤのいない時を見計らっていたのだが、まるで自分も体験したことのようにサクヤの方から話に混ざってくるものだから、サクヤはレイナのことも全て受け入れているのだと認識した。


 シモンとアミタとも、変わることなく両親と思って過ごしてきた。


 二組の両親とのかけがえのない少年期。

 それも終わるのだろうと、クルムは漠然と理解していた。


 アトラスの甥――クルムの従兄弟である王の葬儀に、アトラスの息子として連れてこられた。


 どこで漏れたのか、クルムの存在が露見したのだとアトラスは月星までの道中で教えてくれた。

 加えて、正式にサクヤはアトラスの妻――妃であるという承認が王によってされていたのだという。

 下手に隠して妙な勘ぐりをされるよりは、きちんと認めてその上で意思表示をした方が良いとアトラスは言った。

 どうしたいかは、クルムの意思に任せると。どんな答えでも、協力は惜しまないから現在の月星を見て、自分で判断しろとクルムは言われた。


 次の王は、あの夜の少女、セーラなのだと聞く。

 彼女の母親の王妃の神経を逆なでてまで、アトラスがクルムを連れてきた意図は何なのか。


 そんなことを考えなら、ぼんやり外に目を向けていると、クルムは木陰に佇む人影に気が付いた。 


 強い太陽の下、黒い喪服は濃い影に紛れていたが、女性であることは見て取れる。

   

 部屋から出て近づくと、街を凝視する横顔に、懐かしい面影を見た。


「セーラ?」


 蒼白い顔が振り返った。

 記憶より大人びた顔は、はっとする程に美しい。少し気の強そうな柳眉に、大きな目は碧い。

 艶のある緩く波うつ(ウェーブのある)栗色の髪が、風に吹かれてふわりと揺れた。


「誰?」

「五年前の大祭で、君にここを案内してもらった……クルムです」

「クルム? 覚えているわ。黄昏の名前の……」


 硬かった顔がふと、和んだ。


「大きく、いえ、随分と背が高くなったのね」


 立ち上がり、セーラはクルムを見あげた。

 向かいあった二人の、当時は同じ辺りにあったセーラの目線が、クルムの胸付近にある。


「髪も伸ばしたのね。素敵だわ」

 セーラの目が懐かしそうに細められた。

 クルムの髪色を、月の色と表現してくれたのを覚えていていてくれたらしい。


「セーラ。君は王女様だったんだね。僕は何も知らない子供で……」


「あの時、初めて月星に来たのでしょう。いいのよ。私も楽しかったのだから」


 やわらかく浮かんだ笑みも、腕の喪章に目を止め、霧散する。


「今日は、父の葬儀に?」

「そう、です。父に連れられて来ました」

「そういえば、お父様は月星の方だったわね。あなたも、遠いところご苦労さま」


 どこか、投げやりな口調でセーラは言い放った。


 訝しながらも、お悔やみの言葉を口にすると、更に顕著に皮肉めいたものが、セーラの口元には浮かんだ。


「セーラ?」

「薄情に見えるでしょうけど、父が亡くなったというのに、実感もなければ、悲しくもないのよ」


 そんなことを口にしながらも、セーラの顔は、今にも泣き出しそうに、クルムには見えた。


「でもセーラ。君、大丈夫そうには見えないよ?」

「面白いことを言うのね」

 

 クルムの言葉に、セーラの顔が困ったように歪んだ。


「抱きしめられた記憶さえ無い相手を、父と呼ぶ虚しさ。貴方には解るかしら?」


 皮肉めいた言葉とは裏腹に、震える語尾。

 そこにクルムは、セーラの孤独を見た気がした。


「うん、僕には解らない。だから、話してみてよ、セーラ」


 クルムはまっすぐとセーラの顔を見つめた。

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