■月星暦一六〇四年八⑤〈王子〉
月星に着くと、アトラスは紫紺宮では無く、王立セレス神殿に直接向かった。
出迎えた神官は、通常の白一色の衣服では無く、帯のみ黒いものを着用している。
かつての自室に入ったアトラスに、神官は盆の上にきれいに畳まれた衣装を持ってきた。
「僕はどうすれば?」
旅装束のクルムが、アトラスに問う。
「サクヤが持たせてくれた服があるだろう? それに着替えなさい」
月星では喪服を身につけるのは喪主に連なる者のみである。
弔問する側は腕に喪章をつけ、地味めの色を選びはするが、基本的に普段とは変わらない。
だが、神官がアトラスに持ってきた服は、喪服に準ずるものであった。
基本的な形は神官達が身に着けているものと変わらないが、鈍色に染め上げられており、帯は《《黒》》である。
その上に黒色の丈の長い薄手の上着を羽織った。
よく見ると、黒地の上に黒い糸で細やかな刺繍が施されており、『葬送着』と呼ばれているものである。
もうタビスでは無いアトラスが、続ける項目の一つに、王族の『慶事』『忌事』について指揮を執れというものがあった。
刻印の喪失時に、神殿側との調整で揉め、レクスが仲裁した項目の一つである。
忌時、身につけることになる葬送着は、紫の帯を黒に変えることで決着がついた。
他の衣装についても、禁色の紫を薄紫にすることが妥協点となっている。
着替え終えると、アトラスはクルムを連れて大聖堂に向かった。
聖堂内には香が炊かれ、女神の像の前に、豪奢な棺が一つ置かれていた。
横には、蜂蜜色の髪の男性の肖像画が掲げられている。
祈りを捧げていた大神官が気づき、アトラスに丁寧に挨拶をしてきた。
プロトは前年度、アウルムの葬儀を最後に引退している。
今代の大神官の名はエンデと言う。五十歳半ばの落ち着いた雰囲気の男性である。
「ご足労いただき、恐れいります。アトラス様」
「棺は閉じられていて、いいのかい?」
「見ない方が宜しいかと」
「……そうだったな」
レクスが患っていた病は、悪化すると鼻が落ちる程に、顔が歪むと聞く。
「手間をかけるな」
「いいえ。何分初めてでございます故、お手数をおかけしますが、ご指導宜しくお願い致します」
「ああ。大神官も宜しく頼む」
二人のやり取りを、クルムは少し離れて不思議そうに見つめていた。
振り返り、アトラスはクルムを呼び寄せた。
「今の私は、何の肩書も持たないが、長老みたいなものだからな」
クルムの顔つきから、口には出さなかった疑問に答える。
「この方は今でも王子殿下ですよ。嫌がるので、あまり呼びませんが」
呆れたように大神官は訂正しつつ、クルムを見やって目を瞠った。
「失礼ですが、そちらは?」
側仕えの少年と思っていた様だが、近くで見て、類似点を無視出来なかったらしい。
サクヤ似のサラサラの乳黄色の髪持つが、クルムの顔の造形はアトラスに良く似ていた。
「息子のクルム……クレプスクルムだ」
「初めまして」
大神官が、息を呑んだのが判った。
「それでは?」
「さてな」
嘯くと、アトラスは棺に向き直り、蝋燭に火を灯して、空の燭台の一つに挿した。
「お前には、月星の礼拝方法を、教えてやらないとな」
アトラスは、大神官の脇に控えていた神官見習いから花を受け取り、棺の蓋の上に置いた。
通常は故人の棺の中に納めるものだが、開けられないのなら仕方がない。
続けて、先程大神官がしていたように手を組んで祈りを捧げた。略式の追悼の祈りである。
神を知らないクルムも、アトラスの真似をして、ぎこちない所作で、遠目でしか見たことの無い従兄に、祈りを捧げた。
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エンデ:終わり




