■月星暦一五八六年六月①〈木箱〉
竜護星首都アセラの城前広場は、大きくせり出した歩道があり、真ん中には丸い噴水が作られていた。
上水が整備された記念に出来たものだ。
わざわざ井戸水を汲みにいかなくても、各家庭で蛇口をひねれば水が出る世の中になった。
噴水プールの石枠はベンチになっている。
そこに腰を掛けて、長らく動かない二人連れがいた。
背後の噴水の音を聞きながら、青空に映える城の尖塔を眺める二人の手はしっかりと繋がれている。
「再婚を決めた世の中の男達が、娘に報告する時の気持ちが解った気がする」
アトラスがぽつりとこぼす言葉に、サクヤが苦笑する。
「そもそも、お嬢さんを下さいすら、言ったことが無いでしょう」
「それも言いに行かなきゃならんのかぁ」
「妹さんを、だけどね」
ふふっと笑うサクヤの乳黄色の後れ毛が風になびいた。今日はハールにすっきりと纏めて貰っている。
「かつて娘だった女性に、お父さんを下さいっていう気持ち、解ってくれる人はいないだろうなぁ」
「違いない」
二人して忍び笑いをしていると、城門が開き、赤い髪の女性が出てきた。二人の前まで来て足を止める。
「あら、グルナさん久しぶり!」
「ええ、サクヤさん。お久しぶりです。じゃ、なくて!お二人とも、いつまでそうしているおつもりですか?」
グルナに呆れた視線を向けられた。
「なんとなく、踏ん切りがつかなくてな」
「アトラス様、陛下はしびれを切らしていますよ」
来ていることをマイヤが知らないわけがない。
「だ、そうだ。行きますかね」
「そうね。行きましょう」
アトラスとサクヤは重い腰を上げた。
繋いだままだった手をグルナに横目で見られて、慌てて離した。
くすくすと笑われて、なんだか気恥ずかしい。
グルナに案内された居間で、マイヤはにこやかな表情で待っていた。
面白いものをみる視線が鋭い。
「……どうせ、何を言おうとしているか分かってるんだろう?言う必要あるか?」
「是非とも、直接お聞きしたいですわ。わたくしの未来予測的中率を、あげてくださいませ」
マイヤの物騒な笑みに、アトラスは深々とため息をつく。
「……サクヤと共に生きること決めた」
「つまり?」
逃さないというマイヤの瞳に、アトラスが怯んだ。
「サ、サクヤを伴侶にすることにしたと言っている」
マイヤは、「まぁ!」とわざとらしく手を叩き、サクヤに向き合った。サクヤの両手を取り、自身の両手を重ねる。
「おめでとう、サクヤさん。よくぞこの朴念仁の首を縦に振らせましたね」
「親を朴念仁とか言うな」
不貞腐れた口調でアトラスは呟いたが、見事に無視された。
「それで、父は何と仰ったんですか?」
アトラスがぶんぶんと首を振る。
「言っちゃ駄目らしいわ」
「おや、残念」
笑いながらマイヤは、小さな木箱をサクヤに握らせた。
「お父様の決心がついたら、サクヤさんに渡そうと思っていましたの」
アトラスは、それが何か気づいた。
「おまっ、それ……!?」
「わたくしが頂いたものをどうするのも、わたくしの自由ですわ」
サクヤも中身が判ったのだろう。箱を凝視したまま、固まっている。
「いい、の……?」
「思い出の品なのでしょう?」
震える手で、そっと箱の蓋に手をかけるサクヤ。中には月長石の首飾りが収まっていた。
レイナの遺品の一つだった。
彼女が一番大切にしていた、アトラスが婚約時に贈った首飾り。
サクヤの頬を、一筋涙が伝った。
「お父様、つけてあげて下さいな」
アトラスは無言でサクヤの手から首飾りを取り上げると、彼女の後ろに回って留め金を繋いだ。
細いうなじに、遠い記憶が過ぎった。胸の奥にちくりと痛みが奔る。
振り向いて、どう?と尋ねてくる笑顔に目が奪われた。
重なる記憶。
マイヤはすかさず、サクヤに手鏡を渡した。
覗き込んだ鏡の中の自分を見つめたサクヤは、やがて大きく息をついた。
「マイヤ、ありがとう!大切にするわ!」
「どういたしまして。喜んで頂けて良かったです、お母様」
抱きつくサクヤを、受け止めるマイヤ。
四十歳を越えた娘と二十歳の妻という、絵面と台詞がちぐはぐとしかいえない二人が笑いあう。
三十年程前、今とは歳も姿も立場も違う二人が、同じ様に笑いあっていたのを、今と殆ど変わらない姿の自分が見ていたのをアトラスは思い出す。
幸せだと思った。
再びこの幸せを得た奇跡に胸が熱くなる。
ーーそう、これは奇跡。人為的な奇跡。
この奇跡を与えてくれた人物に、アトラスは今度こそ向き合わなくてはならない。
「マイヤ、古文書を調べる許可を」
アトラスは意を決して、この国の最高権力者に声をかけた。




