□月星暦一五八六年十一月①〈白い砂漠〉
□サクヤ
月星首都アンバルの東、砂と礫ばかりの赤い大地の先に、横たわる白い砂漠。
『神が坐わす場所』『神が降り立つ場所』とされ、神域と呼ばれている。
不用意に近付くと気が狂い、それは『神の祟り』と言われている。
アトラスがユリウスと初めて遭った場所である。
竜は砂の一粒にすら触れたくないかのように、この上空は避けて翔ぶ。
『祟り』の正体は神域を取り囲む禁域と呼ばれる領域を覆う、大量の『魔物』である。
現在はアトラスの手にあるユリウスの剣の、残滓に引き寄せられている魔物も、残滓が消えれば好物の負の感情を求めて人里を目指すだろう。
『残滓が消えるまでに事を成せ』と、ユリウスは、ここにも制限時間を設けていたということだ。
砂漠の境界で竜を降りたアトラスとサクヤは、白い砂を噛んで中心部に向かって歩みを進めた。
竜を降りた時には、茜色に染まっていた空も薄闇に覆われ、冴え冴えとした満月が顔をのぞかせていた。
白い砂に、青白い光が二人の影を伸ばす。
神秘的で美しいが、生き物の気配が乏しく恐ろしくもある。
人がこの場所に『神への畏怖』を覚えるのも解る気がした。
やがて、サクヤは足を止めた。
「アトラス」
サクヤは、少し先を行く背中を呼び止めた。
「わたしはこれ以上、行けないみたい」
アトラスとサクヤの間を、隔てるものは何も見えない。
手を伸ばしても掴めるものは無い。
だが、サクヤはどうしても足が動かなかった。
たった数歩という僅かな間に、見えない壁のように二人を隔てる『何か』があった。
もし、それが視認できるのであれば、半球状に無数に覆い尽くしている『モノ』を確認できるのだろう。
振り返ったアトラスは、サクヤが越えられない数歩の距離を、易々と詰めて戻ってきた。
サクヤの手を取り、更に数歩戻る。
「竜が呼べる場所迄戻って、待っていてくれ」
「でも……」
「この辺りでも、長居すると気分が悪くなるかも知れない。竜とともに居れば、野生動物も近寄っては来ない」
入れないのは、サクヤも最初から解っていた。
アトラスは街で待っていろと言ったが、少しでも側にいたくて、ついてきたのだ。
アトラスの心配事を増やすのは本意ではない。
サクヤは了承した。
握る手の震えはどちらのものだろうか。
「なあ、サクヤ。もし俺が、年齢通りの爺さんになっても、一緒に居てくれるか?」
「当たり前でしょう。どんな姿でも、あなたはあなただわ」
即答するサクヤに、アトラスは驚いた顔を向けて「凄いな」と呟いた。
「俺はその一言が言えなくて、随分悩んだのに」
サクヤは返事の代わりに、アトラスをぎゅっと抱きしめた。アトラスの方からも背中に腕が回される。
「しっかりお別れをしてきなさい」
「ああ。行ってくる」
アトラスは頷くと、背を向けて歩みだした。
サクヤが足を止めた場所も、難なく通り過ぎていく。
足取りに、躊躇いはない。
「必ず、帰って来てね」
次第に小さくなっていく背中が視認できなくなるまで見送って、サクヤは踵を返した。
【禁域図解】
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