□月星暦一五九九年九月④〈心音〉
□クルム
四十年前に亡くなった女性を妻と言い、五十歳半ばの女王を娘と呼ぶ、見た目は四十歳に満たないアトラス。
合わない年齢。
クルムの父であることを否定はせず、是とすればマイヤは異母姉になるという。
葛藤の末、クルムに理解できたのは、アトラスが王を伴侶にできるだけの地位を持った人間だということだけだった。
なら、サクヤとの関係は? とクルムは考えずにはいられない。
内容に混乱し、聞きたいことばかりだが、二人とも、その辺りを詳細に説明してくれる気はなさそうだった。
納得はできずとも、アトラスはそういう者なのだと、とりあえず事実として受け入れないと話が進まないらしい。
クルムは逡巡し、やがて顔を上げると、アトラスに問いかけた。
「一つ、聞いても良いでしょうか?」
「どうぞ」
「僕が、仮に受け入れたとしたら、フェルン島は、フェルター家はどうなりますか?」
「シモン、アミタ夫妻に子はいない。だが、お前がシモンの妹の、サクヤの息子であることは間違いないから、お前が後継者であることは変わらない」
「やっぱり、サクヤさんが母さま……」
クルムは大きく息を吐いた。
「因みに、後継者が絶えた領地は、新たな領主に見合う者が現れるまで、直轄地として国が一時預かります」
マイヤは一般的な補足の方も忘れない。
「この国において、だがな」
意味深な言い方で、アトラスが付け加えた。
どういうことかと、クルムが視線を向けると、マイヤが理由を口にした。
「この方は月星の生まれで、その国籍も戸籍は、今でも月星にあります」
「この国の王さまを、妻としたのに、ですか?」
「当時、少々特殊で、代わりの利かない唯一の神職にあったので、国としても手放す事ができなかったそうです」
「神職?」
竜護星には無い、聞き慣れない単語《職種》に、クルムは首を傾げた。
そこも説明するつもりは無いらしく、アトラスもマイヤも触れようとはしない。
「サクヤさん、いえ、母さまとは結婚されているのですか?」
クルムがずっと気になっていたことを尋ねると、アトラスは少し言い淀んだ。
「サクヤは俺の連れ合いだ。妻だと思っている。公式に月星の王も認識しているが、届けを出したわけではないから、サクヤは正式には妻とは名乗れない」
「な、んで……?」
クルムの口調に、非難めいた色が浮かんだのは無理もなかろう。胸の中に、もやっとしたものが生まれた。
「母さまにひどいじゃないですか!」
「夫婦の形は、色々あるということだ」
マイヤが冷たい視線をアトラスに送った。
「お父様。それでは答えとして、不十分でしょう?」
竜護星のサクヤの戸籍には、夫はアトラスだという記載があると、マイヤが捕捉した。
納得のいかないクルムの視線を受け、アトラスは肩をすくめた。
「……籍を入れることで生まれるしがらみに、お前を巻き込みたくなかったんだ」
だが、ボレアデスという姓が意味することや、アトラスの立場を説明されてない為、クルムには意味が分らない。
「フェルター夫妻に預けることで、月星側から、お前の存在を隠したんだがな……」
アトラスは困り顔で、クルムの頭をくしゃりと乱暴に撫でた。
「どうしても、厄介事から逃れられなくなるぞ」
「父、さま……?」
クルムがそう呼ぶと、アトラスが目を瞠った。
照れくさそうに、クルムを抱きしめる。
大きな身体から伝わる心音の速さに、クルムはいつもは見せない態度の理由に思い至った。
アトラスも緊張していたのだ。
クルムが抱きしめ返すと、更に返される力強さに、アトラスの秘めていた想いを知る。
細かなことは、結局全く解らないままだが、自分を守る為に講じた手段だったということだけは理解できた。
胸にこみ上げるものに、クルムはちょっと目頭が熱くなる。
「あら?」
何かを見通すような眼差しで、じっとマイヤにクルムは見つめられた。
「⋯⋯?」
マイヤはふと、顔をほころばせてアトラスを呼ぶ。
「お父様、次の月の大祭にクルムさんを、わたくしの側付きとして連れて行こうと思います」
「何か視えたか?」
「さて?」
はぐらかすも、マイヤは悪戯を思いついた子供の様な笑みを隠さない。
「行くことによって、月星という国の片鱗を、覗い知ることはできるでしょう。クルムさんが将来、どのような生き方を選ぶにしても、悪いことではありません」
「まあ、お前と一緒なら、変に勘ぐる者もいないか」
アトラスと一緒であれば、父子であることを疑わない者はいないだろうという。
クルムに自覚はなかったが、それ程に顔はアトラスに似ているらしい。
だがマイヤとならば、尋ねられても『遠縁の子』辺りで、言いくるめられようとアトラスが苦笑混じりにクルムを見つめる。
「行きたいです」
確認されるまでもなく、クルムは答えていた。
「くれぐれも、素性はバレないようにしろよ」
そう言って、アトラスはクルムの月星行きを許してくれた。




