□月星暦一五八六年六月②〈古文書〉
□サクヤ
「マイヤ、古文書を調べる許可が欲しい」
「古文書?」
突然出てきた単語に、サクヤもマイヤも怪訝な顔でアトラスを見た。
「この国の創国の物語『アシエラ伝』は、編纂された書物だ。おそらく不要なこと、都合の悪いことは省かれている。元になった資料がある筈だ。それを識りたい」
「伺いましょう」
マイヤが居住まいを正した。
サクヤがマイヤの隣に移動した為、二人にアトラスが向かい合う形に座っている。
「サクヤ、ユリウスはレイナに言ったのだろう?また俺に会わせると」
「ええ」
「サクヤさん、詳しく」
マイヤの視線がサクヤに向いた。
「私が死ぬ前の夜、ユリウスが枕元に来て言ったのよ。『私が必ず会わせる』と。そして、わたしのところに現れ、約束通りアトラスに逢わせてくれた」
「多分、それがユリウス側の盟約だ」
「盟約……ユリウスがアトラスに思い出して成せと言ったというアレ?」
「そう。その盟約だ」
盟約は一方だけでは成り立たない。ユリウス側も何かを果たしていたと考えなければ、辻褄が合わないとアトラスは語る。
「サクヤ、お前はアシエラだったのだと思う」
「はいぃ?」
サクヤはぽかんとした。
レイナだったことは受け入れられても、いきなり始祖もそうだったと言われて、頭がついていけない。
「話が見えないわ」
戸惑うサクヤに対して、マイヤは納得という顔をした。
「推測だが、アシエラには恋人がいたんだ」
「恋人? ブライトの息子ではなく?」
アシエラの伴侶はアシエラを拾い育てた、邑の長老ブライトの息子だったと伝えられている。
「別の歴史書にちらりと載っていた、禁を破ってアシエラを救い、追放された方のことですね」
アトラスはマイヤに頷いてみせた。
「この国で禁忌と言えば?」
「竜血薬……」
「そうだ。つまりそいつは、無断で竜血薬を使ってアシエラを助けたんだろう。それで追放された」
「助けたのに?」
「だから追放で済んだのだろうよ」
アシエラはこの国の始祖と呼ばれる人物である。
まだ国と名乗る程の集団では無かった時代、原始的な裁きで処断といえば端的に『殺せ』だった筈だ。
「そして、そいつが初代タビスとなった、ユリウスと盟約を交わした男だ」
「初代タビスはこの国の人だったの?」
驚くサクヤにアトラスは頷いた。
「この刻印は女神ではなく、ユリウスか刻んだ盟約の証なんだそうだ」
アトラスは自身の右腕を示した。
やけに断定で語るが、サクヤの知らない二十五年の間に、判明したことなのだろう。
サクヤは黙って先を促した。
「月星の始祖ネートルは、竜に乗った男を『タビス』だと思った。男には刻印があった。以来、刻印がある者がタビスとされた」
「それがタビスの真実……」
とても月星の人には聞かせられない話だが、アトラスの顔は真剣だった。
「話を戻すぞ。初代タビスの男はアシエラと恋仲だったのだろう。追放された男は多分、ユリウスにこう願ったんだ。次の生でアシエラと番いたいと」
意味がやっと繋がった。
「だから、わたしがアシエラだと?」
「お母様がサクヤさんとして、ユリウスに導かれて刻印を持つお父様の前に現れた。それが証明していましょう」
マイヤが捕捉する。
「じゃあ、歴代のタビスに対して、ユリウスは繰り返し、その約束を果たし続けてきたというの?」
「おそらく」
アトラスは苦り切った顔で応えた。
「ユリウスが、俺にさせたいことの見当はついてる。だが、俺は納得出来ていない。せめてその理由を知りたい」
アトラスがぎゅっと拳を握りしめた。
一方的にユリウス側の、果たし続けられてきた盟約の対価を支払うのは、気づいてしまった以上、アトラスの役割。
はっとしてサクヤはマイヤを見た。
かつて、マイヤはサクヤに言った。
アトラスは人として死ぬ為に、ユリウスを探していると。
人としての刻をユリウスに止められてしまったアトラス。
娘の年齢が四十歳を越えても、未だ三十歳頃のままの姿。
そのお陰でサクヤは、共に歩める年齢差でアトラスに出会えた訳だが、ユリウスとの盟約を果たさなければ、アトラスの時間は動き出さない。
二人の姿は未来の自分達に置き換えられる。
共に生きると言ってくれたアトラスの決意を知り、サクヤは目頭が熱くなった。
真実を知ってしまえば、サクヤにとってはユリウスは恩人でしかない。
ユリウス側の思惑は判らずとも、サクヤからしてみれば、自分が生まれる未来を視て、アトラスの刻を止めたとも言い換えられる。
人は斬れない剣を持って、人ではないユリウスを追う意味には、さすがにサクヤも気づいていた。
「だから、初代タビスとなった男性のことを知りたいと。その為に古文書を調べたいと仰る訳ですね」
アシエラ伝の編纂は、ブライト家の者の手によって行われた筈だ。アシエラに恋仲の男がいたなどという記述があるわけがない。
「解りました。勿論協力は惜しみません」
力強く頷くマイヤに、アトラスは頼むと言葉少なげに頭を下げた。




