□月星暦一五四二年十二月〈駅馬車〉
南西のリメール港は南東のコーマ港と共に、月星五大港の中でも特に大きな貿易港である。
ユークに雇われて竜護星に向かった時も、イディールはこの港から船に乗った。
この街にはアンナの永久就職先となった店もある。
寄ろうかとも思ったが、今回は自分の用事を優先することにした。
船上で、イディールは現在の月星という国について聞いた。
代替わりし、東西統一後月星の初の王となったアウルムは、一つの月星を掲げ、支持していたのがアンブルだからジェイドだからでの差別をさせなかった。
五大公の四人を東西南北の大領主として統括という形に置いたが、小領主達は以前の形をほぼ維持したままの生活が許されたと聞く。
東西の、その拘りを捨てた人間から早い時点で、住みやすくなりつつある世の中に気づいていった。
反発は緩やかに収束し、アウルムという王に期待するは広がっていったという。
月星の地図からジェイド派が拠点としていた『ジェダイト』という地名は無くなっていた。
かつての『テルメ』に街の名前を戻し、風光明媚な保養地として賑わいを取り戻し始めているという。
一度は瓦礫の街と化した故郷。現在の姿を見ておかなければとイディールは思った。
リメールの港に降ろされた積荷は、港の脇を固める商館という商館が引き取り、各地に配送を手配する。
その為、リメールからは主要都市と繋ぐ街道が整備されており、伴い、街中を走る乗合馬車だけでなく、都市を結ぶ駅馬車も出ていた。
中央広場を囲むように馬車の発着場はあった。
利用者は広場内の発券所で目的地迄の切符を求める。
レイナは月星通貨で給金を用意してくれた為、幸い換金の必要は無い。イディールが購入したテルメ迄の切符は購入日から一ヶ月有効とあった。
街道には、馬の疲れを鑑みて、一定距離毎に駅と呼ばれる停車場がある。
そこでは馬に水や飼い葉を与え、あるいは馬を替える。
多くの駅は馬牧場のような体をみせていた。
御者が馬の手入れをしている間に乗車客は食事を済ませ、あるいは花をつみに厠へ向かい、時間によっては宿泊をする。
各駅にはちゃんと厠が整えられているのだ。
イディールがジェダイトを脱出した時に乗せられた荷馬車が通った道は、正規の街道では無かったということを意味していた。
街道は石畳で舗装がされ、あの時のような酷い揺れは無い。
街道の分岐点にあたる駅は、宿屋の数も多く、従業員も居を構えている為、一つの町として成立していた。
人が集まれば、美味い飯屋に泊まり心地の良い宿屋や娯楽も充実し、公共浴場や神殿も建てられ、連泊して逗留する者も現れる。
急ぐ旅でなければ、その道中を楽しむ者もいるということだ。
地を這う様な馬車の旅は、乗っている方も息抜きが必要である。
特にイディールは他の乗客よりも疲労が溜まったと思われる。道中はフードを被ってなるべく息を殺していた。
乗客に女性客が居なかった訳では無いが、連れがいないのはイディールだけだった。
レイナが少年のふりをしていた意味を知った。
単純に視線が煩わしいのだ。
男性には好奇の視線、女性には奇異な目で見られる。時にはなんだか可哀想なものを見るような視線すら受ける。
イディールも大きな宿場町を選んで泊し、同じ姿勢で凝り固まった身体を休めた。
人の視線の無い部屋で、身体を伸ばすことがいかに大事かが身に染みた。
特権階級が数頭立ての馬車で何頭もの替え馬を使い、駆け抜ける距離は、庶民が行こうとすれば乗車時間だけでも五倍以上の時間がかかることになった。
加えて馬車は日中しか走らない。
悪天候時は運行は見合わされる。
切符の期限が一月あったのも、その為である。
※
駅馬車の到着駅は、大抵は街の外門の外にあった。
リメールが街の中に大きなターミナルを備えているのは、港町だからと言っていい。
到着したテルメの街門には、長い間行列が出来ていた。
入門にはこの時期身分証明証(※)の提示が求められる。
二月は終戦記念の式典がある。式典には首都アンバルから王が直々に慰霊に訪れる為、警備が強化されているのである。
月星王アウルムがテルメに来る。
それが、イディールが急いでいた理由である。
お読みいただきありがとうございます
アトラスなら「竜で翔けた」で済んでしまう道程を、庶民が行くにはこんなにも手間と文字数を使います。旅はそれだけ大変でした。
※まだこの時点では旅券制度は出来ていません。




