■月星暦一五九九年九月①〈相談〉
■月星暦一五九九年九月①〈相談〉
月の大祭を翌月に控えた、ある日の昼時。
フェルン島、港の大通りに面した有名店に、アトラスは向かった。
味は中の上、お値段は上の下、おもてなしは上の中。
個室の壁は厚く、商談や接待によく使われ、信頼を得てきた老舗料亭の、支店である。
本店はファタルにあり、大抵の港町には店舗を構えている。
物腰の低い、身なりにも気を配った店員に案内された個室には、サクヤの兄、シモン・フェルターが待っていた。
結露したコップの下に水が溜まっていた。
約束の時間には早かったが、随分前から待っていたのが伺える。
フェルン領主邸ではなく、この店を指定してきたことからも、領主邸で話したくない内容なのが透けて見えていた。
見るからに浮かない顔のシモンが、アトラスに気づくや、立ち上がって頭を下げる。
「お呼びだてして、申し訳ありません」
四十五歳という、年相応の顔には疲れが浮かんでいた。
「どうしたんだ? 顔色が悪いぞ」
問いかけつつ、席に着く。
「……クルムのことです」
それだけで、シモンが思い悩んでいる内容を、アトラスは察した。
「あいつ、とうとう気づいたか?」
「はっきりとは言いません。でも、それっぽい言動がちらほらと」
柳眉を下げて困惑を露わに、シモンは現状をアトラスに伝えてきた。
「あの子に説明するにも、私共がするよりは、貴方にお任せした方がいいと思うのですよ」
アトラスは、用意されていた水差しから手酌で水を注ぎ、飲み干した。もう一杯注ぎ、揺れる水面に目を落とす。
クルムには先月、彼の誕生日を祝う為に会っている。
特に変わった様子は見られなかったが、今思えば、やけに視線を感じた気がする。
「クルムは、十……二歳になったんだっけか?」
「はい、そうです」
「そうか。十二歳……」
アトラスは考え込む顔になった。
「潮時かもな……」
アトラスが育った、現在から見れば異常な状況下の当時。十二歳といえばもう一人前として扱われていた歳だ。
その歳のアトラスは、剣を片手に馬を駆り、既に『隊長』と呼ばれていた。
「もう少し、サクヤ似だったら、ごまかし様もあったのですが」
「たしかに。髪の色はともかく、顔立ちはまんま子供の頃の俺だしな」
どれだけ濃い血なんだと、ぼやいてアトラスは苦笑した。
アトラスの『血縁者』には、似たような顔の人間が多い。
「分かった。なんとかしよう」
「お手数をおかけします」
シモンは頭を下げるが、彼に非はない。
むしろ、面倒をかけているのはアトラスの方である。
「すまんな。こちらの都合に振り回して」
「いいえ。子供に恵まれなかった私達夫婦に、育てる幸せを下さいましたことを、《《今では》》むしろ感謝してますよ」
シモンはそう、少し淋しそうに微笑した。
今では。
シモンは大して意識せずに、その言葉を口にしたのだろう。
十二年前。
サクヤの妊娠が発覚した当時の、シモンの怒り具合に、『凄かった』以外の言葉を、アトラスは見つけられなかった。
いつもは温厚で、妹に激甘なシモンだが、人間というのはここまで怒れるものなのかと、不謹慎にも感心したのを覚えている。
あの夜は、酷い雨が降っていた。
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