■月星暦一五八六年四月③〈彫像〉
街門の検問をいつもの手段で黙らせてテルメに入ると、今回は乗合馬車で直接中央広場を目指した。
馬車は温泉街と合同運用しているらしく、半刻《一時間》に四本とかなりの頻度で街門と中央広場を循環している。
『温泉保養施設に一緒に行く』ことは前回サクヤとした約束である。
モネの一覧を全部まともにこなしたら、一週間あっても足りないが『絶対外せない』項目くらいは網羅しておきたい。
効率的に回るには、中央広場で足を止めている場合では無い。
そのはずだったのだが、馬車を降りたとたんアトラスは棒立ちになった。
「嘘だろ……?」
「あはは……!これはびっくり!」
二人の声を聞き留めて、馬車の御者が説明してくれた。
「街の有志が金を出しあって作ったそうっすよ。先日の記念式典でタビスが天啓を受けた姿なんだそうっす」
『アウルムとライネスの彫像』の隣に『月を掴まんと手を伸ばすタビスの彫像』が増えていた。
「まだ三ヶ月も経って無いだろう」
アトラスは開いた口が塞がらない。
「お三方とも同じ顔って、手抜きっすよね」
御者は笑うが、作った人間は正しい。全員の顔は似ていた。
「ライネスさまの顔を知ってる人が作ったってことよね?」
「そうなるな」
その点に気づくと、最初の二人の像を作った人間の意図が見えてくる。
これは『平和』を象徴した像では無い。『ジェイドはアンブルを受け入れた』ことを示した像だ。
タビスの像も然り。
こちらは、『タビスの言葉を受け入れた』という意思表示だろう。
街の深い所に息づく、昔を知る有力者(達)が、先日の謝罪を受け入れたということだ。
「良かったね」
サクヤが囁いた。
「ああ。……行こう」
胸に込み上げるもの飲み込んでアトラスはサクヤを促した。
御者がアトラスの顔も似ているとか言い出さないうちに、退散するに限る。
※
「これはデカいわ!」
城趾の温泉保養施設の入口まで来て、思わず声が漏れた。
「でしょう」
サクヤがなぜかしたり顔で笑っている。
入場券に種類があったが、今回は共用区画のみを選んだ。
刻印はハールが編んでくれた肌に近い色のアームカバーで隠している。
湯衣に着替えて合流すると、サクヤの方が先に待っていた。
淡黄色の髪は緩くまとめ上げている。
アトラスは思わず、湯衣から伸びるサクヤの素足の白さに目が奪われた。
「なあに、見惚れちゃった?」
視線に気づいてサクヤがにやりと笑う。
「アトラスも素敵な御御足ですわよ」
「恥ずかしいわ!」
アトラスは顔を背けた。
一番大きな寸法の湯衣を選んではいる。
前の合わせは紐で調節出来ても、身長の高いアトラスには袖も裾も長さが足りない。(※)
こんな薄着で人前に出たことは無い。
なんだか無防備な感じがしてアトラスは落ち着かなかった。
装いに気を取られていたアトラスは、サクヤがじっと脛の辺りを見ていたことに、気づかなかった。
そこにはかつて、色が変わるほど広範囲に及ぶ傷痕があった。
サクヤは楽しそうにアトラスに施設を案内した。
先ずは石灰棚を再現した、浅い湯船に浸かった。縁に石灰華が滝のように垂れているのは蓄積されて出来たものだろう。
モネと来た時の話をするサクヤ。よっぽど楽しかったのだろうが、正直あまり頭に入って来なかった。
アトラスの意識の大半は、ついついサクヤを見やってしまう己の自制心との戦いに割かれていた。
湯衣が濡れて肌に張り付き、身体の線がはっきりと出ていた。
下に水着を着ていると解っていても、サクヤの長い手足、細身だが均整のとれた身体つきが際立っており、鼓動が早くなる。
他の男性客が、連れの女性を前に平然と楽しんでいられる姿勢にアトラスは感服した。
このサクヤを他の人間に見せたくないと思うのは独占欲なのだろうか。
「ちょっと、聞いてるの?」
「いや、ごめん。温湯に浸かるのもいいものだなと思って」
誤魔化すとサクヤに膨れられた。何かを聞き漏らしたらしい。
足湯に浸かりながら、水分を摂った。塩味が含まれた飲料は身体に沁みる。
施設内での食事は控えた。
モネの一覧の大半は食べ物である。ここで胃袋を埋めるわけには行かない。
視線を感じて顔を上げると、サクヤがじっとアトラスの胸の辺りを見ていた。
「なんだ?」
「いえ、合わせの隙間からの見える、火照った胸元が色っぽいなと思って」
「からかうなよ」
アトラスが胸元をたぐり寄せると、「照れちゃって」と笑われた。
始終サクヤのペースだが、彼女が楽しいならそれで良い。
※ 湯衣は単衣(浴衣)ではなく、水着の上に甚平のような上下を着ているイメージです
アトラスさん、恋愛初心者の十代の少年か!?みたいになってますが。ユリウスの一件以来、修験僧みたいな生活をしてたと思われますので、生暖かい目で見てやってください 笑




