■月星暦一五八六年六月〜九月③〈調査③解放〉
【前には狼の群れ。後ろには崖。逃げ場を失っていたネートルの頭上に突然大きな影が過り、空から男が降ってきた。
男は狼を蹴散らし、ネートルの腕を掴んで崖に向かって飛んだ。
死を覚悟したネートルは崖の途中で、大きな空飛ぶ生き物の背の上に落ちた。
『大丈夫か?』と声をかけられ、ネートルは男に救われたことを悟った。
鳶色の髪に■色の瞳、年の頃は二十代前半の青年。
男の名は■■■■■と名乗った】
【男の利き手には鮮やかな不思議な形の痣が刻まれていた。
何かと問うと『約束の刻印』だと■■■■■は答えた。
月にも鳥にも女性の姿にも見える痣を『タビス』の『刻印』に違いないとネートルは判断した。
『我にタビスが舞い降りた。我に女神の加護あり!我こそが王なり!』
ネートルは自ら王と名乗った。
女神の加護を受けた『タビス』の存在がその証だと、ネートルは王と認められた】
【■■■■■の名前の由来は、瞳の色に因んでつけられたものだと言う。
通常は赤色である鉱石に、時々混じる■色の石になぞらえてつけられたとのこと。
■■■■■の瞳の色、名前に着想を得たネートルは
『朱い大地に■が広がるように』
と願いを込めてこの地を■■■■と名付けた。
その名前は、ネートルのかつての故郷の言葉で■を意味していた】
【『どんな時でも心を強く持て。弱い心には魔物が憑く』
と■■■■■は言った。
『良い行いをし改めよ。さすれば、青銀の髪、紫水晶の瞳の、この世の者とは思えない程の美しい、ユリウスという名の青年が、魔物を退治する剣を携えて来てくれよう』
■■■■■は、故郷で実際に遭った惨劇を例に説いた。
それは荒唐無稽にも思える恐ろしい話。
にわかには信じがたくも『タビス』が真面目に説く話を無碍にできるはずもない。
『タビス』の言葉は『女神の言葉』も同義。■■■■■の話は教訓として広められた】
※※※
「ふん、ユリウスの御伽噺も初代が広めたってわけか」
図書館の司書が調べ、抜き出し、神官が纏めてきた初代に纏わる部分の現代語訳を読みながら、アトラスは鼻を鳴らした。
資料は続く。
【丘に刻まれた先住民の住居跡を使い、そこを拠点に街作りを行う協議。
心許ない井戸水を補う水源確保に、■■■■■による空から周辺探索にて問題解決】
【ネートルとを筆頭に、弓と剣に長けた■■■■■が協力して山賊退治】
初代タビスが関わっている項目はとりあえずどんな些細なことでも抜き出して貰っている。
大半は建国にネートルと共に尽力したものだが、時々私的なやりとりも混ざっていた。
ネートルと初代は相当仲が良かったらしい。ネートルと初代との他愛ないやりとりの
中に見逃せないものがあった。
【『嫁はとらないのか?』というネートルの問いに、■■■■■は『故郷に愛した女がいる』
と答えた。
『女の許に戻る気なのか?』
とネートルが尋ねると、■■■■■は首を振った。
『女とは今生の別れをしてきた。今世の縁は来世で繋ぐ』
『意外に夢想家なのだな』
ネートルが呆れると、
『そういう契約をしている』
と■■■■■は大真面目に答えた。
『俺たちは来世で番う。成就した暁には、その対価を支払わねばならん』
あまりにも真剣な■■■■■の顔に、ネートルは冗談とは思えなかった。
『対価とは?』
『契約者の望みを果たすこと』
『望みとは?』
『この世界からの解放』】
「解放……」
アトラスは眉根を押さえ目を閉じた。
契約者とは当然ユリウスのことだ。
解放ーーつまりユリウスは何らかの制限下にある状態だということだ。
文字通りに受け取れば、『この世界に囚われている』ということだろう。
薄々気づいてはいた。
ユリウスは、アトラス達のことを『人間』と呼ぶ。
人間離れした完璧過ぎる容姿に、人を超越した能力を持ち、人に良く似ているが人とは違う身体を持ち、長い年月を生きるユリウスが『人間』ではないことは、当然理解している。
アトラス達が住む地を『この世界』と言うユリウスは、おそらく『この世界』の者《住人》では無い。
人を斬れない剣で、人ではないユリウスを斬ることは、即ユリウスの『死』を意味するのだとアトラスは思っていた。
だが、ユリウス側から見れば、違うのかも知れない。
斬るのはユリウス自体では無く、彼を囚えている楔なのかも知れない。
ユリウスの望みは、人の尺度では推し量りきれない。
解放するということは、どんな形であれ、ユリウスはこの世界から居なくなるのは間違いないだろう。
それをユリウスが望むというならば、アトラスは応えるしかない。
「この世界に囚われたユリウスを、自由にする為の手段があの剣で斬ること。それが俺の支払う対価かということか。……いいだろう。やってやるよ、ユリウス」
アトラスの肚は決まった。




