■月星暦一五八六年十一月⑥〈贖罪〉
「ユリウスの行為は当然、罪。あの子は能力の大半を封じられた。その身一つと呪い《まじない》をかけられた剣のみを手に、こちらの世界に放逐された」
「それが罰?」
話に聞く大災害の規模を考えると、甘い気がした。
アトラスの疑問にセレスは首を横に振り、続けた。
「ユリウスは能力を喪った為、境界を自力で越えられなくなった。そして、ユリウスの《《身体》》には、二度とあちらの世界に入れないという制約がかけられた。つまり、仮に協力者を得ようとも、あちらの世界に拒まれるという仕掛けが働くんだ」
アトラスはハッとした。
「だから、望みが『この世界からの解放』だったのか。つまりユリウスは、元の世界に戻る為には、あの身体捨てる必要があった?」
アトラスは、セレスの肩の上の鳥に視線を向けた。
ユリウスだった鳥は、セレスの肩を止まり木代わりに眠っているようだ。
「そう。だが、こちらの世界のいかなるものも、我々の身体を傷つけることは出来ない。自死も制約の戒めで叶わない」
「あぁ……」
思わずアトラスは、自身の右腕を触っていた。ユリウスを殴った時の衝撃は、忘れられるものでも無い。
「そして、真実、心を開いた相手の手でしか死ねない。そういう呪が、あの剣にはかけられていたんだ」
セレスはアトラスを見据え、ふと微笑んだ。
「ユリウスが憎み、その為に滅ぼそうとした世界にて、ユリウスに課せられた罰のはただ一つ、人を愛せということ。……それが人類全体でも良かったのだが、不器用なあの子は、君しか選べなかった」
アトラスは首を振った。
「あいつが愛していたのは、初代だ。俺は同じ魂を持っていたとしても、別の人間だ」
そう、ユリウス自身が言っていた。
「ユリウスは君のことも愛していたよ。でなければ、あの子の望みは叶わなかった」
セレスの視線が肩の鳥に向けられた。
結果が物語っている。
「でなきゃ、こんな無茶はするものか」
「無茶?」
刻印を刻むという行為自体が、自分の一部を分け与えるに等しいのだという。
それも二人分。
ユリウスの減らされた能力を、量に換算するなら、半分位はそこに費やされていたのだセレスは語る。
「その上、君と君に近しい者を治療しているだろう? 力を封じられたユリウスが、治癒の力をつかうことは、身を削る行為だった」
ユリウスは人を救わない。
その公言の理由には、そんな事情があったと聞けば納得する。
レイナも治さなかったのでは無く、治せなかったのだと悟った。
「既に、まともに思考できていなかったのではないか?」とセレスに尋ねられて、アトラス頷くしかなかった。
理由を知れば、ユリウスの最期の様子には、痛ましさを覚えた。
「もう、あの子にはあとがなかった。君に賭けていたのだろう」
次の転生を待つ余裕は無かった。だからアトラスの刻を停めたというのか。
「……直接、言えば良いのに」
「そうだね」
その点は激しく同意すると、セレスは溜息を吐いた。
「間接的な干渉を、一切受け付けない君の資質に、ユリウスはさぞかし苦労したことだろうね」
何年も何代もかけて巫覡を使い、情報を操作し、『タビス』を自らの元へと導いた。
そのやり方が回りくどいったら無い。
だが、なんともユリウスらしいとも言える。
「この異世界に、たった独りで千年以上か……」
たしかに充分すぎる罰だ。
剣を受け取った時の会話の中で、アトラスが口走った「自分は罪を背負いし者だ」という言葉を、ユリウスはどんな気持ちで聞いていたのだろう。
「……それを罪と呼ぶのは、お前自身の思いこみではないのか?」と、「肯定し、正当化して称賛として甘んじて受ける。人間とは、そういうものではないのか?」と、不思議そう首を傾げた、ユリウスの顔が思い出された。
だから、ユリウスは自分に興味を持ったのだろうか。
「ともあれ、『ユリウス』という身体を喪った彼は、自分の世界に帰れるのですね」
アトラスは、セレスの肩の鳥に目をやった。
「私が刻んだ刻印によって、あちらの世界に生まれ直す筈だったが、どうしても使いたい身体があったらしい」
セレスは優しい微笑を鳥に向けた。
「私が来るのは判っていたのだろうね。たしかにこの方法なら帰れる。私が責任をもって連れ帰るよ」
目を覚ました鳥の、感情の読み取れない紫水晶の目とアトラスの視線が交わった。
この鳥に『ユリウス』だった記憶があるのかは気になったが、アトラスは聞かなかった。
「千年の孤独を経て、彼が故郷に帰れるなら、それでいい」
「完全に独りという訳でも無かったかな。ユリウスを慕って、こちらについて来た生き物はいるよ」
「えっ?」
「君たちは竜と呼んでいるね」
人の言葉を介し、翼が無いのに空を飛ぶ、どの生き物とも似ていない生き物。
元来、この世界のものでは無いと聞けば納得が行く。
「君は気付いただろうか? ユリウスと共に魔物と呼ばれていたモノが形を保てなくなったのを」
そもそも魔物を感じられないアトラスには、そんなことは判らない。
「そうだったね」と、セレスは苦笑した。
「魔物というモノは、本来は存在していなかったんだ。あるべき形に戻ったというのが正しい」
ユリウスという、この世界にとっての異物が存在することで生まれた、副産物だったのだと、セレスは語る。
自身の存在が歪め、生み出す魔物の影響を、自身が憎んでいた筈の存在の為に、食い止め続けていたユリウスを思うと、アトラスは何とも切なさを感じた。
ユリウスが形を喪った様が魔物のそれに似ていたのでは無く、魔物の方がユリウスをなぞっていたのだと、アトラスは理解した。
「では、魔物はもう、生まれないのか?」
「うん。人は自分の負の感情を、自分の裁量で落としどころを見つけ生きてく、それだけだ」
何も特別なことでは無い。あるべき形に戻っただけなのだろう。
「なら、竜は? 竜も消えたのか?」
「かれらはこちらの水と食べ物を口にして、子孫を残した。もう、こちら側の一つの種として成立しているから、それはない」
セレスの話によると、元々の竜は精神感応で巫覡のような鋭い人間とは会話が成り立っていたらしい。
今の竜は人語は理解するも、竜側から発信する能力は無い。
竜の血の効果が伝承より弱いのも然り。
それを退化ととるか、こちらの環境に順応した結果ととるかは、受け取り方次第だろう。
サクヤによるアシエラ伝の報告とも合致する。




