◯月西暦一五五二年〜一五七六年〈レクスの独白①焦燥〉
◯レクス独白
父の名はアウルム・ロア・ボレアデス・アンブル。
二つに分かれた月星統一後、初の王として、一つの月星を掲げて尽力した人物である。
アンブル側からの反発も、ジェイド側からの暴動も殆どなく、様々な改革を行い、月星を豊かに導いた賢王と謳われている。
叔父の名はアトラス・ウル・ボレアデス・アンブル。
内戦を実際に終わらせた立役者であり、月星で英雄と言えばこの人を指す。叔父は、女神の刻印をその身に宿したタビスでもあった。
父の改革の土台となった案をいくつも提供し、影ながら支えた人物でもある。
幼い頃はそんな父や叔父が自慢だった。
二人の様に自分もと、夢を抱いてさえいた。
それが重荷になったのはいつ頃のからだっただろうか。
【月西暦一五五六年 四歳】
従姉の名はマイヤ・レーヌ・アシェレスタ。
叔父アトラスの娘である彼女を紹介されたのは、四歳頃だったか。八歳歳上のマイヤは美しく、とても大人びて見えた。
彼女は竜護星王家に時々顕れる、真正の巫覡だった。
「道は険しいですが、わたくしも出来る範囲でお手伝いします。仲良くしてください」
初対面の挨拶の意味は、当時の私にはよく理解出来なかった。ただ、彼女が叔父とその妻であるレイナに囲まれて、弾けるような笑顔を向けていた顔が印象的だった。
数度しか会ったことの無い、叔母のレイナの顔は、正直曖昧にしか覚えていない。だが、マイヤに向けられる優しい眼差しだけは、妙に頭に残っている。
母親という存在を知らない私が向けられたことが無い笑みに、胸の奥がちくりと痛んだ。それは、刺さったままの棘のように、時折振り返しては疼くようになった。
【月西暦一五六〇年 八歳】
八歳の時だった。
完璧だと思っていた叔父が、私を抱きしめて泣いたことがあった。
驚いた私は、「どこか痛いのか?」と、そんな言葉をかけた気がする。
「……人が居なくなると、心が痛くなるのですよ」と、咽び泣く叔父の姿に、この人でも泣くことがあるのかと、衝撃だった。
後で従者のオネストに聞いて、叔母のレイナが亡くなったのだと知った。
叔父ですら憔悴するほど、人の死が悲しいものなのだと、初めて知った出来事だった。
叔父はその後の数年は、月星と娘のマイヤのいる竜護星を行き来していたが、ぱたりと月星を訪れることが無くなった。
途切れることなく持ち込まれる再婚話に、辟易したのではないかという話も囁かれていた。
「端麗な容姿は健在。御歳の割には随分お若く見えますし、何よりタビスで、王子殿下でもいらっしゃいますしね。そりゃあ、ご婦人方もその縁戚も、放っておけませんよ」
そんなことを言ったのは誰だったか。
父アウルムの跡を継いで王になる可能性は、叔父にもあるのかと、当たり前の事に気付かされたのも、この頃だった。
歳を重ねていくにつれ、私の中には、澱のように募っていくものがあった。
【月星暦一五六七年 十五歳】
この歳で叔父アトラスは内戦を終わらせたのだと思うも、私が成したことは何もない。
【月星暦一五六八年 十六歳】
この歳で従姉のマイヤが王位を継いだと知るも、私が成したことは何もない。
【月星暦一五七二年 二十歳】
父アウルムが王位を継いだ歳だったが、私が成したことは何もない。
【月星暦一五七三年 二十一歳】
この歳の叔父アトラスは、竜護星の王の交代劇に一役買い、レイナを国主にしたと聞くも、私が成したことは何もない。
父アウルムは、乞えば教えてくれるが、何事も積極的には口を出してこない。
先ずは己の裁量でやってみろと、尻拭いはするから失敗は恐れずに進めという姿勢だった。
それが私にとって、いかに重圧だったか、父には解らなかっただろう。
父にそのつもりはなくとも、父は常に、私の比較対象だった。
私が欲しかったのは「さすがはアウルムの息子」という一言だったのだと思う。
しかし実際は、成功するのはアウルムの息子だから当然と受け取られ、失敗すればアウルムの息子なのにと落胆される。
そして耳に入ってくる、従姉マイヤの定評ある治世。
何も成していない自分とどうしても比べてしまう、焦燥の日々。
従兄のルネ・アンバー・ブライトは「焦るな」と、「あの人達と比べることに意味は無い」と、事あるごとに気遣ってくれた。
四歳歳上の従兄は、良い話し相手だった。
だが、いずれ臣下となる身だからと、一線を越えて踏み込んで来ることはない。
私にはそれがもどかしくも、ありがたかったのは、事実である。
【月星暦一五七六年 二十四歳】
この年の冬は、世界的に大寒波が到来した。
未来視の巫覡である従姉のマイヤは、予め視た情報を拡散し、警告を出した。
月星もその恩恵に預かり、事前準備は功をなした。
情報の共有を支援するも、従わない国というものは、どうしても一定数あるものである。
海が凍り、交易は滞り、食糧不足に燃料不足。結果、北側諸国の一部は大混乱に陥った。
乗じて月星に攻め入って来た蒼樹星の対処を、私は父から仰せつかった。
砦を奪われ、睨み合って一週間。
戦局は変わらず、打開策が見つからずに時間だけが過ぎていく。
私を直接咎める声は無い。だが、日に日に悪くなる空気は肌で感じていた。
任すと言っただけで、何も言わない父の碧い双眸を見るのが怖かった。
この程度なのかと、落胆されているようで、自分の不甲斐なさに、益々苛立ちが募っていく。
そんな戦場を切り裂いた、たった三十程度の黒尽くめの騎馬集団が、戦局を変えた。
叔父アトラスと、その掛け声で集まった、生の戦場を身をもって知る猛者達だった。
叔父は、年を取っていなかった。
それが十年、姿を現して居なかった理由だった。
子供の目から見れば、二十歳代も四十歳代もよく判らなかったか、私自身が二十代になっていた為、その異常さを実感として理解できた。五十代も後半に差し掛かる叔父の外見は、三十歳前後にしか見えなかった。
「なんですか、あの采配は!」
私を一喝し、僅かな情報から状況を把握し、あっという間に叔父は場を掌握してしまった。
父は私に、いい機会だから学べと言った。
父が嬉しそうだった。
叔父を見る父の眼差しに、父が求めていたのが、叔父なのだと理解してしまった。
実際、叔父の手腕は見事としかいいようがなかった。
私が一週間手こずっていていた事態を、たった半日で収拾。その上、成果を奢るでもなく、さりげなく私の初陣の戦果という印象づけまでしてしまった。
私は己の未熟を痛感した。
経験豊富で実績もあり人望も厚く、英雄と称えられる叔父。
加えて男盛りの身体のまま年を取っていない。この姿に、さすがはタビス、女神の加護を体現していると人は言うだろうことは明らか。
叔父への完全な敗北を、私は悟った。悔しさはなかった。
羞恥はどこかに行ってしまった。
純粋に凄いと思った。
「叔父の方が、父の後継に相応しい」と、言いかけた言葉は叔父によって遮られた。
叔父は「継承権は放棄する。そう、アウルムに進言する」と言った。
叔父は自分のことは牽制として使えと、私の後ろ楯として支えると言ってくれた。
心強かった。
タビスたる叔父の力添えがあれば、父を越えることは難しくとも、さすがはアウルムの息子とくらいは言わせられるのではないかと、私は諦めかけていた心に、再び火をつけた。
その筈だった。




