□月星暦一五九九年九月⑤〈母〉
□クルム
今日は城に泊まるのだと、クルムは再びグルナに案内されて、入り組んだ廊下を歩いていた。
アトラスはマイヤに話があると言われ、先程の部屋に残っている。
「グルナさん、もしかして僕のこと、知っています?」
尋ねると、足を止めてグルナはクルムを振り返った。
「ええ、もちろん」
「だと、思いました」
グルナから向けられる眼差しが、最初から柔らかかったのである。
「クルムさんは、このお城でお生まれになったのですよ」
「えっ?」
聞けば、アトラスとサクヤが居住する館は少々辺鄙な場所にある為、王家筋ではなくとも弟の為ならばと、マイヤが融通した形なのだという。
「お帰りなさい、クルムさん」
あのときの男の子が、こんなに大きくなっていて自分も嬉しいのだと、グルナは目を細めて微笑んでいた。
※
グルナに案内された迎賓棟の一室には、先客が居た。
「母さま……」
クルムが口にしたとたん、サクヤの顔がパァっと笑みに染まった。
「聞いた? グルナさん。母さまって呼ばれた! クルムに母さまって呼ばれたぁ!!」
「サクヤさん。あなた、『母』と呼ばれたのは、初めてというわけじゃないでしょうに」
「マイヤのことは勿論愛してるけど! この身体で産んだのはクルムだけだもん」
(マイヤって女王様を呼び捨てにした? だもん、って……?)
サクヤの、見たことの無い反応に、クルムは驚きを隠せない。
「ごめんね、クルム。びっくりしたよねぇ!」
サクヤに、むぎゅっと抱きしめられたクルムは、肩越しにグルナを伺うと、彼女は苦笑いで肩をすくめる。
「今日は、こちらの棟は人払いをしておきますから、親子水入らずでお休み下さい」
グルナの視線を追うと、食事を乗せたワゴンがあり、更にその先には続き部屋への扉が開かれており、アトラスが姿を現していた。
『わーん』と擬音が聞こえそうな涙を流すサクヤと、クルムの頭を、ぽんぽんと触りながら、アトラスが苦笑した。
「サクヤ。クルムが困っている」
「だって! クルムにやっと言ってもらったんだよ。お母さんって認めてもらえたんだよ?」
「そうだった。お前はそういう奴だったわ」
懐かしむように目を細めるアトラスの顔は、穏やかだった。
クルムは、アトラスがこんなに柔らかい顔が出来る男性だということも、サクヤがこんなに可愛らしい女性だということも知らなかった。
今日は、得た情報量が多すぎて、クルムの頭はうまく動かない。
居間に入ると、長椅子にアトラスは沈み込んだ。
「マイヤに何か言われたの?」
「こってり絞られた。言い方が悪いとさ」
アトラス視線がクルムに向く。
手招きをされて近付くと、「悪かった」と謝られた。
「もう少し、言い方ってものがあるだろうってさ。ホントにな」
頭をくしゃくしゃに撫でられ、言える範囲でなら答えると言われても、クルムは咄嗟には反応出来ない。
「あ、はい。えーと……」
歳のことは気になるが、はぐらかされる気がした。故国だと言う月星のことも、それは実際に見て判断しろと言われそうだ。
ならばと、クルムはサクヤに目を向けた。
「母さまは、あんなに大きな方が義娘で、抵抗は無かったのですか?」
妙な言葉になったが、サクヤには、言わんとしてることは伝わったらしい。
「マイヤにまた『お母様』って呼ばれた時も、嬉しかったなぁ」
「はい?」
どうやら聞き方を間違えたらしい。
「じゃなくて……」
クルムはちらりとアトラスを伺う。
前妻の墓石に向けた顔にあったのは、今思えば、思慕というものだったように感じた。
「その、前王陛下が……」
言い淀むクルムに、サクヤは「そういう事ね」と、手を叩いた。
「レイナとアトラスは相思相愛だったし、わたしもそう。そこに差なんか無いの」
あっけらかんと言われても、恋愛経験すら無いクルムにはよく解らない。
ただ、どうやら、高い地位にいるらしいアトラスに、サクヤが強いられてその立場にいるのではないことは解った。
サクヤが同意の上でそばにおり、幸せであるのならばと、クルムはとりあえず納得することとした。
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