◯月星暦一五八七年五月〜十一月 〈レクスの独白③真理〉
◯レクス独白
何年経とうが変わらない、若い頃の父によく似た優秀な叔父の姿も、私にはいつしか重圧になっていた。
柔軟な頭で、次々と面白い案を持ってきては、さりげなく私の業績にしようとする心遣いが心憎かった。
叔父さえいれば、国は回る。
いつまで経っても私は賢王アウルムの劣化した複製品。
フィーネのことは言えない。
私もまた、自分に価値を見いだせなくなっていた。
だんだんと、心が動かなくなって行くのを自覚していた。
【月星暦一五八七年五月 三十三歳】
臨月を迎えていた王妃フィーネが産気付いた。
「おめでとうございます。王女様の誕生でございます!」
新企画の観光情報誌について訪れていた叔父と、父と共に話して待機している間に、もたらされた王女誕生の報。
素直に喜ばないフィーネの顔が、容易く想像出来た。
私は、また何か言ってくるのだろうと思うだけで、憂鬱になっていた。
偽りの愛すら無い、目的だけの夜を思い出して、ため息が出た。
「なんだ、王女か」
思わず口走った言葉に、父アウルムが酷く怒った。
父に面と向かって怒られたのは、初めてのような気がした。
【月星暦一五八七年十一月 三十四歳】
前月の、月の大祭は、いつもに増して見事だったと口々に語る声を聞いたが、叔父の奉納舞はいつも通りに見事に見えた。
だが、この年はタビスが舞う最後の大祭として、語り継がれることになった。
叔父が、タビスの証である『女神の刻印』を喪って帰ってきたからである。
大神官プロトを始めとする神殿関係者。
軍部縮小に伴い力を失ったゴーシュ家が抜け、海風星アイマン家が抜け、母ネブラの死後衰退していったテルグム家が抜け、代わりに台頭してきたブライト家が加わり三大公と呼ばれる重鎮達。
宰相オネスト、父、私といった重要案件を語るに欠かせない人間を集めて、白帯の神官服姿で現れた叔父は『刻印』の無い腕を晒し、「タビスはもう生まれない」とのたまった。
半狂乱になる大神官プロトを下がらせ、代わりに次期大神官候補と言われているエンデが聞き役に加わった。
「御伽噺に語られる魔物退治のユリウスの話は、皆もご存知だろう。その剣を私はユリウスから預かっていた。ここ数十年と、大祭で使用していた半透明の刃の剣だ」
いきなり御伽噺のユリウスに会っていたと言われて、戸惑う空気が満ちる。
蒼樹星の一件で、魔物に憑かれかけていたバオム王を対処する様子を見ていなければ、私もそうであったろう。
ここでつまずいていては、話が進まないのは、叔父は承知の上だったようだ。
『質問は後で受け付けるから、いいから聞け』と言わんばかりの圧で、叔父は話を進めた。
「初代タビスはユリウスと盟約を交わしていた。ユリウスは初代に代わって私に盟約を成せと、剣はその為の手段として預けられたものだった。
——先日、盟約の意味を知る為に、皆の協力で古文書を洗い出してもらい、答えを得た私は、初代が交わした約束を果たしに、神域に行ってきた」
「神域に、入られた?」
唖然とする神官に、叔父は、そこはきちんと説明を入れた。
魔物の実在。
禁域と神域の構造。
ユリウスが魔物を集め、人から反らしていた事実と、漏れた、あるいは新たに生まれた魔物の退治を、叔父がして回っていたこと。
「タビスはユリウスによって恩恵を受けていた」
「恩恵とは、御年を取らないこと、ですか?」
「……それも恩恵と言い換えられるだろう」
「魔物に憑かれないのは、お刻印があるからですか?」
「歴代タビスの資質だったらしいな」
「恩恵は女神からでは無かったのですか? まるでお刻印は、ユリウスに与えられたと聞こえます」
一瞬言い淀んで、叔父は腕を組んだ。
「刻印を刻むという行為は、己が一部を分け与えることだそうだ。ユリウスは直接女神に刻印を与えられていた」
「ユリウスもまた、タビスだったのですか?」
「ユリウスは、初代のことをヒトで初めてタビスと呼ばれた存在、という言い方をした」
叔父が慎重に言葉を選んで答えている印象を受けた。繊細な内容なだけに、気を遣っているのだろう。
「つまり、ユリウスを介して歴代のタビス様は女神様の御力を与えられていたというわけですか!」
叔父の言葉に、神官の一人が、納得というように頷いた。叔父は肯定も否定もせずに話を続ける。
「ユリウスは、女神セレスティエルと我々が呼ぶ方によって、この世界に送り込まれていた存在だった」
ここで叔父は世界の仕組みを説いた。
同じ場所を共有するも、異なる次元の彼等の世界とは、交わらずとも互いに影響を及ぼし合うという。
叔父の説明に、つまりは表裏一体のような世界なのだと、私は理解した。
「ユリウスは長い間この世界で、人を導き見守ってきた。タビスがうけた恩恵の対価に、ユリウスの望んだのは『この世界からの解放』。それが出来るのはタビスだけだったが、歴代タビスは、ユリウスにその対価を支払うに至らなかった」
至らなかった。
それはしなかったのか、出来なかったのか。叔父は言葉を濁したが、神官達は他の部分に気を取られているようだ。
城側の者も交えて論じ始める。
「解放ということは、人を見守る任から解かれたということですね」
「タビスのみが可能だったとは、解放のタイミングは人の手に委ねられていたと、受取れます」
「しかし、女神様に派遣され。人を見守ってくださっていたユリウスが居なくなるということは、女神様から見放されたと理解されませんか?」
「いや。ユリウスが居なくなっても、見守って下さる証に、女神様は髪の毛を一束残して下さったのだろう」
「そうでした」
皆の目が一斉に叔父に向かう。
「女神様はどのような御方でしたか?」
「形容し難く美しかったよ。ユリウスも人間離れした美しい者だったが、上回る方だったとしか言えない。世の中に『完璧』というものがあることを知ったよ」
「お羨ましい……」
ため息がいくつも漏れ出た。
「セレス——正しくはセリエルアスというそうだが、あの方に遇えたのは、間違いなくタビスの特権だったな」
ニヤリと笑って、叔父は場を和ませた。
「因みに、ユリウスは、女神に連れられて自分の世界に帰って行った。彼の解放を持って、魔物もこの世界から消滅した」
「魔物——人の負の感情の集合体、でしたか。御伽噺のユリウスは、魔物を例に人の在り方を説いていたように思いますが」
欲に塗れず正しき発展をせよ。さすれば魔物に憑かれることは無い。そんな教訓話だったと記憶している。(※)
「ユリウスがいたから魔物は居たようにも聞こえます」
「——人が在り方と向き合う試練だったと思えば良いのではないか? 魔物はもう、生まれない。人は自分の負の感情を、自分の裁量で落としどころを見つけ生きてく、それだけだ」
その後もいくつか質問に答えて、叔父の報告会はお開きになった。
「これは大変なことになったぞ」
「この先タビスがお生まれにならないことを、どう説明すればよいのか」
「とても全ては公表できない……」
色めきながら退出していく神官達やオネストらを見送ると、叔父は深々とため息をついた。
二人きりになるのを見計らって、私は叔父に尋ねてみた。
「叔父上、何処までが真実ですか?」
「私は、嘘は言っていない」
疲れた顔をしていた。
言えない事、明言せずに判断を聞き手に委ねた事柄があるのが伺えた。
「叔父上にとって『刻印』とはなんでしたか?」
「重荷と絆、かな」
王の肩書きと似ている気がした。
ユリウスを解放することで、叔父もまた解放されたのだと思った。
私の歳の倍近い年月、背負っていたものの重さは計り知れない。
だが、先日は王位継承権を喪い、今度はタビスであることを喪った叔父を、私はずるいとも思ってしまった。
十二年前の雪の日、叔父に王位を押し付けてしまえばよかったと、何度思ったか分からない。
私の荷はまだ当分、下ろせそうにない。
お読みいただきありがとうございます
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※第二章〈魔物〉で、魔物のことはユリウス扮した『学者』が熱く語っています




