■月星暦一六〇四年八月①〈崩御〉
月星暦一六〇四年八月。
月星王レクスが身罷った。
享年五十二歳だった。
レクスはこの数年、自室から出てこないことが多く、人と顔を合わせることを極端に避けるようになった。
主治医によると、顔や身体に発疹やしこりが出来、顔は無残な迄に損傷し、内臓にまで影響が出ていたとのこと。
空気感染する病ではない。
感染元について、口にはしないが、誰もが暗黙の内に理解していた。
夜の街に多い病である。
感染病ではある為、竜血薬は効くのか、可能なら、竜血薬の使用許可を打診するつもりで、竜護星現筆頭医官であるカイリ・タウ・ブライトに問い合わせてみたことがある。
この病は大きく四段階に進行状況を区分でき、第二段階の発疹が出る迄に使用すれば何とかなったかも知れないが、ここまで進行していては、いかなる薬も難しいという返答だった。(※)
議会は宰相のオネスト・ネイトを中心に、アトラスが補佐として立ち回り、時には前王のアウルムも意見を求めて、纏めた。
議案の決定権は王にある。
纏められたものは、王の自室に持っていかれ、採決の印と署名が書き加えられて戻って来た。
しかし、アウルムも前年十月、帰らぬ人となった。
享年八十七歳。
かなりの長寿だったと言って良い。
アトラスが『タビス役』として舞った、四回目の月の大祭の数日後、眠る様に逝った。
老衰だった。
レクスは、父親の葬儀にも顔を出せず、喪主はアトラスが代わりに務めた。
レクスが没したのは、アウルムの喪も明けてすらいない、夏のことであった。
続けさまに王を喪った月星は、色めき立っていた。
レクスの子は、今年十九歳になる娘、セーラ・ウェヌス・ボレアデス王女のみである。
かつて、二人の王妃の諍いを発端に、二つに割れた経緯のある月星では、妻は正妻《王妃》一人のみ。
第二王妃も愛妾も認められていない。
しかし、女癖の悪かった王には、関係を持ち、子を持つと自称する女性も複数いた。
その中には、王の息子を主張する者もいるが、非嫡出子扱いで、継承権は無い。
※※※
レクスの訃報を、マイヤに持って来たアトラスは、難しい顔をしていた。
「セーラさまが次の王では、いけませんの?」
マイヤが腑に落ちない顔で問いかける。
「月星で、過去に女王が立ったことが無いわけではない。他に直系が居ないのだから、セーラが継ぐべきなんだが……」
月星では、女神の悋気に触れると言われ、女王は歓迎されない風潮が残っていた。
「うちの女神さんは、そんなことは気にしないと、思うのだがな」
アトラスは、セリエルアスと名乗った、女神とされている者との邂逅を思い出す。
圧倒的な存在感と完全無欠な容姿とは反して、なかなか茶目っ気のある性格をしていた。
悋気とは無縁そうなタイプだった。
たまたま、女王が立った時代に飢饉があったとか、嵐がきたとか、そんな話に尾ひれがついたのは想像に難くない。
「タビスであったなら、次の王は王女が相応しいと、一言言えば済んだんだがな」
だがアトラスは、タビスである資格を既に喪っている。皮肉な話である。
「まさか、お父様に白羽の矢を立ったとか?」
「俺自身の継承権は、セーラが生まれた時点で消えている」
放棄を望み、レイナと婚約した頃からずっと言い続けていたが、兄アウルムが頑として譲らず、受諾されるまでに相当の時間を要した。
仮に復権されるとしても、王の承諾がなければありえない。
レクス在命中に、アトラスの復権を望む嘆願書が数寄せられたらしいが、王妃が頑なに反対した、などという噂も耳に入っている。
「……ここへきて、クル厶の存在が露見してしまった」
「どうして……」
言いかけて、マイヤは首を振った。
かつての忠臣ライ・ド・ネルトだったら、必ず調べてきた。
「わたくしの目を掻い潜るとは、相当ですね」
五年前、クルムのことは露見しない画がマイヤには視えていたから行かせた。
その後に発覚した理由は判らない。
「まだ一部の人間しか知らないが、広まるのは時間の問題だろうな」
アトラスは深々とため息を吐いた。
「でも、クル厶さんにしても、扱いは同じでしょう? それを見越して、お父様はサクヤさんと籍を入れなかったのでしょう?」
非嫡出子には継承権は無い。
サクヤが正式に妻では無い以上、息子とは認められない。
「そのはずだった」
念には念を入れて、手元で育てることすら諦めて、シモンに託すことで護ったはずだった。
「月星の、俺の戸籍を確認してきた。サクヤは正式に、俺の『妻』となっていた」
「いつから?」
「十八年前」
アトラスが『タビスを返還した』日付だった。
「アウルムの筆跡で、印で、確かに……」
月星の王族は、自分だけの印章を持っており、死後は割って一緒に棺に入れられる。
後に偽造することは難しい。
「その頃にはもう、アウルム伯父様は、既に王位を退いていらっしゃったはず。有効なのですか?」
「宰相オネストと三大公の同意が示されていた上、レクスの認可の署名もあった。合法だそうだ」
フィーネ王妃の手前、サクヤが遠慮していたのをアウルムは知っていた。気を遣ってくれたのかもしれない。
余計なことを、とも思ってしまう。
前提が覆ってしまった。
サクヤは正式に『王子妃』であり、息子のクルムは『王子』と呼ばれる立場だということだ。
月星の悪習に則ると、レクスに王女はいるが、王子もレクス自身にも兄弟もいない。
この場合、一代遡って、アウルムを基準に親等を見直すことになる。
アウルムから見て、孫のセーラ王女は二親等、甥のクル厶は三親等ということになる。
同じ親等の男女の場合、男子の方が優先される。同じ理屈で、男子であるクルムは、セーラと同親等とみなされてしまうのである。
賢王アウルムの弟であり、かつて、女神の奇跡を体現したタビスだったアトラスの息子、というだけで、クルムが求められてしまうのは想像に難くない。
双子でも無いのに、瓜二つのように似た顔立ちをしていたアウルムとアトラス。
その若い頃に、十七歳になったクルムは、生き写しと言って良いくらいに似ていた。
期待を寄せない方が、無理というものだろう。
賢王の子供が賢王とは限らない。
巫覡の血脈、その能力が尊ばれる竜護星《この国》のような例はあるが、血統が全てでは無いともアトラスは思っている。
「だが、クルムは……、それだけは、駄目なんだ」
マイヤがアトラスに怪訝な顔を向ける。
十七歳と言えば、レイナが王位を継いだ歳である。末子の上、レイナは直近五年にも渡って王城を離れて旅をしていた。
地方領主の息子として育った為、帝王学などを学んでいないというなら、言い訳にはならない。
バンリを家庭教師にしているのだ。それなりの高等教育を授けていない訳が無い。
「……頑なに拒む理由を、聞いても良いでしょうか?」
その為に、わざわざ舟を出して、親子水入らず湖の上いる。
これだけ離れていれば、いくら聞き耳を立てようと、漏れることはないだろう。
念には念をと、腕で口元を隠しながらアトラスは口を開いた。
「実は、俺は、アウルムの実弟では無いんだ」
「はい?」
マイヤの顔が面白い位に呆けた。




