閑話▶月星暦一五八六年二月〈仲介役〉
□サクヤ
アウルム達にお茶を届けてきたサクヤは、二階のラウンジで丁度宿に戻ってきたイディールに声をかけられた。
「あの人は?」
「自己嫌悪で絶賛落ち込み中」
「……一緒に居てあげなくていいの?」
「アウルム様が行ったから大丈夫」
サクヤの言葉に、意味がわからないとイディールは目を丸くする。
「そこは伴侶の役目でしょう?」
「アウルム様の弟愛には誰も入れないわ」
「なにそれ?」
サクヤは手近な椅子に座った。イディールも向かい側に腰を下ろす。
「……五十年前のことは私には解らないもの。あの頃アトラスが折れずにいられたのはアウルム様がいたからだし。それに、わたしはまだ候補だしね」
サクヤは肩をすくめた。
「こんなに丸分かりなのに、あの人も大概頑固ね」
苦笑しながら、イディールはサクヤ頬に手を伸ばした。
「まあ、そこはアトラスだから」
「違いないわ」
二人、顔を見合わせて笑った。
「レイナが亡くなったって聞いた時、私泣いたのよ」
「そうなんだ。ありがとう?」
「なのに何?こんなぴちぴちのお肌で生まれなおしてきて」
涙を返しなさいと、イディールはむにゅうとサクヤの頬をつねる。
「いふぁいって!」
笑って逃れ、サクヤはふと真面目な顔でイディールの青灰色の瞳を見つめた。
「でも、今度こそちゃんと見届けるよ」
「是非そうしてちょうだい」
微笑むイディールの眼差しは優しい。
じっと見続けていると、イディールが小首を傾げた。
「なに?」
「イディールが幸せそうで嬉しいんだ」
「なるって決めたからね」
「なるって決めたんだったね」
重なった言葉に、顔を見合わせて笑った。
「あの後、どうしてるのかなって気になってたのよ?まさか創業者夫人になってるとは。ハルス商会の塩は王宮で使わせて貰ってたわ。サイが仕入れてきたのよね。アトラスがお気に入りで」
「サイさまには良くしていただきましたね」
小さな縁を大事に広げていった細やかさは、イディールらしい。
「一度月星の神殿から問い合わせが来たよ。多額の借り入れの保証人になったって。それが起業資金になったのね」
「そう。夫は熱意はあるけど、お金の計算は出来ない人でね。苦労させられたわ」
全然苦労してない風にイディールは語る。
過去形だった。
もう、亡くなっていることはフィリアから聞いている。
「いい人だったんだね」
「そうよ。私にぞっこんでね。つい、絆されちゃったのよね」
夫を語るイディールの、纏う空気が柔らかい。
「そう言えば、彼に逢えたのもレイナのお陰だったわね」
「そうなの?」
「夫とは塩湖で逢ったの。レイナが一番印象に残った景色だったって言っていたから見たくて。苦労して行ったのよ」
イディールが遠い目をした。
レイナがイディールと行った、たった一度の内緒の街遊び。
まだ活気の戻らないアセラの街で、焚き火にあたりながらした他愛のない話の数々。蜂蜜のパイを食べたのもその時だ。
「なら、わたしは恋の仲介役だったんだね」
にまにまと笑みを浮かべたら、
「あなたじゃ無いでしょ」
と、容赦なくおでこを弾かれた。
お読みいただきありがとうございます
気軽にコメントやアクションなど頂けたら嬉しいです




