□月星暦一五四二年十一月③〈決別〉
夜勤の当番以外は寝静まった真夜中。
イディールが執務室に行くと、レイナーが一人で待っていた。
執務室に入ったのは初めてだった。
問題の花瓶を見て、「これは毒々しいわ」と思わず口をついた。
邪魔と言いたくなるのも分かる程大きい。
まともに花を生けたら百本でも埋まらなそうだ。人一人なら、中に入れるのではないだろうか。
「サラ……イディール、ごめんね」
レイナが申し訳なさそうな顔で見上げてきた。
「この国はあなたにとって、いい国じゃなかったね。結局追い出すハメになってごめんなさい」
「いつか出て行くつもりだったから、それは構わないの。ちょっと早まっただけよ」
本心だった。侍女も女官も手段であって、目的では無い。
「ユークのお屋敷の募集に応えたのだって、きっかけにすぎなかったもの。神殿を出られるならば何でも良かったの。それこそ、そこで終わるつもりなんてなかったから」
ユークの領主邸で、愚かさを識った勉強代に喪ったものは小さくはなかったが、こうして真実を知る道筋に繋がることにはなった。
ライネスの死の真相を当事者に聞けたのは大きい。
ひとつ。否、ふたつか。気持ちに整理がついた。
これできっちり過去の自分と決別できる気がした。
「レイナ。あなたと食べた蜂蜜のパイは美味しかった。あの時月星のことを聞かれて、私は城と神殿しか知らないことに気づかされた」
あの日の出来事は色々な意味で新鮮だった。
「あなたが話してくれた、異国の国の話は面白かった。神殿は生きる術は教えてくれたけど、そういうことは教えてくれなかったから」
本当にあるのならいつか自分の目で見てみたいとあの時思った。
「私はね。絶対幸せになるんだ。そう、心に決めてるの」
「うん、応援してる」
レイナが抱擁して来た。イディールもしっかり抱き返す。
視線が交わった。
「じゃあ行くよ」
「ええ!」
「せぇーの!」とかけ声を出して二人で花瓶を押した。
初めはなかなか動かなかったが、ゆっくり傾くと『かっしゃーん』と大きな音を立てて粉々に割れた。
「やっちゃった……」
「やっちゃったわね……」
顔を見合わせ、思わず笑い声が漏れた。
何かが吹っ切れた気がした。
音を聞きつけ、最初に駆けつけたのはペルラだった。屋敷には戻っていなかったらしい。
笑いながら座り込む二人の姿を見て何かを察したのか、盛大にため息をついていた。
■月星暦一五四二年十一月⑩〈うまくやれ〉直後のエピソードです
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