■月星暦一五八六年十一月③〈降臨〉★
初めて遭った時と同じように、白い砂の上にユリウスは佇んでいた。
天にあるのは、照りつける太陽ではなく、冴え冴えとした丸い月。
「遅かったね。待ちくたびれたよ」
寝坊した友人に待たされた位の気軽さで、ユリウスは微笑した。
「数十年なんて、お前には一瞬だろう」
「いいや、待っていた。ずっと、待っていた。気の遠くなる程の歳月をずっと……」
古風な袖の無い衣装が、夜風にはためいた。
あの時のままの姿で、ユリウスは艶やかに笑う。
「何を言っているんだ。お前と出会って千年以上も経っているのに。どんなに私がこの時を待ちわびたと?」
「何を言って……? ああ、そういうことか……」
アトラスは、ユリウスが自分と始まりの男とを混同していのだと悟る。
「ナルイェシル」
ユリウスの声が艶を帯びた。
それが初代の名前だろうか。
妙な名だとアトラスは思った。
ナルは古い言葉で柘榴を意味する言葉だった筈だ。
柘榴は紅い。
そこまで考えて、黒塗りの資料が脳裏を過った。
名の由来は鉱石だとあった。
柘榴石には、赤に混じって珍しい色の石が採れることがある。
「イェシル、覚えているか? それが、契約の証し」
ユリウスは、アトラスの右腕を指差す。
「お前の願いはあの女だった。最初の生で叶わなかった女との道筋を次の生でと、お前は願った」
「それが俺の願い……」
「そうだ。だから私は、生まれてくる度に、お前に彼女をひき会わせた」
泣きそうにユリウスの声が震えた。
「私は、守ってきた。お前との約束を。何度も、何度も、何度も、何度も!」
「……サクヤは、レイナだというんだな」
「そうだ。レイナであり、アメリアであり、アリシアであり……アシエラだ。とにかく彼女だ」
「そうか……」
仮説は正しかったらしい。
「今度はお前の番だ。果たしてくれるんだろう?今度こそ」
紫水晶の瞳は異様な輝きを見せていた。
壊れている。
知らず、涙がこぼれた。
「待たせて、ごめん」
これは、自分の役目。
何代もの生を渡って、果たされなかった約束。
アトラスはユリウスに向って一歩を踏み出した。
ユリウスが怪訝な顔をする。
「お前は、アト……ラス?」
「そうだ。俺の名はアトラスだ」
今一度アトラスは、正面からユリウスの造り物の様に美しい顔を見つめた。
言いたい文句も、聞きたいこともたくさんあった筈だった。だが、この紫水晶の瞳の前ではどれも些末なことの様に思えた。
瞳に帯びた切ない色に、胸がつまった。
「礼を言う。ユリウス。俺を諦めないでくれてありがとう」
アトラスは腕を伸ばし、ユリウスの身体を引き寄せた。
そこには確かな熱がある。
ユリウスの歳月、費やされた労力の数々に、アトラスには渡せるものが無い。
餞別にと、口付けを贈った。
深くじっくりと、惜しむ想いを込めて離した。
紫水晶の瞳が歓びに見開かれた。
「さよなら、ユリウス。俺も愛していた」
サクヤに言われて気づいた。
人間の中で異様なアトラスにとって、この世界の異質であるユリウスは、唯一無二の同志の様な存在だったのかも知れない。
抱きしめた身体は思いのほか華奢だった。
アトラスは躊躇わなかった。
自分に届く勢いで、背中側からユリウスに剣を突き刺した。
事実、切っ先は自身の背に迄届いているが、人を斬れない剣である。アトラスに害は無い。
「ありが、とう……」
耳元で、ユリウスが微笑んだのが判った。
ユリウス身体は、傷口から砂のように綻びた。月灯りを反射し、きらきらと風に散り始め、形を喪う。
剣も同様に崩れた。
柄の先に結ばれていた空色の飾り石だけが、ぽとりと砂の上に落ちる。
その様は、皮肉にも伝え聞く魔物に憑かれた人間が滅びるときの様に酷似していた。
手の中からこぼれ落ちていく粒子を逃すまいと、アトラスは膝をつき手を伸ばすが、ユリウスだった欠片は白い砂に紛れてすぐに判らなくなった。
「なんで、こんな消えかた……」
拾った飾り石をアトラスは握りしめた。こぼれる涙に視界が霞む。
嘲笑うかのように明るい月の下、抑えきれずに嗚咽が洩れた。
そう時間は空かなかっただろう。
不意に空気が揺れた。
「これはまた、相当無茶をしたもんだね」
空間の裂け目から、唐突に現れた人物は、辺りを見回して、呆れたように呟いた。




