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タビスー女神の刻印を持つ者ー  作者: オオオカ エピ
十六章 紡がれた想い
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■月星暦一五八七年一月〈籍〉

 ユリウスとの約束を果たし、刻印(しるし)とも別れを告げた翌年。

 タビスとして、新年を祝う必要が無くなった、初めての年だった。


 アトラスは、サクヤの誕生日祝いも兼ねて、彼女の実家である、フェルンの領主邸を訪れていた。


 ライ・ド・ネルト・ファルタンの指導のもと、コルボーに貧窮していたフェルター家の生計は立て直され、使用人も雇入れられるようになっていた。

 負担が減ったせいか、フェルター夫人アミタの肌艶も良くなっている。


 テーブルには、以前に比べると格段に『豪華』と呼べる食事が並び、舌鼓を打って団欒の一時を楽しんだ。

 食後にはサクヤの好物の、アミタお手製のチーズケーキをデザートに、珈琲と共に頂いた。



 その日は午後から天気が崩れ、夕方には激しい雷雨となった。

 悪天候に呼応するかのように、団欒を覆したアトラスの一言。


 激しく打ち付ける雨音で、外に漏れていただろうシモンの怒鳴り声が、掻き消されたのが救いだったかも知れない。


 サクヤが、自身の妊娠を告げると、シモンとアミタはひどく喜んだ。


 だが、まだ二人が籍をいれてないこと。この先も入れるつもりがないことをに話が及ぶと、シモンの顔色はみるみるうちに、変わっていった。 


「生まれた子が男児だった場合、フェルター家で預かってもらえないだろうか」


 その一言がトドメだった。


 シモンは敬語もかなぐり捨て、立ち上がってアトラスを殴りつけていた。


「はい、そうですかと、受け取れるわけがないだろう!!」


 シモンが怒るのも無理は無かった。

 アトラスの言い分の方が、圧倒的に礼を欠いていた。


「サクヤのことは妻だと思っている。俺の連れ合いだと、周りも認識している。だが籍は入れない。入れられない」


「サクヤに、未婚の母になれと?」


「竜護星のサクヤの戸籍には、夫が俺だと既に記載されているが、月星の、俺の戸籍には入れられないと言っている」


 月星でサクヤは正式に『妻』とは名乗れず、立場は便宜上『愛妾』となることを示していた。

 王でさえ、一夫一妻の月星で『妾』と言う《《位》》は当然無い。

 すでにレイナと死別しているアトラスは、戸籍上は『独身』となる。そのアトラスが、サクヤを『連れ』すなわち『伴侶』として示しているのに、籍を入れていない為、他に言いようがないのだ。


「シモン。俺はアトラス・ウル・ボレアデス。どんなに時間が経とうが、前王の弟だということは消せないんだ」


 もう、タビスでは無い。

 自身には王位継承権も無い。

 それでもしがらみは消えない。

 王籍から抜くことだけは、アウルムが許さなかった。

 それは、厳命をもって、レクスにも受け継がれている。


 アトラスの身分は、未だに『王子』なのである。


「兄さん。ボレアデスの名前は、多分、兄さんが思っている以上に、重いわ」


 サクヤが仲裁に入った。


 かつて程の威光は無いが、それでも大国月星王家の姓。

 その名を名乗る意味、その重さは、当事者以外は解りにくいだろう。


「月星の現王の御子は、まだ幼児の王女が一人。ひどく難産だった上、王妃のお歳を考えると次はもう臨めないだろう」


 床に座り込んだまま、アトラスはつと語る。


「この国なら、王女が次期王で決まりだ。だが、月星はそう簡単にいかない」


 女王が立ったことが無い訳ではないが、月星ならではの事情がある。


 女性の王は忌避される風潮が根強く残っており、直系の後継者が女性だった場合は、一代前に遡って吟味されることになる。


 くだらない因習はことごとく排除してきたアウルムが、なぜかそこには、手をつけようとはしなかった。


「籍を入れ、サクヤを妃にすると、子どもには王位継承権が発生してしまうんだ。生まれた子が男子ならば、その子の方が相応しいと言い出す者は必ずいる」


 それはさせたくないと、言葉尻に滲むアトラスの思い。


「わかって、いるなら、何故……」


 シモンの声が、こぶしが震えていた。

「無責任だろう」と、飲み込んだ声が聞こえた気がした。


「兄さん、私が、私達が悩まなかったとでも思うの?」


 サクヤがシモンの真正面に立った。


「アトラスだって悔しいの。彼は最初、ちゃんと籍を入れてくれようとしたのよ。でも、私が止めたの。いつか子を授かる時があれば、彼が思い悩むのは解っていたから」


 レイナの記憶を持つサクヤには解る。


「本当は、普通の家庭のように自分の手で育てて、男の子だったら一緒に釣りに行ったり、剣を教えたり。アトラスだってしたいのよ」


 シモンの妻、アミタが濡らした布を持ってきてアトラスに差し出した。

 唇が切れて、血が滲んでいる。


「シモンさま、私はサクヤさんと共に参りますので、その間、実家に帰っているということにして下さいませ」


 アミタはサクヤを座らせ、兄妹の間に立った。


「今、大事なのは、まだ産まれてもいない御子より、サクヤさんです。女人にとって出産とは、命がけの大仕事なんですよ!」


 現在のフェルター邸には使用人がいる。自分が居なくても、充分領主邸は回せる。不自然では無い状況を整えましょう、とアミタは提案してきた。


「アミタ、おまえ……」


「後継がいない家で、兄弟姉妹から養子を貰うことは、よくある話です」


 言い切るアミタ。

 よっぽど女性陣の方が、肝が座っている。


 シモンが深々と、ほんとに深々と溜め息をついた。


「アトラスさま、その場合は、養育費はいただきますよ」


「無論だ。コルボーの時に貸した分も帳消しでいい」


「分かりました。その代わり、これからはもっと頻繁に来てくださいね。私では、剣も魚釣りも教えてやれません」


 疲れたように、シモンは項垂れた。


「養育はしますが、養子縁組は、大きくなって本人が望むまではしません。それまではサクヤの子どもです」


「兄さん……」


 まだ、妊娠三ヶ月の時点で、アトラスがほぼ男子と断定で話していたことに、シモンは気付いたのだろう。

 

 マイヤがサクヤに視た。

 そして言ったのだ。


「わたくしに、また弟が出来ますわね」


 心底、嬉しかった。それも束の間、アトラスは気付いてしまった。

 穏やかに、家族三人で暮らすことの難しさを。


 何度もサクヤと話し合って、マイヤも交えて、導き出した答えがこれだった。


「宜しく頼む」


 アトラスが、まだ生まれてもいない息子から父と呼ばれる幸せを、シモンに託した苦い夜となった。

アトラスサイテーとか思わないで頂けるとありがたいです。積極的だったのはサクヤさんの方だった『あの夜』ですので(^_^;)


お読みいただきありがとうございます

気軽にコメントやアクションなど頂けたら嬉しいです

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