■月星暦一五八六年十月⑦〈遺産〉
アウルムはサクヤを連れてきていた。
遅くなった理由は、サクヤを呼び出したかららしい。
「何故、サクヤを?」
「マイヤが連れて行けと。彼女もはっきりと視えているわけではなさそうだが」
「なるほど」
意図は判らずとも、巫覡がそうした方が良いと言うなら、いずれ必要になるということだろう。
考えても仕方がない。
レゲンスはモネと情報案内誌の案を煮詰めてくると、入れ違いで出ていった。
増築された図書館新館の、倉庫の一つにアウルムは四人を案内した。
扉には厳重に鍵がかけられ、『アウルムとアトラス、及びいずれかが許可した者以外の入室を禁ずる』と書かれている。
「ここは?」
アトラスはアウルムを見やった。
「見れば判るさ」
中は埃とこもった空気の匂いがした。
窓を開いて換気をし、灯りを点ける。
外した埃よけの布の下に置かれていたものは、アトラスが予想もしていなかった物ばかりだった。
棚には書類や本、年代物の宝飾品類、揃わない食器や筆記具、欠けた装飾タイルや壁紙の一部などが整然と並べられていた。
一脚だけの椅子、サイドテーブル、鏡の外れた鏡台など小さめの家具の類も見える。
「これって……」
イディールが言葉を失った。
「ジェダイトの城にあったものだ」
アウルムが説明する。
「私が集められたのはこれだけだった」
「……」
イディールは、革張りの表紙の手帳を手にとって開いた。
後ろから覗き込むと、かなりくせの強い字で、びっしりと書き込まれているのが判った。
「お父様の字だわ。この悪筆」
少し笑みを零して棚に戻すと、猫足の鏡台の前に立った。
「これ、私が使っていたものだわ」
飴色に仕上げられ、材質は胡桃の木だろうか。螺鈿で細やかな模様が施されている。
イディールは台の上の傷に指でなぞった。
「私が香水の瓶を落として付けた傷なの」
その声音は、少し湿り気を帯びていた。
棚の後ろ側には、肖像画が何枚も並んでいた。
イディールはフィリアに向かって、一枚の絵を示した。
「この方はモナク様。アウルム陛下達や私の高祖父にあたります」
「アウルム様とアトラスによく似てるわ」
サクヤが驚いていた。
モナクは青灰色の瞳に青みがかった砂色の髪をしており、二人によく似た顔立ちをしていた。
モナクの両脇には二人の青年が描かれていた。
「よくこんな絵が残っていたな」
アトラスも驚いた。
内戦の発端になった兄弟、ジェイドとアンブルが同じ一枚の絵に収まっている。
アンバルの城には、ジェイドの肖像画は焼かれて残っていない。
「ジェイドは追い出したアンブルを、憎んでいた訳ではなかったのか?」
「仲の良い兄弟だったらしいぞ。元凶はアンブルの母親だよ」
「バシリッサか」
アンブルの母親でありながら、バシリッサはアンブル派でもあまり良い伝わり方をしていない。
黒い噂は絶えず、モナクの遺言を捻じ曲げたという話は、アトラスでさえも案外本当かも知れないという気がしている。
繊細な部分に触れてしまう為、それ以上は踏み込まずに、次の絵に移った。
「なんだ、これは……」
続いて見た肖像画に、アトラスは絶句した。
「これはジェイド様の息子、私にとっては祖父のスフェン様の若い頃。……改めて見ると、あなたにそっくりね」
「もはや俺の肖像画と言われても、信じてしまいそうだ」
「見つけた時、この絵はいの一番に隠したよ」
アウルムも苦笑している。
「血縁者同士で、莫迦なことをしていたということが、よく判るわね」
イディールは溜息を漏らして、次の絵に目を移した。
青灰色の瞳に青みがかった砂色の髪、髭を蓄えた人物のその顔をアトラスは知っている。
「……ライネス王」
「そう、私のお父様」
絵には妻と娘、つまりイディールとその母親も並んでいた。
「やっぱり私、可愛かったわね」
イディールは絵の中の自分を指さして笑う。
「これ、おばあちゃん?」
「そうよ。美人でしょ」
十代の、フィリアよりも幼いイディールが、豪奢なドレスを纏って、花のような笑顔を振りまいていた。
「たしかにわたし、おばあちゃんに似てるかも」
フィリアが驚いている。
「モナク様、スフェン様、ライネス様におばあちゃん、アトラス様も髪の色が似てますね」
フィリアは、なかなか際どいところに目をつけた。
「始祖ネートル様の髪の色なの。血に出やすい色らしいわ」
「ボレアデス家の血って濃いのね」
「違いない」
イディールの説明に、サクヤが妙な感想を挟み、アウルムが同意して有耶無耶にした。
フィリアはイディールとアウルムの初対面に同席していたのだ。言及はしてこないが、案外気付いているのかも知れない。
しばらく、じっと絵に見入っていたイディールはアウルムを見上げて微笑した。
「アウルム様、懐かしいものを見せて頂き、ありがとうございました」
アウルムが戸惑った顔をした。
「イディール殿、私は貴女にこれらをお返ししようと思って呼んだのだが」
「今更、要りませんわ」
清々しくイディールは断言する。
「もう、私には不要のものですもの」
思い出したように、イディールは服の下のペンダントを引き出し、外した。
見事な翠玉だった。
「母の遺品ですの。コレクションに加えて下さい」
「イディール、物は使われてこそ価値がある。こんなところで埃を被る位なら、あんたが持っていた方が良い。でなきゃ、フィリアに渡してやれ」
「私もそう思う」
アトラスの言葉に、アウルムも頷いた。
イディールは孫を見やる。
「フィリア、要る?」
「貰っても困る」
フィリアはふるふると首を振った。
「持っていても使えない首飾りは、無いのと一緒です」
こんなに大きな翠玉はけっこうな価値があるはずだが、豪華すぎて普段使いは出来ないなら要らないと、フィリアはあっさり断った。
「なら、貴女かな」
イディールはサクヤの手の中にペンダントを落とした。
「なぜ、わたし?」
「マイヤ陛下は未来視の巫覡なのでしょう? その方が貴女を同行させたことに意味があるなら、そういうことなのでしょう」
マイヤには会ったことは無いイディールだが、噂や今までのやり取りで判断したのだろう。
「サクヤさん。いつか……二十五年後がいいかな。資料館でも作って愚かな七十五年の歴史と一緒に、ここの物を展示してよ。それまで、首飾りは預けるわ。夜会にでも着けて頂戴」
二十五年後。開戦して百五十年目の年である。
「……何故、わたしに頼むの?」
「外国人の貴女の方が、客観的に物事を見られるでしょう」
二十五年後。
おそらくイディールもアウルムもこの世にはいない。アトラスは不確定。フィリアを除けばサクヤが一番確率が高い。
サクヤは考える顔付きになり、やがてアウルムを見あげた。
「アウルム様、美術館を建てましょう」
「美術館?」
「お城には日の目を見ずに眠っている名品、芸術品は山程あるでしょう?」
アウルムが考える顔付きになった。
「良い案です、サクヤさん。お城や貴族の方がたの凄いものって、憧れの対象ですよ。みんな、見たがると思います!」
フィリアがキラキラした目を向け、アトラスも頷いた。
「観光資源にもなるな」
「その一角に、ここのものを展示する場所を作るということね?」
「そう。別に二十五年、待たなくても良いと思うの」
どうでしょう? と、サクヤがアウルムを見つめた。
「貴族連中も巻き込めば、展示物はあっと言う間に集まるな。どこの家も、先祖のものだからと捨てるに捨てられない逸品が、倉庫に溢れているだろうよ」
「どこかの花瓶みたいにね」
アトラスの言葉にイディールが含み笑う。
「月星初の王立美術館。大仕事になりそうだな」
アウルムは頷き、サクヤを見やった。
「初代館長殿には、お手伝い願うよ?」
ぽかんとするサクヤ。
「わたしが館長?」
にっこりとアウルムに微笑まれたサクヤは、アトラスに助けを求める視線を送ってきた。
「言い出しっぺだしな。大丈夫、巫覡のお墨付きだ」
「期待してるわ」
「楽しみです、サクヤさん」
同じ先祖を持つ四人に囲まれて、サクヤは観念したらしい。
「承りました。開館記念式典《オープン記念セレモニー》には、このペンダントを着けてお披露目するから、絶対来てね」
サクヤはイディールの目を見据えて微笑んだ。
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六章〈肖像画〉回収回。やっと!
十三章のイディールのペンダントも回収。お母さんの形見はエメラルドでした。




