◯月星暦一五八六年十二月〜〈観光情報誌〉
アトラスが発案し、モネに作らせていた観光情報誌制作は、フィリアの案も取り入れられ、完成を見た。
第一弾、月星第二の都市『テルメ版』は、大成功と言って良いだろう。
街の外から来る客向けに作ったものだが、案外、人は自分の行動範囲のこと以外は知らないものである。テルメに住む人間からの需要もあり、すぐに増刷がかかった。
そうかからずに初期費用等は回収され、第二弾『アンバル版』を作成する目処もついた。
基本情報を盛り込んだ『本誌』に、季刊で最新情報や特集を組んだ『季刊誌』を刊行する形を取った。
情報は生モノである。
特に『季刊誌』は速さが物を言う。
秋の新作スイーツ特集が、出た時には冬だったりしたら目も当てられない。
アトラスは、一出版部門から観光情報専門の一出版社として独立させることで、手早く刊行できる形にした。
この分野は、以降も需要があり、充分独立しても回せると踏んだ。
代表兼編集長はモネである。
フィリアの他にも、彼女の様に自由に動ける人材が集まったと言うのも、独立させられた理由の一つである。
情報誌が発売されると、自分も携わってみたい、どこどこの街なら詳しいが作る予定は無いのかなど、想像を超える数の問い合わせがあった。
フィリアはアンバルに居を構えた。
治安がよく、女性が一人でも住める貸家を見つけるまでの極短い間だけ、ブライトの屋敷に厄介になっていた。
ハルス商会の伝手もあり、案外簡単に住処は見つかったそうだ。
「うちにいても構わないのに」と言うモネの言葉に、そこは商会の娘だけあって、フィリアがしっかりしていた。
「ブライトの御屋敷は大きいですし、とても居心地はが良いのですが、わたしがお言葉に甘えてしまったら、なぜ、フィリアだけ贔屓にと、周りは見ます。さすがに従業員全部を、と言うわけには行かないでしょう? それよりも、従業員用の寮か、アンバルは物価が高いので、住宅手当などを考えて頂けると助かります」
この顛末を聞いたアトラスは、経理や雑務を回せる人間を手配した。
『代表』と言う肩書はそのままに、モネには『編集』に集中してもらう為、と説明した。
「些事に気を取られて、編集の仕事に障るのは、モネのしたいことじゃないだろう?」
実質、モネの能力値の下降修正だが、アトラスはそれを悟らせない。
自分を基準にして見誤った、アトラスの落ち度である。
フィリアと言えば、街門の検問官に想いを寄せている、と言う話を、テルメでモネとサクヤにしていた。
モネの父、ルネは城の高官である。
その伝手で、件の男性と会うきっかけを作るとモネは請け負った。
フィリアとしては、「ちょっと、話が出来るきっかけ作って欲しい」くらいの気軽さで、頼んだつもりだっただろう。
モネにしても「知り合いのお嬢さんがちょっとお話してみたいんですって」くらいの気軽さで、ルネに取りはからって貰うよう、頼んだ筈だった。
しかし、相手にしてみれば、大貴族ブライト家からの『お声がけ』である。
つまり、『ハルス商会のお嬢さんとのお見合い』と判断されてしまった。
フィリアが約束をした場所に、ちょっとお洒落をして待っていたら、礼服を纏った殿方が、大きな薔薇の花束を持って現れるという事態になった。
これには、フィリアも大層、面食らったという。
多少の齟齬はあったものの、相手もフィリアのことを知っていた。
フィリアは、イディール似であり、彼女程の圧は無くとも、なかなか目を引く女性である。
検問官の男の方も「あの可愛い娘は、次はいつ来るのかと、密かに心待ちにしていた」と言うこともあって、二人の仲は、すぐに『お付き合い』に発展した。
アンバルの街で暮らすようになったフィリアは、食費の大部分を経費で浮かせた。
お店に、情報誌への使用を交渉し、お店のおすすめ料理や拘りなどを聞き出す。
お店の雰囲気や接客態度、料理の味等を報告書にまとめ、領収書と共に持ってくるのだから、ちゃっかりしている。
さすがにフルコースなどは請求してこないが、常識の範囲内で、検問官の彼氏とのデートすら、時にはシェアして二人分の食事をレポートに纏めて、経費で楽しんでくる。
出版社の従業員は、情報誌に載せるに値する、食事や店等があれば積極的に身を持って体験し、生の声を聞かせろと言ってあった。
外で費やされる時間の、どこまでが休憩時間でどこまでが仕事と言えるのか。
線引きが難しい為、ひと月あたりの上限はあるものの、経費という形で補っているようなものである。
実際に掲載された場合は、上乗せがあるという仕組みを取った為、質の良い情報のみが、集まるようになった。
フィリアは、このお店はこのお値段でこれだけのものが味わえる。このお店の何々だけは絶品。このお店は雰囲気が良く、料理も目の付け所はないが、従業員の質が微妙……等、赤裸々に報告してくる。
どれも着眼点が良く、結果を残していた。
特に、良いものを見つける嗅覚が、優れているようだった。
フィリアが探し出してきたものには、外れがないと、内部でも評判であり、なかなか有能な人材となった。
※※※
巻数を重ね、手に取る人間が増えると、月星だけでなく海外にも観光情報誌の存在は広まり、真似をする国や都市も現れ始めた。
アトラスとしては、大歓迎である。
各地で情報誌が出版される度に、手元に届けさせた
アトラスの刻印消失ということもあり、伴い、『タビスの〜』シリーズは廃刊になった。
元々は、他国の食や技術の紹介をする冊子だったシリーズである。
現場が自ら発信してくれるのであれば、越したことはない。
情報誌編集のコツを教えてほしい等、研修に訪れたいという依頼には、積極的に応えるようにした。
「こんな事柄が書かれていると、喜ばれるかも知れませんね」
などと、助言をしたりもする。
その都市の情報を、行く前から把握出来るというのは、情報誌の醍醐味である。
速さが勝負の『季刊誌』は、モネの裁量に一任したが、新たな『本誌』の出版には、必ずアトラスが目を通した。
大半の人間には、文字通り観光を楽しむ為の情報として、活用する書物だろう。
だが、記載情報に、字面以上の価値を見出す者もいるということだ。
例えばアトラスの様に……。
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