□月星歴一五四三年四月④〈親方〉
□イディール
岩塩の採掘場近くに、セルが親方と呼ぶ経営者の商会の事務所があった。
運び込まれた岩塩を粉砕し、あるいは釜炊にして製品とする工場も隣接している。
セルとイディールは、セルがいつもなら受注で使うカウンターで、親方ことレイバー商会の代表ワーカーを呼び出してもらった。
「おお、セルじゃねぇか。どうした?」
ワーカーは巌のような風体の大きな男性だった。
剃り上げた頭に服の上からも判る筋肉。強面の風貌に怯みそうになる。
一見粗野に見えるが、冷静な視線が場違いなイディールを値踏みしていた。
「親方さんが、採掘権を売り出すという話を聞いてきました」
「その話か。まさかお前さんが買い取る気かい?」
「はい。そのつもりでお話を伺いに来ました」
応接室に通され、二人はワーカーと向い合せに腰を下ろした。
「で、お嬢さんは何なのかい?」
ワーカーはセルでは無くイディールに目を向けた。
口は悪いが口調は柔らかい。
訝しむ視線だが、イディールは怯まず受けた。
「サラと申します。セルの興そうとする事業の共同出資者というところでしょうか」
ユークで働いた三年分、レイナが持たせてくれた二ヶ月分の給金がイディールの全財産である。
とても足りない。
採掘権分にも満たない。
だが、イディールは言い切った。
相手から侮れないよう、余裕と貫禄を笑みに乗せて、じっとワーカーを見据えた。
「ワーカーさまが売りに出しているのは採掘権だけでしょうか?」
「店は畳む。レイバー商会は終わりだ。商会を継がせるつもりはねぇ」
「では、この事務所や設備等はどうするおつもりでしょうか」
「お嬢さんは、そいつも欲しいのかい?」
ワーカーの口調にからかう調子が混じる。
「採掘権だけいただいても、転売位しか使い道はございませんからね」
「おい、サラ!」
イディールは一瞥でセルを黙らせた。
「見たところ、この事務所には住居は併設されていない御様子。ワーカーさま住む場所は別にあり、こちらには通ってらっしゃいますよね」
店は入ってすぐの受付になっていた。カウンターで隔てた、内側が事務スペースとなっている。
今いる応接室は商談場所だろう。ほかには小さな休憩部屋と簡単な炊事場、風呂場はあるようだが、寝室などの私室があるほどの奥行はない。
「新しい事業を始める為に、ここを別のことに使うという訳では無いように思います」
「なぜそう思った?」
「岩塩採掘以外に、わざわざこの辺鄙な場所を使う理由がないからです」
「ふうん?良く見てるね、ねーちゃん」
ワーカーはニヤリと笑った。
お嬢さんからねーちゃんに呼び方が変わった。
格上げなのだろうか。
「追加で五万だ。それでこの建屋と工場を中身ごとまるっとそのまま譲ってやるよ。どうせ処分にも金はかかるからな」
「合計八万!?」
セルが悲鳴を上げた。
「いいえ。追加は七万出しましょう」
「何言ってんの、サラ?十万にあがったよ!?」
セルが涙目になっている。
「合計十万。採掘権と工場、事務所と設備等全て込みでお願いします」
ワーカーの目つきが、面白いものを見る目に変わった。
「サラさんよ、増やした二万で俺に何をさせたい?」
ねーちゃんから名前呼びに変わった。
「ワーカーさまが店を畳むのは、いきなり今日明日の話ではないでしょう?」
「そうだな。物事を終えるのもそれなりに準備がいる。雇っていた連中の再就職迄の間くらいは、続けるつもりだ」
やはりこの男は、店を畳むからと、いきなり解雇を言い渡してそれきりというような経営者では無かった。
「でしたら、それまでの間に、あなたが培ってきた仕事のノウハウの御伝授を。良い塩を作るためのコツ。採掘するときのコツ。人を仕切るコツ。経営の為の知識全般。加えて、販売の伝手なども紹介いただければ、尚嬉しく思います」
「貪欲だなぁ。要するに基盤ごと売れってか?」
ワーカーは腹を抱えて笑った。
「だが、気に入った。そこまで考えて言い出したことなら協力してやっても良い」
セルはその時点で蒼くなっていたが、イディールは踏み込んだ。
一月にかかる経費。
一人あたりの人件費。
軌道が乗るまでにかかりそうな期間。
何人いればどの位の量を採掘できるのか、捌けるのか等など。
イディールは大まかなことを聞き出した。
「解りました。では、お金はいつ迄に用意すれば良いでしょうか?」
ワーカーは改めて二人を見比べるように見た。
お世辞にも、そんな大金を用意できる様には見えないだろう。それはイディールも理解している。
毅然とした態度を崩さず、イディールは再度問いかけた。
「ワーカーさま、いかがいたしましょう?」
「まずは採掘権代三万、きっちり耳を揃えて一週間以内に用意できたら、話を進めよう。間に合わなければ白紙だ」
イディールは懐から巾着袋を取り出して、ワーカーの前に置いた。
「五百セレナ(※)あります。約束金です。必ず期限内に残り二万九千五百セレナをご用意します。その間、他の方とお話を進めないで下さい」
ワーカーはじっと巾着袋とサラを見て、息を吐いた。
「……サラさんとやら、あんた大した人だね」
ワーカーは了承した。
五百セレナを預けた証書と、その間は他の人間と取引をしない証文を取り交わし、二人は店を後にした。
※
「はあ。疲れたわ!街に行って甘いものでも食べましょう」
荷馬車の御者台に乗り込むと、イディールは伸びをしながらセルを振り返った。
セルは手綱を握りしめて蒼い顔をしていた。
「ダメだ、採掘権を得てもその先の元手までは用意できない。でも、こんな機会はきっと二度とない」
涙目になってぶつぶつ何やら呟いている。思考が堂々巡りに陥っているようだ。
「しっかりしなさい。ワーカーさん、良い方じゃないの。かなり勉強してくれたわよ」
設備を一から用意するとなれば、十万ではとても足りない。
「でも、約束の三万だって足りてないんだよ?それを十万だなんて!」
「うーん、二十。少なくとも十五は欲しいわね」
セルの目が見事に点になった。
「なぜ倍?」
「ワーカーさんが雇っている人達は、残ってくれる人もいるかも知れないけど、殆ど出ていくと考えた方が良いわ。私たちが勉強させてもらう間に新規雇用者を見つけて引き継ぎしてもらわないと。その分のお給金は出さないといけないでしょう?」
「……」
セルの思考が停止している。
イディールは苦笑して、セルから手綱を預かった。
「大丈夫。私に考えがあるわ」




