□月星暦一五九九年十月①〈初月星〉
□クルム
『マイヤの側付き』と言う名目で『月の大祭』に同行することになったが、クルムに何か役割があるわけでは無い。
社会勉強として、子供を行事に付き添わせることはよくあるとのこと。
家庭教師のバンリが、クルムに同行してくれていたが、彼もその名目で子供の頃に月星につれて行ってもらったのだと言う。
月星へは、大都市ファタルから船で向かう。
船長の名はラウ・ル・ネルト・ファルタン。大柄で黒髪のその男性は、センリの従兄弟にあたるという。
ファルタン家といえば、ファタルの領主にして、竜護星の筆頭貴族の一つである。
センリやバンリがその一族の一員であり、バンリが、マイヤの侍女のグルナの従弟であることも、クルムは今回初めて知った。
初めての大型客船による船旅は、始めは興奮したが、変化の少ない船上は段々と飽きてくる。
クルムは月星の主な都市の観光情報誌を数冊、渡されていた。殆どの時間をその本を読んで過ごした。
気になるところがあれば、帰りはマイヤとは別行動で、予定を延ばしていくらでも見てきて良いと言われている。
バンリの同行は、その付き添いの意味もあるらしい。
アシェレスタであるバンリは、竜に乗ることが出来る為だ。
情報誌には、食べ物についての記載が多かったが、食べたいものを問われてもクルムにはよく判らなかった。
アミタの作る食事が一番だと思っており、領主邸以外での食事を食べた経験が、ぞもそも少ない。言われても判断がつかない。
月星首都にある、蔵書が世界一である図書館と、数年前に完成したばかりだという、王立美術館には興味を惹かれた。
また、月星第二の都市テルメの温泉というものも気になった。
小さな島育ちのクルムには、お湯が湧き出ているという現象を、想像することが出来なかった。
※
アトラスとサクヤは、先に竜で月星入りしているという。
マイヤも竜に乗ることが出来るのに、船で行く意味を問うと、『体裁』と『荷物』が理由だとグルナが答えてくれた。
竜は騎乗者ともう一人しか乗ることが出来ない。竜を何頭も引き連れてぞろぞろと行く画は、確かに想像出来なかった。
マイヤとて、時間が無い時は船上から竜に乗ることはあるそうだ。
前王レイナには、船に乗るや竜を呼んでいたという逸話が残っていた。アトラスに至っては、まともに船旅をしたことは数えるほどしかないとのこと。
楽な格好でフェルン島を訪れるアトラスしか知らないクルムには、王の伴侶をしていたという彼の姿が未だに結びつかない。
マイヤには「月星に行けばお父様への印象が、変わるかも知れませんね」と、意味深に言われた。
悪天候もあり、月星入りした時には、大祭はもう二日後だった。
首都アンバルへの移動もあり、滞在先となる離宮に到着した時には既に夕刻になっていた。
一行を出迎えたのは、やけに姿勢の良い、執事らしき初老の男性だった。
「いらっしゃいませ、マイヤ陛下」
「今回も、お世話になりますね。サンクさん」
挨拶に出てきた男性とマイヤとのやり取りには、旧知の間柄のような空気があった。
離宮の主人は、既に潔斎に入って留守なのだと、サンクと呼ばれた男性は言うが、クルムには『潔斎』という言葉が解らなかった。
問うと、バンリが「身を清めることですよ」と、そっと耳打ちしてくれる。
滞在する離宮が、『紫紺宮』と呼ばれていると、クルムは予め聞いていたが、外壁の色は白く、特に紫を感じさせる装飾は無かった。
内装は、白を基調とした壁に、鮮やかな青色のカーテンや絨毯が目を引いた。
調度品も、飴色に磨き上げられた重厚な木製のものが多く、質は良いが華美な印象では無い。
だが、飾り棚などに無造作に置かれている皿や花瓶などからは、迂闊に触っては行けないような雰囲気を感じた。
マイヤは本宮へ王に挨拶に行き、そのまま晩餐を共にするという。
マイヤに同行してきた者たちには、離宮の料理長が腕によりをかけた夕食が振る舞われた。
先着していたサクヤも顔を出し、同じ席に着いた。
月星の料理は香辛料が強いと聞いていたが、どれもクルム好みの味付けだったのは、サクヤが予め気を利かせて言っておいてくれたのかも知れない。
※
サクヤも離宮に泊まっていたようだが、クルムが起きた頃には仕事に出かけて居なかった。
サクヤが月星で『仕事』に就いているということも、クルムは初めて知った。
月の大祭は深夜の行事である為、午後は仮眠をとっておくのだという。
ゆっくり街を楽しむ時間は無いが、クルムはバンリに王立美術館に連れて行って貰った。
七年前に開館したばかりの美術館の為、バンリも来るのは初めてだとのこと。
王立美術館は、非常に混雑していた。
よく見ると、他所からの観光客とデート中の恋人達ばかりである。
月の大祭当日は、恋人成立率が月星で一番高い日であり、美術館が人気のデートスポットだということを、バンリもクルムも後で知った。
広い上に混雑が重なり、四分の一も見られなかったが、壁を埋める名画の数々には圧倒され、多少は楽しむことが出来た。
大祭後にゆっくりもう一度くることをバンリと約束して、クルムは離宮に戻った。
程よく疲れたクルムは、仮眠どころか爆睡し、バンリに叩き起こされて、夜の王立セレス神殿に向かうことになった。




