□月星歴一五四三年一月〈故郷〉
テルメーー以前はジェダイトと呼ばれていた街の街壁を見あげて、ようやく月星に帰って来たという実感が湧いた。
中に入るのが少し恐い気もした。一度瓦礫の街と化したと聞いている。
「テルメにようこそ。何かご不便はございませんか?」
裏書きを見た検問官が尋ねてきた。
アトラスの「御守り」は月星では効力を発揮するようだ。
「式典を見たいのだけど、それまで泊まれる宿はあるかしら?」
「問い合わせてみましょう。暫くお待ちいただけますか?」
イディールは外門脇の小部屋に通され、暫し待たされた。
やがて、冬だと言うのに汗だくで入ってきた所員は申し訳なさそうに謝罪して来た。
「当日まで連泊できる宿屋はございませんでした」
式典に参列しようという人間がそんなにもいるのが驚きだったが、七十五年という期間を思えば、全く無関係な月星人もいないだろう。
ならば、とイディールが考えたことを先回りするかの様に所員は言った。
「街区神殿の宿坊でしたらご用意できるとのことですが……」
恐縮しきった顔にイディールは苦笑する。
「充分です。場所を教えてもらえますか?」
「ご案内します」
せめて中央神殿でなくて申し訳無いと所員が言うが、むしろイディールには都合が良い。
中央神殿には、もしかしたらイディールの顔を覚えている者がいるかも知れない。
神殿に併設されている宿泊施設。それはつまりは神官の居住施設であるが、空きがあれば宿坊として参拝者の為にも使われ、時には難民の受入れ施設にもなる。
場所は南西区画の端の街区神殿だった。イディールが初めて足を踏み入れる区間である。
神官長に挨拶をし、案内された部屋で、イディールは思わず笑みをこぼした。
一人用の、飾り気の無い机とベットに戸棚だけの簡素な部屋。
アンナと過ごした期間が思い出されて懐かしい。
※
翌朝、イディールはかつて城前広場と呼ばれていた中央広場へ行くことにした。
行き方を尋ねると、送ると言い出した神官を必死に宥めて、徒歩で向かった。
街の基本的な区間は変わっていないようだが、建物は新しいものが多い。
昔からあると思われるものも混ざってはいるが、改修され、外観に統一感が保たれている。
美しい街並み。特に大通りは露店が並び、さながら祭りのように賑わいを見せている。
同じ様な外観でも、馴染みの店が無くなっていた。知らない店主が知らない店を構えている。
通りからも見えていたはずの城の尖塔は無く、城自体が解体されていることを知った。
聞けば湧き出る温泉を利用した大きな保養施設が建設され、貴族街も高級宿に改築されたとのこと。
中央広場には大きな慰霊碑が建てられていた。
これも、七年前には無かったものだ。
そこには細かい字で犠牲者の名前が刻まれていた。
イディールは自分の名前を見つけた。
よくぞそこ迄という量の、身分に関係なく刻まれた名の中に、父母、弟、叔父や従兄弟に加え、多くの知り合いの名前を見つけたイディールの顔は、いつしか涙で濡れていた。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
声に顔を上げると、花売りの少女がイディールの顔を覗き込んでいた。
「ありがとう、大丈夫。知ってる名前があったから。思い出しちゃった」
イディールは少女から七本花を買い、慰霊碑に供え祈った。
(お父さま、お母さま、サラ、みんな。イディールです。七年ぶりにこの地に足を踏み入ることができました)
何も出来ずにただ逃げ出すことしかできなかったイディールには、「ただいま」と言うことは出来なかった。
生まれ育った故郷ではあっても、ここは既に全く知らない街。
もはや自分の居場所では無い。
イディールは、続ける言葉につまった。謝るのも違う気がする。
結局、形式通りに追悼の祈りを口に乗せた。
「また、来ます」
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