■月星暦一五八六年二月①〈テルメ〉
第十四章「翡翠の残響」開始です
内戦終結五十年目の式典を翌週に控えた昼下がり。
アトラスはサクヤを伴い、テルメの街門を一般に紛れて並び、検問を通って街に入った。
アトラスが街門で旅券を提示すると、検問所員の顔が変わった。
月星の街ならいつでもどこでも同じ反応になるから面白い。
所員が何か言う前に、アトラスはシッと人差し指を口元に当てて黙らせる。
「騒がずに。静かに祈りたい気分なんだ」
「しかし……」
「『私』がお願いしているんだよ?」
「も、申し訳ありません。お通りください!」
鯱張って敬礼する所員に、「ご苦労さん」と労ってアトラスは門を抜けた。
この痣が『女神の刻印』などというものでは無いことをもうアトラスは知っている。
若干罪悪感を覚えなくもないが、一番手っ取り早いので使わせてもらう。
※
テルメはかつてジェダイトと呼ばれた街だが、ジェイドが拠点にする以前も、湧き出る温泉の恵みから保養地として、貴族がこぞって別荘を建て、潤った大きな街だった。
位置的に東西の交流の拠点としても機能しており、街に入った印象は端的に言って「賑やか」だ。
馬車も通る大通りとは別に歩行者専用の通りが作られ、整備された石畳の道の左右は宿屋や店が立ち並んでいる。
温泉の蒸気を利用して作られるまんじゅうが人気の名物菓子であり、至る所で売られていた。
『タビスの台所』で紹介されていた東方伝来のまんじゅうを栗餡に改良したものだそうだ。
こちらでも採れる栗は、皮を剥いて炒って食べる昔からの庶民の貴重な甘味だった。シロップ漬けにして保存食にもする。
その栗を蒸してペースト状にして豆餡の代用にしたら、月星人の口に合ったのだという。
道の傍らに椅子を出している露店喫茶で二人も食べてみた。
ほのかに感じられる塩味が甘さを引き出していた。水分が取られるので、一緒に頼んだ珈琲と相性が良い。
街は中央広場に向かって、道は緩やかに上っていく。その傾斜を利用して、通路の脇には温泉を引いた水路が流れ、足湯ができるベンチが憩いの場所となっていた。
一定距離ごとには、周回する乗合馬車馬も通る大通りへの接続路や公共の厠も配備されていた。
歩行者が楽しみながら、または便利に進める創意工夫に、相当計算して街づくりをしたのが伺える。
白壁と赤茶色の瓦屋根で統一された街並みは、見た目も美しかった。
※※※
歓迎ムード一色の通りを歩いているにも関わらず、アトラスの歩みは重かった。
全く知らない、記憶にも無い街。産まれた場所だと聞いてはいてもピンと来ない。
間接的に自分が滅ぼした街という印象が強く、アトラスは足を踏み入れるのが怖かった。
今はもう、五十年前を知らない人間の方が多い。
この街のかつての呼び名すら知らない世代が中心になって回している。
気にするな。
アウルムならそう言う。
気にする必要はない。
自分は巻き込まれただけだ。
そう割り切れたらどんなに楽だろうか。
ユリウスは、アトラスがライネスの息子として産まれる未来を視た。
それは決定事項だったのだろう。
誰の元に生を受けるかまでは恐らくユリウスは介入できない。
そこからユリウスは、アトラスが生き残る道筋をいくつも結果予測したのだろう。
ライネスの息子として生きていたら早々にアセルスに殺されていたとユリウスは言っていた。
セルヴァに『タビスが鍵』という未来を視せ、アセルスが信じ、執念で手に入れて「使う」
その道筋の果てが現在だ。
『死なない』結果が視えても、死にそうな『過程』は視なかったあたりがユリウスらしい。
『過程』で負った身体の傷と精神の傷の深さ。
特に後者は、巫覡体質でなくとも魔物に憑かれていておかしくない度合いだった。
「魔物に憑かれないのは分かっていた」とユリウスに断言されたことがある。
その時は意味が解らなかったが、そういう『性質』なのだろう。
アトラスは『魔物に憑かれない』。
その後もユリウスを探して、何度も聖域に踏み入れた。
魔物案件にも数つきあわされて、さすがにアトラスも理解している。
「アトラス?」
サクヤに声をかけられてアトラスは顔を上げた。
視界の先には中央広場が見えていた。随分長い間考えに耽っていたらしい。
「少し休む?顔色が悪いよ」
サクヤの、のぞき込んでくる榛色の瞳に気遣う色が浮かんでいた。
「大丈夫だ」
応える自身声の硬さに、苦笑が漏れた。いつまでも引きずっている自分にいい加減呆れる。
中央広場は想像以上に広かった。別れていた馬車道ともここで合流する。
目を引くのは、街のシンボルとも言える温泉の噴水と、中央神殿の横に作られた慰霊碑と二人の男性の彫像。
慰霊碑の周りには沢山の花が供えられ、祈りを捧げる人の姿が見えた。
前章でイディールが通ったのは馬車道の方です
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