□月星暦一五八六年二月〈推察〉⑥
□ルネ
ぽっかり空いた床下の穴に入っている物を見て、ルネとアトラスは顔をしかめた。
「いきなり当たりを引くとはね……」
アトラスが苦い顔でため息を吐いた。
「なんですか?そんなものアタシは知りませんよ!」
「ご主人、騒ぐな。あなたを疑ってはいない」
蒼い顔で弁明を始める景雲閣の主人を黙らせ、アトラスはルネに目を向けた。
「お前も触るな」
中身を取り出そうとしていたルネは手を止めた。
「撤去しないのですか?」
「これに我々が気づいたことを気づかれたら、相手は違う手をとるということだ。式典を狙われたら警備が大変じゃないか」
二人は中身を記憶して、元通りに床板をはめた。
絨毯を戻し、家具も重みで凹んだ絨毯の跡にずれない様細心の注意を払って戻した。
「ご主人、ここの客はいつ来るのだったかな?」
アトラスがまだ蒼い顔をしている宿屋の主人を見やった。
「明日お越しの予定です」
「その客は、予約の時点でこの部屋を指定していますね?」
「はい。慣れた部屋が良いのだそうです」
ルネのした問いの答えを聞くと、アトラスは「なるほど」と呟いた。
「では、いつも通りに接して、決して悟らせないようにお願いする」
「そ、そんな、無理です」
「ご主人、『私』が頼んでいるのですよ?」
アトラスが右袖を捲って主人に見せつけた。
「くれぐれも、普段通りに応対しなさい。他の客にも悟らせない様に。何か言われたら、『私』がいるから、いつもより緊張しているとでもお言いなさい」
『他所行き』の微笑を宿屋の主人に向けるアトラス。
主人は床に額をつけてかしこまりましたと何度も呟いていた。
少し気の毒にも見えたが、月星の人間にはこれが一番効く。
※
会議室に戻ると、宿泊者名簿を調べていた者から進捗が告げられた。
五年間で今回の予約を含めて、この時期に宿泊しているのが十組。うち、三年以上連続して宿泊していたのが六組だという。
「二〇一号室はどうだい?」
「この方も連続しての宿泊ですね」
名前はアイン・マール。過去三年とも一人での宿泊だった。
他の部屋の宿泊者と共謀している可能性も捨てきれないが、他は夫婦か家族での宿泊者だった為、ひとまず除けておくことにする。
「そのアイン・マールの詳細は?」
「カプト出身。今年七十三歳になりますね」
カプトといえば、端っことはいえ、当時はジェイド側が治めていた土地である。
「つまり、五十年前を知っているということだな」
アトラスが唸る。当時二十三歳なら真っ只中の世代と言っていい。
「もうけっこういい歳ですよ。そんな人間が、今更復讐なんて考え、実行までしますかね?」
機会なら五十年の間に何度もあったはずだ。
七十歳を越えて、筋力も腕力も衰えた人間が扱えるのかと、床下の中身を思い浮かべながらルネが疑問を呈した。
「鍛錬していれば、その歳になっても身体は動く。それに、生き残る気がなければ案外なんとでもなる」
確かにアウルムは今年七十歳を数えるとは思えない程、身体が良く動く。
「そのアイン・マール氏に絞って、引き続き宿泊記録を調べてくれないか?あと、兄上が泊まる貴賓室の宿泊履歴も頼む」
アトラスは床下の穴にあったものを書き出した。
鈎縄、羽根飾りのブローチが数種類、矢尻、短剣が二本、細工用小刀に裁縫道具、加工用の小さな鋸刃等など。
鋸刃は床板を切るために使ったのかも知れない。薄く小さな鋸刃であれだけ精巧に切ったのなら、執念のようなものを感じてしまう。
矢尻はあっても弓も矢の軸も無い。ブローチの羽を分解して自作することは想像できても材料が足らなかった。
他にも隠し場所があると見るべきだろう。
寝台の下や裏などは見なかった。
あるいはマールはかつてのこの屋敷の主人と知り合いの可能性もある。この宿に何度も泊まる程だから、かなりの資産を持っている生まれと推測できる。
家主と知り合いなら、改築時に気付かなかった隠し場所や部屋等も知っているかも知れない。
疑えばきりが無い。
テルメでは、式典のあるこの時期の武器類の街への持ち込みは制限される。
許可を得た特権所持者以外は、検問所で封がなされ、宿では受付に預けることが義務付けられている。
門を出る時、封が破れていたら罰金が取られる仕組みである。
しかし、平時であれば持ち込める。
「アイン・マール氏が怪しいと確定じゃ駄目なのでしょうか?宿に訪れた時点で確保でいいじゃありませんか」
「そうですよ。昔、敵対してた側の人なのでしょう?」
若い隊員が数名、手間を掛ける意味に疑問を浮かべた。
「床下の物がアイン・マール氏の物という確証は無い。その後何人も宿泊者はいる。それに、疑いだけで捕まえるのは横暴だよ」
アトラスは娘より若い隊員に、諭すように語りかけた。
「それに、かつてジェイド派の人間だったから疑う。ここがどういう地だったか理解した上での発言なら聞き捨てならないな」
この地の五十年前を知る人間全てを疑うのと同義だと、アトラスは言っている。
「それは、アウルム前王陛下が築いてきた努力を蔑ろにする言動だ」
アトラスの口調に変化はない。だが纏う空気に冷たいものが混じる。
ハイネ譲りなのか、感受性の強い傾向にあるルネは、身を切られるようなアトラスの圧に、思わず一歩後ずさった。
「は、はい。ごめんなさい」
敏感に感じとったのか、疑問を呈した隊員もビクつきながら謝罪した。
こんな時、思い知らされる。
青年の顔で気さくに話す為、ついつい忘れがちになるが、アトラスは見た目通りの人間では無いことを。
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カプト:端




