□月星暦一五九九年九月②〈疑念〉
□クルム
先日、シモン・フェルターは浮かない顔で、一人で『仕事』に出かけていった。
『フェルン領主』であるシモンの主な『仕事場』は『領主邸』の執務室である。
外で仕事することもあるが、その場合は、シモンを手伝うために、王都から派遣され、住み込みで従事するセンリを、必ず連れて行く。
ここでは話せないことがあって、シモンは出かけたことが、丸わかりだった。
『内容』は、自分のことだろうと、クルムは察していた。
クルムは、自分が父ーーシモン・フェルターの息子では無いと勘繰っている。
さりげなくかまをかけると、その度にシモンは分かりやすく蒼くなっていた。
シモンは顔に出やすいのである。
クルムの、青味がかった乳黄色の髪はシモンに似てはいるが、瞳は榛色ではなく、母、アミタの様な栗色でもない。
両親には無い、祖先の特徴を受け継ぐことがあるのは知っている。だが、クルムの身近なところには、同じ青灰色の瞳の人物がいた。
アトラスという名のその人は、シモンの妹、サクヤの連れ合いだった。
アトラスとサクヤは、クルムが小さな頃から、頻繁にフェルン領主邸に来ては、クルムの相手をしてくれていた。
特にアトラスの知識量は膨大で、ちょっとした雑学から剣の使い方や魚の捕り方、火の起こし方や森の歩き方など、様々なことをクルムに伝授してくれる頼もしい存在だった。
クルムは二人のことを、叔父さん、叔母さんとは呼ばず、『サクヤさん』と『アトラスさま』と呼んでいる。
以前、サクヤを「叔母さん」と呼んだら、非常に哀しそうな顔をされ、アトラスにやんわり名前で呼ぶよう言われたからである。
つまりクルムは、自分は、父と同じ髪色のサクヤと、アトラスの息子なのだと疑っている。
アトラスのことを『アトラスさま』と呼んでいるのは、単純にシモン達がそう呼んでいるからである。
アトラスには敬称を付けたくなる、迫力みたいなものがあるのだと周りの者たちは言う。
領主の父達も、ここフェルン島の住民には敬称を付けて呼ばれているが、全然違うのだそうだ。
クルムにとってのアトラスは、厳しくも気さくで、非常に優しい人だった。
しかし、クルムの家庭教師のバンリ——センリの息子は、アトラスに対して明らかに一歩引いて接している。
一度、バンリに理由を聞いてみたが、「むしろ、どうして平然と接していられるのかが解らない」と、呆れられた。
※
シモンが出かけた翌週、フェルンの領主邸に顔を出したアトラスは、いつもと少し様子が違っていた。
「いらっしゃい」と出迎えるクルムに向ける顔に笑顔はなく、アトラスはいきなり用件に入った。
「クルム、出かける。ついて来なさい」
先日の、シモンが出かけて行った件だと察したクルムは、直ぐに支度をしてアトラスに従った。
館の裏手の開けた場所まで来ると、アトラスは竜を呼んだ。
クルムが竜に乗せてもらったのは、初めてでは無い。翔ぶこと自体には緊張はなかった。
たがこの日は、背後からのアトラスの視線で、始終背中がピリピリしており、皆が言う『圧』が解った気がした。
※
やがてたどり着いた街で、アトラスは前に座るクルムに尋ねた。
「ここがどこだか、分かるか?」
「首都、アセラの街ですよね」
「そうだ。そして、あれがこの国の中心、王が住まう城だな」
示された先には、一際高い尖塔を持つ建物があった。
「こんなことをして、大丈夫なのですか?」
王城の裏手に広がる湖の畔に降り立ったアトラスに、クルムは思わず怯えた声で尋ねた。
上空からとはいえ、王都に旅券を検めずに進入することは、通常なら不正行為にあたる筈である。
「許可はとってある。ついて来なさい」
有無を言わせずに歩き出すアトラスの背中を、クルムは置いていかれまいと、小走りで追いかけた。
※
整えられた石畳の先には、柵に囲まれた墓地があった。
門の前に花束が置かれていることから、一般の参拝はここまでなのが見てとれたが、アトラスは構わず門扉を開き、中に入るようクルムを促した。
アトラスは、一つの墓石の前まで来ると、足を止めてクルムを振り返った。
刻まれている名は、『レイナ・ヴォレ・アシェレスタ』。
没日から、四十年近く前に、僅か三十六歳という若さで早逝したことが判る。
「これが誰だの墓だか、判るかい?」
「アシェレスタということは、先代の国主様ですよね? 現国主、マイヤ陛下の母君……」
「そうだ……」
少し言い淀むように、アトラスは墓石に目を落とした。
「俺の妻だった女性だ」
「はい?」
クルムは、何を聞いたのか理解出来なかった。
アトラスの伴侶《妻》はサクヤだとクルムは思っている。
どう見積もっても四十歳には満たなそうな年齢にしか見えない人間に、四十年も前に亡くなった人が妻と言われても、納得がいかない。
「揶揄っているのですか?」
「お前の知りたいことについてだ。お前にその覚悟があるのなら、その問いには、これから会う人物が答えてくれるだろう。覚悟が無いのなら、今まで通り、フェルン島領主シモンの息子として生きていくがいい」
いつに無く冷たい口調で言われて、クルムは怯んだ。
返事を待たずに、アトラスは歩き出す。
ちょっと泣きそうになりながら、クルムはアトラスの大きな背中を、必死に追いかけた。




