■月星暦一五八六年四月⑤〈贈り物〉
夕食にはモネの一覧にあった美露亭にて、夕陽に照らされたテラス席で摂った。
満開のアーモンドの花が、木の枝に灯された角灯の灯りに照らされて、薄闇の中淡くピンク色に浮き上がっている。
茜色から夕闇へと色の階調を変える空の途中には、沈みかけた繊月が浮かんでいる。
そんな景色を背景に、蝋燭に照らされた卓での食事は、どこか幻想的な雰囲気を醸し出していた。
「素敵ね……」
サクヤがため息と共に零す。
「そうだな……」
夕陽に朱く染まるサクヤの横顔が綺麗だった。
「……アーモンドの花は好きなんだ」
らしくなく、そんな言葉が口に衝いた。
「そうだったんだ?」
風に流された花弁が一枚、テーブルクロスの上に運ばれてきた。アトラスは指に挟んで目を落とす。
「毎年、この花を見て、春が巡って来たことを知った」
それ以外の季節はよく判らなかったのも、遠い昔のことだ。
指から抜けた花弁が再び風に乗って去っていく。花弁を追った視線の先にはサクヤがいた。
「誕生日おめでとう、サクヤ」
「えっ?」
アトラスは懐から、先程購入してきたものを差し出した。
「知らなかったんだ。遅くなってごめんな」
つい、九月な気がしていてハールに叱られた。サクヤの誕生日は一月だった。
個人の誕生日に贈り物をするというのはここ二十年で広まった習慣である。昔は、せいぜい当人の好物や少し贅沢なものを食べてお祝いした位だった。
サクヤは呆気にとられた顔をした。全く想像していなかったという顔。
開けて、ブレスレットを目にした顔が綻んだ。
「嬉しい!ありがとう」
早速腕に着けてみたサクヤは蝋燭の灯りに近づけてよく見ようとする。
今は蝋燭の光で、石は仄かに赤味がかって見えた。
「ブレスレットなら、いつでも眺められるから良いね」
確かに、耳飾りや髪飾りは自分では見られない。
明日、日の下で色が違うのを目にした時の反応が楽しみだ。
そんなことを考えていたら、ずいっとアトラスの前に包みが出された。
「なに?」
「来月、誕生日でしょ。東方の祝い方だと緑寿だっけ?」
「歳は数えないでくれると嬉しいかな。老け込むわ」
笑いながら礼を言って受け取った。
考えることは一緒だったらしい。
※※※
モネに指定された宿は、大通りから一本中に入った所にあった。ランクとしては中の上か高の下辺りか。
モネの感覚ではなるほど、『こじんまり』だろう。
隠れ家的な、『そこそこ』高級なお宿である。
蜂蜜は既に届いていた。チェックインとともに渡される。
部屋に風呂場は無く、代わりに館内に大浴場と個室風呂があった。
個室風呂には予約が入れられてある。モネの手配に抜かりがない。
通された客室には、居間の他には寝室はひとつ。
中にはどんと大きな寝台が一台置かれている。
なるほど、モネの手配はつくづくは抜かりがない。ハールが何か吹き込んだことが伺える。
サクヤがアトラスを見上げていた。
アトラスが部屋を変えると言い出すと思っているのだろう。
どのみちサクヤの夜の様子を見てこいと言われている。
これだけ大きな寝台なら、一台も二台も大差ない。
昔もこんなことがあったなと思いながら長椅子に座ると、アトラスが何も言わなかったことにだろう、サクヤは意外な顔をしていた。
※※※
深夜。
うなされる声にアトラスは目を覚ました。
嗚咽にも聞こえる小さな声。
寝台の隅っこで、サクヤは子猫のように小さく丸まっていた。
眠りながら零す涙に、アトラスは息を呑む。
「サクヤ!」
アトラスは思わず背中側から抱きしめていた。
髪からは蜂蜜の香りがする。
「もういい。君はそのままで良い。無理をするな」
回した腕に、サクヤがしがみついてきた。
「う〜ん……。アト……ラス?」
「ゆっくり眠れ。俺がついてるから」
「ん……、ありが……と……」
やがて聞こえてきた寝息は規則正しい。
聞き届けて、アトラスも眠りについた。




