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タビスー女神の刻印を持つ者ー  作者: オオオカ エピ
十四章 翡翠の残響
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■月星暦一五八六年二月㉑〈イディール〉


 サクヤが気を利かせてフィリアを別室に連れ出した為、この部屋にはアウルムとアトラス、イディールとアイン・マールしか居ない。

 長椅子をイディールに譲り、兄弟は窓辺のテーブルから元主従の様子を見守っていた。



「アイン、聞かせてくれるかしら?」


 ふと、遠い目をしてイディールはアインに尋ねた。


「あの日、私はカルゴに荷馬車に乗せられてバロスという田舎町の神殿に連れて行かれたわ」


 アトラスとアウルムは顔を見合わせた。

 バロスは当時、端っことはいえアンブル側に属していた土地である。


「バロスの街区神殿は、規模も大きくて設備も整っていた。いざという時にイディール様を逃がす候補地の一つでした」


 床に目を落としたまま、アインは口を開いた。


「候補の一つ?」


「はい。万が一があれば、姫様を送り込めるよう話をつけておいた神殿が複数ありました」


 アインは他に四箇所地名を挙げた。


 いずれも辺境の上、アンブルとジェイドの境界に近い場所ばかりである。

 どちらの人間が入っていても違和感が無い。そんな場所ばかりが選ばれていたらしい。加えて、規模の大きな街区神殿のある場所でもある。


「誰の案?」

「ライネス陛下です」

「そう。お父様の……」


 イディールは一度強く目を瞑った。息を吐き、アインを再び見据える。

 

「あなたは、確か妹さんの結婚で帰省してたのよね」


「そうです。その最中にライネス様の訃報を知り、ジェダイトに向かおうとしましたが、途中の街でイディール様が亡くなったと聞きました」


「サラが身代わりになったの。私の服を着て、私の部屋で毒を煽ったらしいわ。そういう『予定』だったのだそうよ」

「そんな、サラが?」

「あなたも知らなかったのね」


 驚くアインにイディールはため息を吐いた。


「サラはどんな状態で発見されたの?」


 イディールの視線を受け、アトラスが口を開く。


「俺は、戦場でぶっ倒れて、気づいたら自室だった。事後処理を報告書で読んだだけだから、詳細は知らない。あんたの聞いた話と大差ない」

 

「私もあの時は弟に付き添ってアンバルに帰った。戻ってきた陛下に自室で毒を煽って死んでいたと聞かされたのだ。実際に見た訳では無い。後に、中央神殿の神官の手によって、ご遺体はこちらの王家の墓に丁重に弔わせて頂いたよ」

「あら。なら、ミドルさまは知っていたのね」


 当時の中央神殿の神官長ミドルがイディールの顔を知らない筈が無い。知っていて黙っていたということだ。

 

「因みに、お父上(ライネス)のご遺体はアンバルの死者の都(ネクロポリス)の王家の墓だ」


 アウルムは続けて答えた。


「……そう」

「そうなんですか?」


 それはアトラスも知らなかった。

 驚くと、アウルムに呆れた視線を向けられた。


「いや、父上(アセルス)を悼む気になれなくて……」

「まあ、気持ちは分かる」

 アウルムが苦い顔をした。


「父はアンバルに還るのが悲願だったみたいだから丁度いいわ。ありがとう」


「皮肉にもアセルス陛下と並んで埋葬されているよ」


「それは皮肉だわ」

「それは皮肉ですね」


 実姉と弟(イディールとアトラス)の声が重なった。

 思わず、空気が緩む。


 もう、淡々と語れる迄に風化した過去になったということなのだろう。


「アウルム、中央神殿の神官長に、当時の話を聞きました」


 聞くなら今しかないと、アトラスはアウルムに尋ねてみる。


あの人(アセルス)は、そこの広場で亡くなったそうですね。蛇の話は嘘でしょう?」

 アセルスは蛇に驚いた馬から落ちて亡くなったというのが史実である。


 アトラスは窓を見やった。こちらからは広場は見えない。


あの方(アセルス)自身が街にばら撒いた(悪意)に馬が驚いたんだ。嘘では無い」

「そうですか」


 やはりアウルムははっきりとは口にしなかった。だが、なんとなく想像はついた。掘り返すことでもないとアトラスは割り切った。


 再び、イディールはアインに目を向けた。


「あなたは、その後どうしていたの?」

「私はイディール様の訃報が信じられなくて、予定の各神殿を回りました。勿論、バロスの神殿も行ったのです。でも、そんな人達は来ていないって、あの神官長……」


「達?あなた、なんと言って私を探したの?」


「そりゃあ、イディールという名の長い砂色の髪が美しい少女とメランという名の黒髪の女性の二人連れが一緒に入ったはずだと」


「……メランは馬車には乗れなくて、この街で別れたわ」


 イディールの言葉にアインは目を見開く。


「髪は神殿に入ってすぐに切られた。短い砂色の髪の、サラという名の少女なら居たかもね」


 イディールは淡々と話すが、聞いていたアトラスが何とも言えない顔になった。

 じっとやりとりを見守るアウルムの顔にも痛ましさを思う色が混じった。


 当時の感覚では、上流階級の女性にとって長い髪は誇りだった筈だ。

 自分で断ち切ったレイナは例外中の例外。

 イディールにとっては、自尊心を折られるに等しい屈辱だったろうことは想像に難くない。

 

「ふふっ。あなたが見つけられないんじゃ、誰も私を探し出せるはずがないわよね。うまい隠し場所だったと思うわよ」

「申し訳ございません」


 責められたと思ったのか、アインは謝罪する。


「何を謝るの?神殿生活はいい経験になったわ。お陰で私は自分が何も知らないという事を突きつけられて、沢山のことを吸収することが出来たもの。あそこで学んだことがなければ、外に出ても早々に酷い目に遭っていたでしょうね」


 花街に売られなくて良かったわとイディールはからからと笑う。


「アイン。確かに、外に出てからも、愚かな失敗はした。余裕が無くて凍える夜を夫と肩を寄せあって凌いだ時期もあった。でも道を切り拓いてきた実感はあるし、その道程は楽しかった。私は幸せに自分の人生を生きてきたって言い切れる。ドレスや宝石が無くてもね、心の持ち様ときっかけ一つで人は幸せを感じられる生き物なのよ」


 胸を張ってイディールは言い切った。


「勁い方だな」

「本当に……」

 囁くアウルムにアトラスも頷いた。


 自分の人生を誇るイディールの姿は、かつて会った時よりも、アトラスには美しく眩しく感じられた。

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