□月星暦一六〇四年八月②〈布石〉
□マイヤ
「俺は、アウルムの実弟では無いんだ」
アトラスの言葉に、マイヤにしては珍しいほど、動揺した。
「養子、ということですか?」
「そうならば、まだ、聞こえが良いかもな」
アトラスは鼻を鳴らした。口調が皮肉めいたものになる。
「俺は、アンブル派のボレアデスの一員として、ジェイド派を相手にあの内戦を戦い、敵方のライネス王を討って終わらせた。だが、俺の本当の名はレオンディール・ジェイド・ボレアデス。ライネスの息子、だったそうだ」
「はい?」
人間、驚きすぎると語彙が著しく低下するらしい。
マイヤでさえ、例に漏れず同じ言葉を繰り返した。
「アウルムとは高祖父は同じなんだがな。なんだっけ、三従兄弟? 血縁を主張するにも八親等離れているわけだ。クルムに至っては、更にその息子。……さすがに駄目だろう?」
駄目とか軽く言っていい話では無い。
かつての宿敵の血筋となれば、排除対象とされても仕方がない。
「私にも話せないことがあるのは、薄々感じてはいましたが、そういうことでしたか」
聞きたくありませんでしたと、マイヤはこめかみを押さえた。
「なぜ、そんなことに……」
「どこぞの王女が、タビスが鍵と予言してくれたから、当時のアンブル派の王アセルスが、無茶をやらかした訳だ」
深く息を吐いて、マイヤは平静を取り戻す。
「なるほど。それが祖母のセルヴァですか」
マイヤは近年稀な真正の巫覡だが、セルヴァはユリウスの受信者たる巫覡であった。それは、残された言葉から判っている。
「我が国の巫覡が関わるなら、ユリウスの導きだったのでしょう」
「まあ、タビスが生き残る確率を、高めたんだろうな」
ユリウスに関しては終わったことだ。アトラス自ら清算したと言っていい。
「戸籍はどうしたんです?」
「アセルスは、死産だった次男の戸籍にねじ込んだ。俺は、アセルスの息子ということに《《ちゃんと》》なっている」
王が自ら公文書偽造。
一番やってはいけない筈だが、八十年以上前の話だ。『そういう時代』に『そうせざるを得ない状況』だったということだろう。
几帳面なアトラスが気にしなかった筈は無い。紆余曲折を経て、今に至ったのは想像に難くない。
マイヤは、そう呑み込んで先を促す。
「知っていた者は?」
「アウルム、レイナ、ハイネもか。あとは母……当時の王妃アリアと、もう一人」
「存外、多いですね」
もう一人、が気にはなったが、アトラスの表情に危惧する色が視えなかったので、マイヤは流した。
漏れる心配の無い面子である。
王妃は当事者である。そもそもが、王妃の協力無しに成立しえない。
「関わった人は?」
「詳しくは知らない。だが、アセルスは、良くも悪くも目的の為には、手段を選ばない人だった。ーーそう、妥協なく、抜かり無く、徹底的に……」
そういうことなのだろう。
口に出せない部分を察して、苦いものをひとつ呑み込む。
「確かに。それは、口に出せませんね。我が国もジェイド派の血をひいていると、攻められる口実にも、なりかねませんし」
マイヤは己の胸一つに納めることを誓った。
問いへの解はここまで。
それを踏まえて、アトラスはマイヤに疑問を呈した。
「マイヤ、アウルムは『知って』いたんだ。なのに何故、こんな真似をしたのだと思う?」
マイヤは考えこむ顔つきになった。
王は、その血脈を遺すこともまた責務である。
だが、アウルムが妃を迎えたのは三十歳を過ぎてからだ。それも周りの進言に、あるいは懇願に、押し切られる形だったという。
王妃のことは大切にしていたというが、積極的に子づくりをする様子はなかった。
レクスが誕生した時には、既に三十六歳。レクス誕生と同時に王妃を亡くすと、後妻は頑として取らなかった。
その一方で、アトラスの王位継承権をいつまでも破棄させず、レクスの娘が誕生するまで保持させ続けた。
そして、クルムが生まれることを見越していたかのように、置かれた布石。
クルムを、アトラスのーージェイドの血筋を王に据える為に、置かれたような布石。
「伯父様は、まるでお父様に王位を継いで貰いたかったかのよう……」
その声は呟きに近い。
「クルムに到るその道筋が、まるで解っていたかのような?」
マイヤは自分の言った言葉を反芻した。
その感覚は、嫌という程覚えがある。
「視えて、いた……?」
視えていたか、視せられていたかまでは判らない。
だが、クルムという存在の発現を、アウルムが確信していたのだと感じた。
マイヤは断言する。
「お父様! 伯父様には、おそらく『視えて』いました!」




