■月星暦一六〇四年八月⑥〈フィーネ〉
神殿を辞すと、アトラスはその足で王城へと弔問に向かった。
喪主であるフィーネ王妃とは、応接室で面会した。セーラを後継として立てるなら、喪主はセーラにやらせるべきなのだろうが、当人が拒否したのだという。
栗色の髪を引っ詰める様に纏め、喪服姿の王妃は、色の白さも相俟って、ひどく顔色が悪く見えた。
五十歳という歳相応の、歳の重ね方をしてはいても判る、美しい面立ちの女性だが、神経質そうな印象は相変わらずだった。
病を疑いたくなるような、やつれ方をしており、浮かんだ隈も化粧では誤魔化しきれていない。
立場はアトラスよりも王妃の方が上の筈だが、フィーネは立ち上がって出迎えた。
アトラスがお悔やみを述べると、フィーネは慇懃に礼を返してきた。
元々、気の弱い女性であるフィーネの声は、細く小さい。
「王妃殿下、あまりご無理をなさらぬよう。私も補佐します故」
「頼りにしています」
人より少し長く生きてきたアトラスは、二人も王を見送って来た。
段取りは、誰よりも熟知しているのかも知れない。
先程、長老みたいなものだとクルムに説明をしたが、事実、生き字引の様な頼られ方をされることが多い。
「ところで、そちらが?」
フィーネの視線が、アトラスの背後に控えていたクルムに注がれた。
彼女の耳には、既に情報が入っていた様だ。
「ええ、紹介が遅れましたが、私の息子です」
フィーネの暗緑黃色の瞳に、険が混じった。
「アトラス様。あなたも、そう、仰るのですか?」
「王妃殿下、少し話をしましょうか」
アトラスは、応接室脇にある待合場所で待っているよう言いつけて、クルムを退室させた。
*
「王妃殿下。誤解の無いように言っておきますが、私はセーラ王女が継ぐべきだと思っているのですよ」
「え?」
アトラスの開口一番の言葉に、フィーネは面食らった顔をした。
「王の娘です、当然でしょう?」
だが、フィーネの顔から疑う表情は消えない。
神経をすり減らしてきたフィーネの、レクス《王》との結婚生活を鑑みると、無理もないだろう。
妻子を顧みない甥を諌められなかった責任を、アトラスは少なからず感じていた。
「セーラ王女が女王になることに、懸念があるのは事実。それは、彼女自身の資質がどうのという話では無い」
アトラスは、敢えて婉曲な表現を使うことを避けた。
「ご存知でしょうが、この国では女王は望まれない。女神の悋気なんて、私は信じちゃいませんがね、風当たりは強いでしょう」
フィーネの眉間の皺が強くなった。
「それなのに、娘を推してくださると言うのですか?」
信じられないという顔を隠そうともしない。
「推すも何もないでしょう」
次の王はセーラで決まりなのだと、アトラスは断定で話す。
「では何故、ご子息をお連れになったのですか?」
その問いには、「このタイミングで息子がいることを公表すれば、人はそうとるでしょう」と、暗に批判が込められている。
「私はね、王妃。あの子を表舞台に連れ出すつもりは無かったんですよ。何処ぞの片田舎で、慎ましくも幸せに過ごしてくれれば良かった。……実際、そのつもりだったんだ」
策を講じて、幼年期の貴重な時間を、共に居る幸せまで諦めてまで護ろうとしたのに、ボレアデスの血の柵は、そう簡単には、断ち切れなかった。
「だが、兄の意図に気付いてしまった」
困ったようにアトラスは、目を伏せた。フィーネが忙しなく、指を組み直しているのが目に入る。
「アウルム陛下の意図、とは?」
「兄が一番望まないのは、月星で一番やってはいけないのは、分裂なのですよ」
アトラスはじっくりと、フィーネに届くように言葉を紡いだ。
「……今はもう殆どいませんがね、私も兄も、月星が二分していた時代を知っている。だからこそ、この国が分裂するようなことは、二度と起こしてはいけないのです」
王候補が争うなんてもってのほか。
女王賛成派と反対派という構図も然り。
だが、必ず言い出す連中はいる。人間とは、そういうものである。
争わせないようにするには、どうするか。
「息子は、王女の盾になれるでしょう」
窓の外に目をやると、木陰で話し込む二人の人影が見えた。
「もちろん、本人達次第ですがね」
フィーネに視線を戻すと、アトラスは、はっきりと含みを持った笑みを浮かべてみせた。
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【小噺】
レクスさん、だいぶ誤解の多い人生でした(T_T)
夜遊びの悪評が根強く、妻子を顧みない男というのが、アトラスでさえ思うほどの一般的な評価です。そのあたりの胸の内を理解していたのは、オネストくらいでした。




