■月星暦一六〇四年八月④〈同行〉
何かと彼方此方飛び回る必要に迫られるアトラスは、竜護星での拠点をフェルター邸に移していた。
ユリウスの件が片付いたのを機に、離島の館は退居している。
館を支えていた何人かは、フェルンの領主邸に移り住み、引き続き支えてくれていた。
サンクとハールは、暫く月星の紫紺宮を切り盛りしてくれていたが、年齢を理由に隠居していった。
以降は、子育てを終えた二人の息子夫婦が、仕事を引き継いでくれている。
フェルンの領主邸は、サクヤとしては実家なので、滞在する形としては不自然では無い。
王立美術館は、副館長のダフネがうまく回してくれている為、年間三分の一程度はフェルンに滞在している計算になる。
※
フェルター邸に着いたアトラスを、先着していたサクヤが出迎えた。
サクヤは、アトラスの顔を覗き込んで、怪訝な顔をした。
「どうしたの?」
応えず、アトラスはその細い肩を抱き寄せた。
「ちょっと、覚悟をしておいてくれ」
「そっか。解ったわ」
多くは語らなくとも、サクヤは理解してくれる。
アトラスが肚を決めた顔を、彼女は良く知っているのだ。
「お帰りなさい、父さま」
奥からクルムが出て来た。
十二歳の時から、アトラスのことを父さま、シモンのことを父さんと呼ぶようになっている。
クルムが初めて月星に行った時から、五年の歳月が流れていた。
十七歳になったクルムは、背が伸び、既にサクヤを追い越している。
声も太くなり、全体的に厚みはまだまだ足りないが、肩幅もしっかりしてきてと、徐々に大人の身体付きになろうとしていた。
月星に行った十二歳の秋以来、何か思う所があったらしい。それまでは短く刈っていた髪を伸ばし始めて、今は一つに束ねている。
「サクヤに聞いただろうが、月星で王が亡くなられた。葬儀に出る。準備をしなさい」
クルムの顔が、若干強張った。
「話したことも無いだろうが、一応、従兄弟だしな」
「今回は、父とお呼びしても?」
「ああ。俺の息子として、連れて行く」
クルムにはこの五年の間に、月星という国についての知識は入れてある。
さすがにこのタイミングで、言外にある可能性を察する位には、クルムも大人になっていた。
「無理強いはしないが?」
「いえ、行きます」
少し言い淀み、クルムは顔を上げた。
五年前。
『クルムに何をどこまで伝えるか』と相談したマイヤが出した案は、試験だった。
レイナの墓を見せて、その先を聞く覚悟はあるか。
マイヤと会って、受け入れられる柔軟性はあるか。
どこまで話すと拒否反応を見せるか。
マイヤが同時進行でクルムを視ながら、話を進めていた。
アトラスとマイヤ間には交渉時等に、昔から使っていた合図がある。クルムには気付かれていない。
結果、クルムは月星に赴き、こちらがが知られても良いと想定した、概ねは知るに至った。
知った上で、この領主邸での暮らしを望んだのはクルムである。
十二歳になるまで黙っていたことを責めるでもなく、彼が発した言葉は「護られていたのですね」だった。
『護る』
それはしがらみからだけではなく、物理的な側面もあった。
いつまでも在るアトラスに、面白くない思いを抱えている者が、居ないわけではない。
タビスでなくなったとはいえ、王族の末席に名を連ねる者。
長い年月に培われた実績は発言力を持ち、また、三大公の信も厚い。
思うように議会を動かせない人間が、次に考えるのは次代の王――すなわちセーラ王女に取り入ることだ。
セーラ自身は、王の娘である自分の責務だと、次の王には自分がなると気概を見せているわけではない。他にいないのだから自分がなるのでしょうねと、漠然とした態度しか見せてこなかった。
王妃の固執に突き合わされている、という顔を隠そうともしていない。
当然、セーラの元には縁談は数持ち込まれているが、どれひとつ見ようとしていないと聞く。
セーラは夜会での直接的なお誘いも、冷たくあしらって来た。
王妃が王女擁立を確固たるものにする為に策略を巡らすような女だったならば、支持者は楽だっただろう。
そして、もし、で、あったならば、アトラスは自分に連なる者への警戒を強める必要があった。
以前、サクヤに護身術を叩き込んだ背景もそこにある。
当時はまだ王妃の方向性を測りかねていた。
アトラスにとっては幸いなことに、王妃は固執はしても権力が欲しい訳では無い。王女を王にして自分が国母になることが目的だからだ。
次の王にはセーラがなれば良いとアトラス自身が思っている。
クルムも露見せずに済むなら、それに越したことはなかった。
王位継承件があろうがなかろうが、『アトラスの息子』にも危険は伴った。
クルムがそこまで考えたかは判らないが、彼の口から『護る』という言葉が出てきた時、正直感心したものだ。
「クルム。心しなさい。俺の息子というだけで、周りはお前を放ってはおかないだろう」
「……父さまは、それを望むのてすか?」
「王には娘が一人いる。俺は王女が継ぐべきだと考えている」
神妙な顔で頷く息子に、アトラスは悪戯心を発揮して、聞いてみた。
「お前がなりたいのなら、協力するが?」
「冗談でしょ」
クルムは、かなり本気で憤慨した声を出した。なりたいと言われるよりは、安心する。
「その王女さまは、どんな方なのですか?」
「マイヤによると、お前は会ったことがあると聞いたぞ?」
アトラスは、不思議そうに息子を見つめた。
王女はなかなか印象的な娘である。忘れられるとも思えなかった。
「セーラとは、五年前の月星で、一緒に王城を探検したんだろう?」
「あぁっ! あの子ぉ!?」
クルムから大きな声が出た。顔が真っ赤になっている。
なるほど、マイヤは弟の初恋まで見越して、あの時連れて行くと、言い出したのかも知れない。




