■月星暦一五八六年十一月⑤〈証〉
セレスはアトラスを見据えて、微笑んだ。
「あの子を、救ってくれてありがとう。最期の瞬間、あの子は幸福だった」
「何故、判るんです?」
「残滓がそう、告げている」
セレスはアトラスの右腕を指差した。。
「そこに、あの子の刻印があっただろう? 気配が残っている」
言われて気付いた。
右腕にはもう、刻印は無い。
「刻印は契約の証だ。君の場合は、その特殊な体質のせいで、痣という形で肌に表れていたようだが、実際には君の魂に刻まれていたものだ。事実、君の番は表面に出てはいなかっただろう?」
セレスはアトラスの後方に目を向けた。その方向にはサクヤが待っている。
「契約した者は、閉じた輪の中に捕らわれる。君の、君達の魂はそれによって強制されて生まれなおし続けた」
アシエラの時代から、何代巡ってきたのだろうか。
ユリウスの導かれて、『自分達』はユリウスの約束を踏みにじりながら、幸せに生を甘受し続けてきたのだろうか。
「契約は果たされた。だから、刻印は消えた。君も自由だ。次の生は無い」
「俺がしたのは、あいつを屠っただけだ。そんなことが契約完了だなんて!」
「それが、あの子の唯一の望みだったからだ。君は恩人なんだよ」
「望み……そういうことか」
先程宙に浮かんだ別の刻印について、セレスは「私が刻んだ私の刻印」だと言った。
「ユリウスもまた、契約に縛られていたのですね」
ユリウスもセレスと、何らかの契約をしていたということだ。
「鋭いね。そうだな。君にはちゃんと話しておいた方が良さそうだ」
セレスはアトラスの前に、胡座をかいて座った。
「灯りがあった方が、話しやすいな」
上に向けられたセレスの掌から、光の玉が生まれた。
セレスが玉を無造作に投げると、玉は五つに分割して二人の周りを等間隔に囲った。
ランタンよりも明るい光が、辺りを覆う。
何も無い宙に浮かぶ光源に照らされたセレスの顔は、溜息が出るほどに美しい。
焚火を囲むという言葉があるように、灯りなら中央に一つ在れば良さそうなものだが、自分達を囲んだことに、アトラスは違和感を感じた。
顔にでていたのだろう。
「結界も兼ねているんだ。まだ、剣の残滓はあるから大丈夫だろうが、一応ね」
説明はしてはくれるが、意図はわからない。
セレスはとてつもない美人だが、ざっくばらんな話し方をする。
違和感がありそうなものだか、セレスの場合は何故か妙にしっくりきた。
「……ユリウスがあなたとした契約は、ユリウスが罪人だと言ったことと、関係があるのですか?」
「うん。でも先ずは、この世界の仕組みから話すべきかな」
いきなり壮大な話題からセレスの話は始まった。
「君達と我々は、同じ場所に息づいている。だが、層………いや、次元と言った方が判りやすいかな?それが異なる為、本来は交わる事はないんだ」
セレスはポンポンと大地を叩いた。同じ場所だと示したかったようだ。
「言わば異世界。だが、同じ場所を共有する為、互いに無関係でいられない」
セレスは空を見上げた。視線の先には満月が輝いている。
「大昔、こちらの世界の者達が、酷く大地を汚したことがあった。それこそ、自らを滅ぼす程の汚染に、我々の世界も、その影響で重篤な被害を受ける羽目になった」
遠い日の惨状を語るセレスは、貌に痛みを覗かせた。実際に見てきた者の顔である。
「永い時間をかけて癒された大地に、再び人類が生まれた折り、今度こそ違えぬように我々は道を示していた。その時の人々の記憶が、我々を神として崇める礎になった」
世界中には、セレスの他にも海風星の金髪碧眼の太陽神や、東の島国の黒髪の女神。海と生きる民の風を操る男神。火山を崇める民の赤い髪の女神等など、神々の姿絵が残っている。
「こちらの世界に来られるのは、ある程度力の強い者に限られる。ユリウスは中でも抜きん出て力が強かった」
セレスは遠い目で語り続ける。
「ユリウスは、かつてこの地球を汚した人間という種を憎んでいた」
「地球? 憎んでいた?」
知らない呼び名に、ユリウスの印象にそぐわない単語。
アトラスは首を傾げた。
「地球というのは、君達が立っている大地の、遥か昔の呼び名だよ」
セレスはしまったという顔を、一瞬覗かせた。
「球…丸い地か。うまいことを言う。大丈夫、俺は地平線が円い事を、知っている」
「そうか」
少し驚いたように目を瞠り、セレスは続けた。
「……ユリウスは、人間がまた発展していくことを恐れたんだ。愚かにも、いずれ同じことが繰り返される、ならばその前に滅ぼしてしまえうと考えた。それこそ神に成り代わって、裁きを下そうとした。自分にならできると、力が強かったので、勘違いしてしまったんだ」
「あのユリウスが、そんな傲慢なことを?」
アトラスが驚いて、口を挟む。
ユリウスに感じていたのはどちらかといえば省出力《省エネ》と無関心。
害悪だから滅ぼそうなどという、正義感気取りの動機で行動する姿は、アトラスには想像出来なかった。
「そうだね。傲慢だ」
目を伏せるセレスの顔は、悲しそうに見えた。
「ユリウスの企みは序盤で食い止められた。だが、大規模な地殻変動に気候の変動など、様々な大災害は起きた。多くの人間の命は奪われ、また、住処を喪った」
月星の民もまた、祖先が新天地を見つけるまでは、数百年に渡って流浪の民だったという逸話がある。
大災害で故郷を喪った為と伝聞にあるが、その原因をユリウスが起こしたということなのだろうか。
「でも、そんなことをしたら、繋がっているというあなたがたの世界も傷つくのでしょう?ユリウスが考えないとは思えない」
「勿論、承知の上だった。あの子の中では、もっと酷いことになる前の小さな犠牲。必要悪という結論に至ったのだな」
ユリウスのしでかしを、セレスの同胞はできる限り修復したという。
だが、セレスがこの地に来たのはユリウスを連れていたという一回のみの筈だ。
「あなたは、その修復作業には参加していなかったのですね」
「そうだ。私はユリウスの拘束に、力を割かれていたので、修復には参加していない」
大それたことを考え、実行できてしまったユリウスを、セレスは拘束していたという。
セレスは、ユリウスの上をいくとんでもない能力者なのではなかろうか。
アトラスの考えたことを察したのか、セレスは頷いた。
「そうだね。君は不干渉体質だから、私とこの距離で話していてなんとも無いのだけど、大抵のこちらの人間は、私の《《気》》に当てられて気分が悪くなっちゃうかなぁ。多分まともに話せない」
セレスはあっけらかんと言って笑った。
ここでアトラスは、今も宙で囲っている光球が、セレスの『気』とやらが、周りに影響を及ばさない為の処置なのだと、アトラス理解した。
「でも君も、人にしては相当強い気を発してるよ? ……って自分じゃ分からないんだっけ」
さらりと凄いことを聞いた気がする。
言われてみれば、覚えがある。
アトラスが怒気を強めたり圧を込めると、かなりの確率で相手は怯んでいた。
そういう理由ならばとアトラスも納得できた。




