◯〜月星暦一六〇四年八月〈レクスの独白④ 訃報〉
【月星暦一五八六年十一月 三十四歳】
叔父の報告会の後で、私は父に呼び出された。
父は、叔父とサクヤ殿の婚姻証明の認可を私に求めてきた。
証書には、既に三大公と宰相オネスト、父の署名と印が押してあった。
全てを手にした人間が、行きつくのは不老不死の妙薬。そんなものは無いだろうに、求めた逸話は、古今東西、彼方此方に残っている。
そんな不老の奇跡を体現していた叔父が、それを棄ててまでに求めたのは、サクヤ殿と共に生きる時間なのだと父は言った。
「フィーネ殿の手前、アトラスは自分からは言い出せまい。理解るだろう?」
それ程までに、誰かを愛せる叔父が羨ましいと思った。
私は抗わず、王の印を押し、署名をした。
この認可で、いつかサクヤ殿が子を授かることがあれば、その子には王位継承権が発生する。
「男の子なら、良いですね」
そんな言葉が自然に口をついて出ていた。
父が驚いた顔をしていた。
まだ、私の事を父親と認識もしていない娘のことが頭に浮かんだ。
女の身でこの国の王は、輪をかけて茨の道である。
フィーネには悪いか、代わってもらえる誰ががいるなら、その方が良い。
私ですら、叶うなら叔父に譲りたいと今でも思っている。
実際、娘が産まれてからまだ数ヶ月しか経っていないが、叔父の王位継承権復権の嘆願書が多数、届いていた。
だが、フィーネが呪詛のようにそれだけはやめてくれと、繰り返す。
「次の王は、私の子なのです!」
王妃の役目も満足に全う出来ていない女に、一体何が解るというのか。
月星の王という重圧を、娘に押し付ける意味を、理解していないから言える言葉である。
しかし、彼女を王妃にしてしまったという負い目のある私が、強く言える訳もなかった。
王女誕生当初、フィーネは案の定次の子を望んだが、私が何かを言う前に医官が止めた。
正直、ほっとした。
子どもを、自己の矜持の為の道具としか思っていないのだろう。
王妃もまた、子を産むだけの道具では無いことに、フィーネ自身が気づいていないのかも知れない。
娘のことは、ルネの妻のフェルサが心を砕いてくれていた。
フィーネのご機嫌取りをしつつ、白亜宮を回しながら娘に気を配りと、彼女の負担は大きいものだっただろう。
私が出来ることは、有能な人材を送り込むこと位だった。
叔父によって、娘はセーラと名付けられた。
王女という立場上、環境は周りによって整えられてはいた。
だが、母親は自分のことで手一杯。
白亜宮に私が立ち入るのを、フィーネが嫌がったこともあり、娘だというのに、私がセーラに会える機会は多くはなかった。
セーラには、さぞ薄情な父親に映っていたことだろう。
父と叔父が気にかけて、よく様子を見に行ってくれてはいたが、セーラには、寂しい幼年期を送らせてしまった様に思う。
会う度に、成長しているセーラの、見上げてくる碧い瞳に、いつの日か父が重なって見えるようになった。
「お前は何をしているのか?」と、咎められているようで、次第に彼女の眼差しが、苦しくなっていった。
やがて、私の身体は病に蝕まれた。
始めのうちは、ちょっとしたしこりや発疹だった。
化粧で誤魔化して顔を出していたこともあったが、だんだんと身体全体に広がり、膿み、痘痕となり、顔にまで及ぶと誤魔化しが利かなくなった。
私は部屋に籠もるようになった。
医官は病名を伏せていたが、想像はついていた。
夜の街で流行る病である。
王妃を蔑ろにしたつけが回って来たのだろう。
部屋の前までは、父や叔父が時々訪れた。
扉越しにする短い会話はあれど、扉は頑なに開けなかった。
どんどん痛んでいく顔は、とても、見せられたものではない。
オネストと医官と、数人の使用人にしか、部屋に入る許可を与えなかった。
議会はオネストを中心に、叔父達が回してくれている。最終確認の書類が持ち込まれ、問題がなければ印を押して返す。
高齢の父まで時には引っ張り出されているというのだから、申し訳なく思うも、それで回ってしまう国政に、本当に自分の価値が判らなくなる。
病状は表面に留まらず、次第に内臓の調子もおかしくなっていった。
頭がぼんやりすることすらある。
オネストは当初、話し合われた議題と詳細に纏められた議事録を持ってきては、採決の印と署名を求めてきた。
病状の悪化につれて、次第に議事録は簡略されていき、遂には議題と議決の一覧になり、印と署名をするだけになっていった。
それも難しくなると、署名すら捺印になった。
私が印を押した最後の書類は『議決した議題について、宰相オネストとアトラス殿下両名の合意を得たなら、王に代わって採決とすることを、レクス・リウス・ボレアデス・アンブルは認める』という内容だった。
【月星暦一六〇三年十月 五十一歳】
父、アウルムが亡くなった。
眠るように逝ったと聞いた。
出られない私の代わりに、喪主は叔父が務めたという。
叔父は泣いたのだろうなと思った。
情に深いあの人は、案外涙脆い。
兄弟とは、家督争いの火種になりがちなものだが、国の頂点にありながら、二人の関係性は理想的だった。
私は母同様、兄弟も分からないが、いつまでも仲の良い父と叔父のことは、羨ましく映っていた。
父の訃報を聞いても、『そうか』としか思わなかったのだが、私の心もまだ枯れきってはいなかったらしい。
大聖堂から響く弔いの鐘の音に、涙が溢れてきた。
純粋に父を失った悲しみだったのか。
とうとう父を超えられなかった自分への憐れみだったのか。
最後まで父に心配をかけた謝罪だったのか。
判らないながらも、私は、あの偉大な王の冥福を祈ろうと思った。
『父上、貴方の望む者になれずに、申し訳ありませんでした』
心の中で言葉にし、違うと感じた。
『さすが自分の息子だ』と父に言わせられなかったのが悔しいのだと、私は悟った。
※
混濁する意識は、突然思い出したように覚醒する。
私が寝ていると思っているのだろう。私の身体を拭きながら、ひそひそと交わす使用人のの声を、耳が捉えた。
「聞いたか? アトラス殿下に御子が居たって話」
「男子らしいが……その子は『王子』になるのか?」
「なる! 実は、サクヤさまとは籍を入れてあったらしいぞ」
「なんと!? でも、なぜ公表しなかったんだろう?」
「そりゃあ、あれだよ。王妃殿下を慮ったんだろうさ……」
「ああ……、なるほど。だとしたら、セーラ王女とは争うことにならないか?」
「いいや、むしろよかったんじゃないか? 月星で女王は歓迎されないし……」
やはり居たのかと、私は安堵した。
隠しているとは、叔父上も水くさい。
王子。
いいじゃないか。
あの叔父の息子なら、さぞかし聡明だろう。
月星のこの先も安心だ。
娘に苦労をかけなくて済む。
セーラ。
あの娘の十六歳の誕生日に、離宮を与えた以来、まともに話していない気がする。
さぞかし美しく育ったことだろう。見られないのが残念である。
あとで、オネストに姿絵を持ってきて貰おう。
そんなことを考えているうちに、私の意識は、再び霞に侵されていった。
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【月星暦一六〇四年八月】
レクス・リウス・ボレアデス・アンブル 永眠。享年五十二歳。




