■月星暦一五八六年四月④〈別行動〉
中央広場から馬車道に出てすぐのところに白山ケーキをオススメされた『茶栗亭』はあった。
併設されている喫茶室で軽食と共に頂くことにする。
ケーキの大きさがアトラスの拳程もあった為、頼むのは一つだけにした。
飲物はアトラスは珈琲、サクヤは果実水を選び、ドリアとサンドイッチを追加し、それぞれ分けて食べることにした。
サンドイッチは二種類、ローストビーフのものとピリ辛腸詰のものがそれぞれ新鮮野菜と共に挟んであった。
どちらを取るかで揉めたが、結局半分に切って両方を味わった。
ドリアはトマト味のひき肉の上に糸を引くほどのとろけるチーズがふんだんに使われている。適度な香辛料がよく合っていたが、サクヤに言わせると効きすぎだそうだ。
食後のケーキは、クリームの濃厚さが栗の豊かな風味と相まって口のなかに広がった。甘さが控えめな為、この大きさでもあっという間に消えてなくなった。
これなら一人一つづつでも食べられたかも知れない。
食後は歩行者専用路の方に戻り、蜂蜜専門店に向った。
サクヤは化粧品を自分用に、洗髪剤、石鹸を館用に、館の住人個々にはハンドクリームをお土産に購入した。
ハールには別に数種類の蜂蜜を選んだ。
なかなかの重量である。
この店は最後にするべきだったかと後悔しかけたが、聞けば、購入した商品は宿に届けて貰えるというので預かってもらい、次の目的地に向った。
途中、焼チーズケーキの『白乳亭』の前を通ったが、暫く店を睨むように見つめたサクヤは「明日発つ前に寄ってお土産にする」と、今日の入店は諦めた。
モネの資料はよく出来ていた。
街の簡易地図に色別で番号を振って、一覧と照らし合わせられるように示されていた。
お陰で、迷うこと無く最短経路で目的地を探せ出せた。
モネにはますます本格的に情報案内誌を作らせたくなる。
途中、サクヤがいくつかの店に寄りたそうな素振りをみせた。「寄るか?」と聞けば首を振る。
遠慮しているのかも知れない。
幸いこの街の治安は良い。
お互い暫く自由時間にしようと、中央広場から三本目の馬車道への連絡路前で待ち合わせることにして解散した。
※
一人で見たいものがあるのはアトラスも同じだった。
サクヤと別れると、早足で馬車道に向かった。
目的地は宝飾店だった。
月星では月長石が一番人気なのは相変わらずだが、月星でしか鉱脈が見つけられていないと言われる知る人ぞ知る隠れた銘石があった。
日の光の下では淡い緑味のある色をしており、蝋燭の下では紅味のある色に変化する。
古くは夢の記憶、不眠症に効く護り石とも言われていた。
日の下での色はサクヤの瞳の色を彷彿させる。彼女に合う石を考えた時、真っ先に浮かんだ。
希少な為どこにでもあるわけでは無い。
モネのメモにこの店は取り扱っているとあった為確認に来た。
創業百三十年以上の老舗とある。店舗は再建だろうが、この都市がジェダイトと呼ばれる以前から保養に来た貴族を相手にしてきたのだろう。
なかなか格式のある店構えをしている。
入るなり寄って来た店員に、目的の石の名を告げると、躊躇う色が顔に浮かんだ。
希少性の為、一見客には売りたくないことが伺い知れる。
面倒くさいので、他の客に見えないように右手袖を捲りあげた。旅券を見せるよりも手っ取り早い。
店員は打って変わった態度で、店の奥の商談室にアトラスを案内した。
最近は乱用し過ぎな気もするが、この痣で迷惑を被った割合の方が大きい。この位は可愛いものだろう。
サクヤは普段宝飾品をあまり身に着けない。母の形見だというペンダントと、穴を潰さない用途のピアス位しか付けているのを見たことがない。
領主邸での困窮生活で売り払って持っていないのかも知れなかった。
店員は金剛石と共に豪奢にあしらった髪飾りやネックレスを勧めてくるが、サクヤは華美なものは好まない気がする。
指輪はまだ重い。
アトラスは件の石が三粒並んだシンプルな、細めのチェーンブレスレットを選んだ。石と石の間には主張しすぎない金剛石があしらわれている。
無理を言って出させて、選んだのが無難なものだったからだろう。
「受注生産も出来ますが」
と、なぜか恐縮する店員に、普段遣いの邪魔にならないものが良いのだと説明して、包んで貰った。
「また寄らせてもらうよ」と声をかけ、店を出ると約束の時間ギリギリだった。
待ち合わせ場所には駆け足で戻る。
「すまん、持たせた」
「私も今来たところ」
お決まりの返事だが、サクヤは怒ってはいないようだ。
満足な買物が出来たのか、むしろご機嫌の様子だった。
石はアレキサンドライトではなく、ズルタナイトのイメージです。




