閑話▶一五八七年一月〜八月〈アミタ独白 なんとかなる〉
□アミタ独白
殿方というのは、どうして、『もし』や『仮定』の話ばかりで起きてもいないことに狼狽えて、目の前の問題を先送りにするのでしょう。
アトラス様の事情は今更でしょう。
いつかこういう日が来ることを、なぜシモンさまが分らなかったのかの方が、むしろ不思議な程です。
私は、むしろもっと早く、こういったおめでたいお話が聞けるものと思っていました。
※
サクヤさんのお話を聞いて、まず私は、実家の姉に相談しました。
私の実家は、フェルンの向かい側に位置する、本土の港街カイにほど近い場所で、大きな農場を営んでいます。
貴族ではないものの貴族並みに使用人を雇い、時にはカイのご領主様に晩餐や催しに呼んでいただけるほどの扱いを受けていました。
私もきちんとした勉強もさせてもらえる待遇にあり、充実した少女時代を過ごしました。
シモンさまに出会ったのも、カイのご領主さまのお屋敷でした。
私は遅くにできた末子だった為、現在は老齢の両親に代わって農場は姉夫婦が切り盛りしています。
「なあに。訳あり? いいよ。しばらくアミタがここにいて、無事出産して帰っていったっていう体を装えばいいのね。大丈夫。うちは使用人が多いし出入りも多いからね。住み込みの娘がここで出産したなんてことは何度もあるし。家畜に至ってはしょっちゅうだもの。任せて! 大丈夫」
姉は、多くを聞かずに、あっさりと引き受けてくれました。
「時期は?」
「夏頃です」
「いいわね。丁度その頃出産予定の娘がいるわ」
その娘は、遠くから出稼ぎに来ているため、里帰りはしないのだそうです。
「要は、ここで出産があったという事実があればなんとかなるのよ」と、あっけらかんと姉は言いました。
「アミタも、出ていって十年以上経つからね。入れ替わりも多いし、あんたの顔を知らない者も結構いる。なんとかなるわよ」
「なんとかなる」は、姉の口癖なのですけど、姉がそうといえば、本当になんとなくうまく行きそうな気がするのです。
彼女は昔からそういう人でした。
私が結婚するときに、しぶる両親を説得してくれたのも姉でした。
「フェルターの息子さんはいい人だけど、あそこはちょっとやめたほうがいいよ。アミタが苦労するの、目に見えてるじゃないの」
「結婚するのは母さんじゃなくてアミタなのよ。要はアミタが、どうしたいかでしょ? 苦労? アミタが納得の上だったならいいんじゃないの? 苦労のない人生なんて、今の世の中であるなら知りたいよ。苦労だって本当に好きな人とだったら、きっと苦労のうちに入らない。アミタは昔からシモンさんのことを好きだったんだから。なんとかなるわよ」
実際、両親が懸念した通り、人の良すぎる前のご領主様はコルボーの奸計に嵌ってしまい、フェルター家は貧窮し、節約生活を余儀なくされました。
折を見て、老鶏や山羊などを融通してくれたのも姉です。
お金という形ですと帳簿に書かなくてはならず、コルボーの目に止まると厄介だからと、現物支給してくれていたのでした。
※※※
一昨年、サクヤさんが連れてきたアトラス様は、コルボーの不正を暴き、たった一ヶ月でフェルター家の問題ごとを、あっさり解決してくださいました。
当時私は、少し疑心暗鬼にもなっていたのでしょう。
初めはアトラス様のことが、怖かったのです。
お名前はもちろん存じておりました。
前の王様の伴侶だった方ですし、三歳くらいまでは、病床だったとはいえ、前の王様はまだご存命でしたからね。
シモンさまはあっさりご当人だと信じてしまいましたし、サクヤさんは言わずもがな。
でも歳は合わないし、なんだか笑顔も胡散臭い。
サクヤさんは、ちょっと不思議なお嬢さんで、ある意味有名ではありました。
十代後半になっても空想のお友達を大事にしていて、信じている風でもありました。
その『友人』が前の王様だということは、流石に言わなくなりましたが、その事情さえもアトラス様は受け入れて、サクヤさんを連れて行くと仰ったのだと思います。
アトラス様にとっては、亡くなった伴侶のお話。無碍にはできなかったのかもしれません。
ひと月の間に何があったのかは、詳しくはお話くださいませんでしたが、サクヤさんを見る目が、随分と優しいものになっていました。
お歳のこと、お立場のことなど、色々と複雑な事情のある方なのは想像できました。私どもが、おいそれと踏み入ってはいけない領分なのでしょうことも。
サクヤさんは、普通に結婚という形で夫婦を名乗れないのかもしれないと、漠然と思っていました。私には、考えもつかないような苦労をするかもしれないと。
でも、シモンさまと一緒になったときに、姉が言った言葉が重なったのです。
要は本人が、どうしたいか。本人が納得の上だったならいいのだと。苦労だって本当に好きな人とだったら、きっと苦労のうちに入らないのだと。
サクヤさんの顔を見れば、一目瞭然でした。
アトラス様が、にがり切った顔でお子様を自分の手で育てられないと言った時、シモンさまは頭に血が上って気づかなかったことでしょう。
サクヤさんの顔には強い決意のようなものがありました。
たとえ母と名乗れなくても、絶対守り通すというお顔をしていました。
大国月星の王子様の隠し子をお育てできる機会。
不謹慎かもしれませんが、私はワクワクしてしまいました。なんとかなるものだと、姉ではありませんが、思ってしまいました。
残念ながら、子宝に恵まれなかった私どもには、訪れないと思っていた幸せを味あわせていただける光栄にも喜んでしまいました。
お二人が、かなり辺境の離島の館に住まわれていることは聞いていました。
出産には不向きでしょうこともあって、お手伝いのつもりで同行を申し出たのですが、その館は退去するつもりでいた矢先の発覚だったそうです。
出産までは、サクヤさんはお医者様のご自宅で過ごすとのこと。その間に館の退去は進めておくのだそうです。
「お義姉さんが一緒なら心強い」と言うサクヤさんに連れられてきたお屋敷に、私の腰は抜けそうでした。
王都アセラの一の郭。
竜護星二大貴族がひとつ、ブライト家のお屋敷でした。
以前筆頭医官を務めていた、エブル・リム・ブライトさまに定期検診をお願いすることになったのだと、しれっと話すのだから頭も痛くなりました。
サクヤさんは月星で美術館を創設するお仕事に関わることになっており、その件はどうしようとお医者様とアトラス様も交えて相談されていました。
その仕事自体を誰かに代わってもらうことはできないのかとも問いましたが、「これは『約束』だから、私がやらないという選択肢はないの」と、サクヤさんは強い意思を示していました。
お腹が目立ってくるまで、三ヶ月程度は猶予があるので、それまでに家でできる仕事をまとめておき、『フェルター家《実家》で人が急に人間が増えることになり、それまで二年程度のお休みを頂く』ということで折り合いがつきました。
嘘ではありません。
サクヤさん達が住んでいた、離島の館に住み込みで働いていた何人かは、フェルンの領主邸で働くことが決まり、表向きアミタの子供となる乳児も加わるのですから。
出産予定日の一週間前。
お城の方が設備が充実しているというお医者様の判断で、王城の迎賓棟に滞在場所が移されました。
離島の館にいたという、いかにも『お母さん』という風体のハールさんという方も駆けつけてきました。聞くと前王レイナ様侍女だった方だと言うのですから、アトラス様の人脈に恐れ入ります。
予定日の三日後、文字通り『玉のような』男の子が誕生しました。
サクヤさんを労い、我が子の誕生を喜ぶアトラス様は、どこにでもいる普通のお父さんのお顔をされていました。
マイヤ陛下までが執務を抜け出して顔を出し、誕生を喜ばれていたのは驚きです。
「アミタさん、異母弟をお願いいたしますね」と、直に挨拶されてしまえば「お任せください」としか言えません。
フェルン島に戻ったサクヤさんは、きっかり二年過ごして月星に向かいました。
クルムさんはサクヤさんや私のことを『ママ』と呼ぶようになっていました。
後ろ髪を惹かれる思いで発ったことでしょう。
その後は、サクヤさんもアトラス様も、忙しい合間を縫い、頻繁に竜を飛ばして領主邸に来てはクルムさんと過ごす時間を大切にされていました。
そして、気づけば十年が経っていました。
あっという間です。
十二歳の誕生日、皆で集まってお祝いする最中、クルムさんはやたらとアトラス様を目で追っていました。
これは、気づいちゃったなと感じました。
無理もありません。クルムさんは聡明なお子です。
意思の強そうな眼差しにすっと伸びた鼻梁。子供ながらに美しいお顔も、アトラス様によく似てきていました。
後日、シモンさまは、クルムさんへの説明をアトラス様にお願いしに行きました。
寂しくもありますが、避けて通れないのは解っていました。
とはいえ、月星からは隠し通そうという目的は変わらないのでしょう。
アトラス様はどう説明をするのでしょうか。
私も『お母さん』の一人として、『息子』の選ぶ『道』を見守りたいと思います。
でもまあ、大丈夫。きっと、なんとかなりますって。
私はそう思っていますけどね。
お読みいただきありがとうございます




